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2000年(平成12年)

平成11年仙審第62号
    件名
貨物船清栄丸ドルフィン衝突事件(簡易)

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年1月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
仙台地方海難審判庁

上野延之
    理事官
宮川尚一

    受審人
A 職名:清栄丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
ドルフィン・・・損傷なし
清栄丸・・・・・左舷船尾部外板に凹損

    原因
操船(強風による船尾の風下への圧流に対する配慮)不適切

    主文
本件ドルフィン衝突は、強風による船尾の風下への圧流に対する配慮が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。

適条
海難審判法第4条第2項、同法第5条第1項第3号
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年4月19日08時20分
青森県尻屋岬港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船清栄丸
総トン数 4,941トン
全長 111.58メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 3,089キロワット
3 事実の経過
清栄丸は、セメントばら積み輸送に従事する船尾船橋型の鋼製専用運搬船で、A受審人ほか11人が乗り組み、空倉のまま海水バラスト3,500トンを積み、積荷役の目的で、船首3.70メートル船尾5.20メートルの喫水をもって、平成11年4月19日03時10分青森県八戸港を発し、同県尻屋岬港へ向かった。
ところで、尻屋岬港は、尻屋埼の南西方に位置し、南西方に開口した地方港湾で、尻屋岬港尻屋防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から南西方向200メートル及び北東方向440メートルに防波堤(以下「尻屋防波堤」という。)が延び、その防波堤の北東端が弁天島から20メートルのところまで達していた。

防波堤灯台から北東方の防波堤内側には三菱マテリアル株式会社青森工場が管理する重量トン数6,000トンまでのセメント運搬船などを係留するドルフィン6基で構成される長さ約180メートルの桟橋(以下「東北開発桟橋」という。)が設置されており、セメントなどを積み込むため港の北側陸岸から弁天島を経て同桟橋まで高架のベルトコンベアが設置されていた。各ドルフィンは、防波堤灯台から059度(真方位、以下同じ。)110メートルに縦及び横各8メートルの係留索用のもの、そこから045度方向に順次31.5メートルに同規格の係留索用のもの、71メートルに縦14メートル横11メートルの係留用のもの、103.5メートルに縦12.5メートル横11メートルの係留用のもの、138メートルに縦8メートル横5メートルの係留索用のもの並びに170メートルに縦8メートル横6メ
ートルの係留索用のもの(以下ドルフィンについては南西端を1番として6番までの順番号を付す。)であった。また、港口が南西方に向き、東北開発桟橋付近に遮蔽物がなく、南寄りの強風が吹くと風の影響で風下に圧流されやすかったので、同桟橋の離着桟操船には注意を要する港であった。
A受審人は、以前東北開発桟橋に3回着桟したことがあり、その際、尻屋防波堤南西端をつけ回して同防波堤に平行に航行し、船首が1番ドルフィンに並んだとき、左舷錨を投入し、錨鎖1節を延ばしながら機関及び舵を使用せず、船首、船尾両スラスタのみで左回頭を行い、東北開発桟橋に出船右舷付けで着桟していた。
A受審人は、船橋当直(以下「当直」という。)を航海士3人による4時間交代の3直制として各直に甲板手1人をそれぞれ配し、07時00分尻屋埼南東方3海里の沖合で昇橋し、当直中の一等航海士から当直を引き継ぎ、07時36分防波堤灯台から006度1.7海里の地点で、入港用意を令し、一等航海士、甲板長及び甲板手を船首に、二等航海士及び甲板手を船尾に配し、船橋において三等航海士をレーダーの監視、機関長を機関制御装置の操作及び甲板手を操舵にそれぞれ当てて自らは操船指揮を執り、針路を229度に定め、機関を極微速力前進にかけ、3.9ノットの対地速力で進行した。

07時51分半A受審人は、防波堤灯台から331度1.2海里の地点に達したとき、針路を尻屋防波堤南西端から南西方60メートルの地点に向かう158度に転じ、同時57分半尻屋岬港に入航し、このころ尻屋岬港内で風速毎秒10メートルの南南東風が吹いているのを知った。
08時10分A受審人は、船首が防波堤灯台から240度260メートルの地点に達し、その後機関を適宜使用して減速しながら尻屋防波堤南西端を左舷側に60メートル離してつけ回し、同防波堤に沿って続航した。
08時15分A受審人は、船首が防波堤灯台から076度130メートルの地点に達し、1番ドルフィンの南東端に並航して行きあしがほとんどなくなったとき、左舷錨を投入して舵、可変ピッチプロペラの翼角及び船首、船尾両スラスタの操作用遠隔装置に切り替えて自ら操舵操船に当たり、機関及び舵を使用せず、船首、船尾両スラスタを左回頭出力一杯にしたものの、風勢が強く、左回頭ができず、出船右舷付けすることを中止して入船左舷付けで着桟することとし、左舷錨鎖を徐々に延ばしながら船首、船尾両スラスタ及び機関を種々使用して風下へ圧流されながら進行した。

08時19分半A受審人は、船首が防波堤灯台から059度270メートルの地点に達し、5番ドルフィンに並航したとき、船首、船尾両スラスタの出力を一杯に上げ、船首が左舷錨と船首スラスタにより風下へほとんど圧流されないものの、船尾が風下に圧流され、2番ドルフィンに著しく接近して衝突の危険があったが、船尾スラスタで船尾の風下への圧流に抗することができると思い、このことに気付かず、錨により行きあしを制御しながら機関及び舵を併用するなど強風による船尾の風下への圧流に対する配慮を十分に行うことなく、船尾が風下へ圧流されながら東北開発桟橋に接近中、08時20分防波堤灯台から057度150メートルの地点において、清栄丸は、船首を055度に向けたとき、わずかな前進惰力をもってその船尾が2番ドルフィンの南西端に衝突した。
当時、天候は曇で風力5の南南東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。

衝突の結果、ドルフィンには損傷がなかったが、清栄丸は左舷船尾部外板に凹損を生じた。

(原因)
本件ドルフィン衝突は、尻屋岬港において、南南東の強風のもと、東北開発桟橋に入船左舷付けで着桟する際、錨により行きあしを制御しながら機関及び舵を併用するなど強風による船尾の風下への圧流に対する配慮が不十分で、船尾が風下へ圧流されながら同桟橋に接近したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、尻屋岬港において、南南東の強風のもと、自ら操舵操船に当たり、東北開発桟橋に入船左舷付けで着桟する場合、船尾が風下へ圧流されないよう、錨により行きあしを制御しながら機関及び舵を併用するなど強風による船尾の風下への圧流に対する配慮を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、船尾スラスタで船尾の風下への圧流に抗することができると思い、強風による船尾の風下への圧流に対する配慮を十分に行わなかった職務上の過失により、船尾が風下へ圧流されながら東北開発桟橋に接近して係留索用ドルフィンとの衝突を招き、同ドルフィンに損傷を生じさせなかったものの、清栄丸の左舷船尾部外板に凹損を生じさせるに至った。






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