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2000年(平成12年)

平成11年神審第50号
    件名
貨物船第十七恭海丸漁船松正丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年1月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

工藤民雄、須貝壽榮、米原健一
    理事官
坂本公男

    受審人
A 職名:第十七恭海丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
恭海丸・・・船首部に擦過傷
松正丸・・・左舷中央部に破口、右舷中央部に亀裂、水船、船長が溺水によって死亡

    原因
恭海丸・・・見張り不十分、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
松正丸・・・船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第十七恭海丸が、見張り不十分で、漂泊中の松正丸を避けなかったことによって発生したが、松正丸が、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年3月18日11時20分
鳴門海峡
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十七恭海丸 漁船松正丸
総トン数 168トン 1.26トン
全長 41.80メートル 8.20メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 250キロワット
漁船法馬力数 5
3 事実の経過
第十七恭海丸(以下「恭海丸」という。)は、船尾船橋型の鋼製危険物タンク船で、専ら硫化水素ナトリウムの輸送に従事していたところ、A受審人及びB指定海難関係人ほか1人が乗り組み、硫化水素ナトリウム190キロリットルを載せ、船首2.20メートル船尾3.30メートルの喫水をもって、平成10年3月17日12時05分三重県四日市港を発し、岡山県岡山港に向かった。
発航後、A受審人は、船橋当直を無資格のB指定海難関係人と2人による6時間交替として紀伊半島沿岸沿いに西行し、翌18日04時ごろ同半島西岸市江埼沖合において、同指定海難関係人から引き継いで単独の当直に就き、その後紀伊水道を鳴門海峡に向けて北上した。

11時01分A受審人は、鳴門飛島灯台から153度(真方位、以下同じ。)1.7海里の地点に達したとき、針路を大鳴門橋中央橋梁灯の少し右に向く340度に定め、機関を9.0ノットの全速力前進にかけ、折からの北流に乗じて10.8ノットの対地速力で、昇橋していたB指定海難関係人と機関員をそれぞれ見張りの補助に就け、自らは手動で操舵に当たりながら指揮を執って進行した。
そしてA受審人は、11時12分少し過ぎ鳴門海峡最狭部の大鳴門橋を通過し、同時14分孫埼灯台から041度680メートルの地点に差し掛かったとき、針路を思埼沖合に向く298度に転じて自動操舵とした。
このときA受審人は、正船首方向1,700メートルのところに、漂泊中の松正丸を視認することができる状況となり、衝突のおそれがあったが、狭い水域から広い海域に出て、周りに漁船をほとんど認めなかったことから、一見しただけで前路に他船はいないと思い、船首方の見張りを十分に行わなかったので、松正丸を見落とし、これに向首する状況となったことに気付かず、次直のB指定海難関係人に当直を任せて機関員とともに降橋した。

一方、単独で当直に就いたB指定海難関係人は、操舵スタンドの後方に立って見張りに当たったものの、A受審人から他船について何らの引継ぎもなかったことに気を緩め、前路に支障となる他船はいないと思い、船首方の見張りを十分に行うことなく、正船首方向1,700メートルに存在する松正丸を視認しなかった。
その後、恭海丸は北流の本流から外れ、同一針路、9.0ノットの対地速力で続航し、B指定海難関係人は、前路に松正丸が漂泊していてこれに向首したまま接近していることを認めることができる状況にあったが、依然船首方の見張りを厳重に行うことなく、左右を見ていて、このことに気付かず、同船を避けないで進行中、11時20分孫埼灯台から321度1,660メートルの地点において、恭海丸は、原針路、原速力のまま、その船首が松正丸の左舷中央部にほぼ直角に衝突した。

当時、天候は晴で風力3の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期であった。
当直中のB指定海難関係人は、船首に軽い衝撃を感じ、流木にでも当たったのかと思って前方を注視したところ、波切りがいつもと異なることに気付き、不審を抱いて機関を停止したのち、船橋左舷側の階段から「何かに当たったようだ。」と叫びながら降橋し、急いで船首部に行き右舷後方を見たとき、近くに水船状態となって浮いている松正丸を認めた。
一方、A受審人は、自室にいたときB指定海難関係人の発した「何かに当たったようだ。」との叫び声を聞き、急いで昇橋し、間もなく右舷船尾方近距離に水船状態となっている松正丸を認め、事後の措置に当たった。
また、松正丸は、外板を青色に塗色した、操舵室のない船内機付き和船型の木製漁船で、船長Cが1人で乗り組み、一本釣り漁の目的をもって、同日05時ごろ徳島県瀬戸漁港堂浦地区を発し、北泊ノ瀬戸を経由して鳴門海峡北部の漁場に向かった。

C船長は、06時ごろ思埼北東方沖合の漁場に着き、いつものように機関を停止して漂泊し、たいの一本釣りを始め、その後潮に流されては時々機関をかけて元の場所に潮昇りする繰り返しで魚釣りを続けた。
11時14分C船長は、北流末期の鳴門海峡の本流から外れた、ほとんど潮流の影響がない前示衝突地点において、船首がほぼ208度に向いた状態で漂泊し、船尾に腰を掛け前方を向いて釣りを行っていたとき、恭海丸が左舷正横1,700メートルのところから衝突のおそれがある態勢で自船に向けて来航し、間近に接近しても避航の気配が見られなかったが、機関を使用するなどして衝突を避けるための措置をとらないでいるうち、松正丸は、ほぼ208度に向首したまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、恭海丸は船首部に擦過傷を生じたのみであったが、松正丸は左舷中央部に破口を、右舷中央部に亀裂などを生じて水船状態となり、C船長(明治36年7月3日生、四級小型船舶操縦士免状受有)が海中に転落し、溺水によって死亡した。


(原因)
本件衝突は、鳴門海峡北部において、恭海丸が、見張り不十分で、前路で漂泊中の松正丸を避けなかったことによって発生したが、松正丸が、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人等の所為)
A受審人は、自ら操船に当たって鳴門海峡の最狭部を通過したのち、思埼沖合に向けて針路を転じた場合、前路で漂泊中の松正丸を見落とさないよう、船首方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、狭い水域から広い海域に出て、周りに漁船をほとんど認めなかったことから、一見しただけで前路に他船はいないと思い、船首方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、松正丸を見落とし、これに向首する状況になったことに気付かずに無資格の機関長に当直を任せて降橋し、松正丸を避けることができないまま進行して同船との衝突を招き、恭海丸の船首部に擦過傷を、また松正丸の左舷中央部に破口を、右舷中央部に亀裂などを生じさせ、同船の船長を溺水により死亡させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

B指定海難関係人が、鳴門海峡北部において、それまで操船の指揮に当たっていた船長から引き継いで単独の船橋当直に当たった際、前路の見張りを厳重に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、その後見張りの重要性を再認識して安全運航に努めていることに徴し、勧告しない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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