日本財団 図書館




2000年(平成12年)

平成11年門審第12号
    件名
貨物船第十八たけ丸貨物船セイクレディット衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年2月23日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

清水正男、宮田義憲、阿部能正
    理事官
喜多保

    受審人
A 職名:第十八たけ丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第十八たけ丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
たけ丸・・・左舷側後部及び同船橋を大破
セ号・・・船首に破口を伴う凹損、機関長が頭部切挫創等

    原因
セ号・・・行会いの航法(右側通行)不遵守(主因)
たけ丸・・・警告信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、両船が関門航路内で行き会うとき、セイクレディットが、航路の右側を航行しなかったことによって発生したが、第十八たけ丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置が遅れたことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年12月20日06時02分
関門港関門航路
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十八たけ丸 貨物船セイクレディット
総トン数 498トン 5,011トン
全長 68.21メートル 118.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,176キロワット 3,309キロワット
3 事実の経過
第十八たけ丸(以下「たけ丸」という。)は、船尾船橋型砂利運搬船で、A及びB両受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.35メートル船尾3.10メートルの喫水をもって、平成10年12月19日14時40分長崎県島原新港を発し、大分県津久見港に向かった。
A受審人は、翌20日03時00分筑前相ノ島灯台から007度(真方位、以下同じ。)3.4海里の地点で、船橋当直をB受審人に行わせることとしたが、B受審人は海上経験が長く、関門海峡の通航経験もあったので、同人に任せても大丈夫と思い、同海峡で自ら操船の指揮を執ることができるよう、同海峡に接近したら知らせるように指示することなく、当直を交替して降橋し、自室で休息した。

B受審人は、倉良瀬戸を通過したのち九州北岸沖合を航行し、04時50分横瀬北灯浮標に並航する手前で手動操舵として関門海峡西口に向かい、関門海峡への接近をA受審人に報告しないまま同海峡に入ってこれを東行した。
05時50分B受審人は、巌流島灯台から100度680メートルの地点において、針路を関門橋橋梁灯(C1灯)と同(R1灯)のほぼ中間に向く031度に定め、機関を港内全速力前進にかけ、折からの東流に乗じて12.0ノットの速力(対地速力、以下同じ)で進行した。
B受審人は、05時56分半門司埼灯台から217.5度1,730メートルの地点に達したとき、正船首550メートルのところを先航していたプッシャーバージを右舷方に見る追い越し態勢とするためわずかに左舵をとり、同時57分針路を再び031度とし、同時58分少し前同灯台から221度1,310メートルの地点に至り、関門航路に入航して同航路をこれに沿って続航した。

05時59分B受審人は、門司埼灯台から225.5度870メートルの地点に達したとき、右舷船首13度1,570メートルのところに門司埼の陰から現れたセイクレディット(以下「セ号」という。)の白、白、紅3灯を初認し、セ号と関門航路内で行き会う状況であることを認め、同号が同灯火を見せたまま航路の中央部付近を航路の左側に向かって進行していたが、同号はいずれ航路の右側に寄せて互いに左舷を対して航過するものと思い、警告信号を行うことなく、流速の増勢した潮流に乗じて12.5ノットの速力で進行した。
B受審人は、06時00分門司埼灯台から236度520メートルの地点に達したとき、右舷船首16度1,030メートルのところにセ号が関門航路の左側に進入し、なおも同じ針路で進行しているのを認めたが、速力を減じるなど衝突を避けるための措置をとらないまま、更に流速を増した潮流により13.0ノットの速力で続航した。

06時01分B受審人は、門司埼灯台から285度230メートルの地点に達したとき、右舷船首25度430メートルのところにセ号の両舷灯を認め、同号が右転する気配がないことを知り、ようやく衝突の危険を感じ、ほぼ右舷正横70メートルのところに追い越す態勢のプッシャーバージがいたことから、機関を中立とし、右舵5度として前進惰力で進行した。
自室で休息していたA受審人は、機関の音の変化に気付き、06時01分少し過ぎ昇橋し、セ号の白、白2灯並びに薄く見える紅灯及び明るく見える緑灯を認め、自ら操舵に当たって右舵15度とし、機関を微速力前進にかけ、右に針路を転じていることを知らせる目的で、B受審人に命じて船首部の探照灯を用いて1回の閃光を発して右転中、06時02分門司埼灯台から000度230メートルの地点において、たけ丸は、船首が100度を向き9.0ノットの速力となったとき、その左舷側後部にセ号の左舷船首が前方から30度の角度で衝突した。

当時、天候は晴で風力3の北北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、付近には約4ノットの東流があり、視界は良好であった。
また、セ号は、船尾船橋型コンテナ船で、船長Cほか21人が乗り組み、空コンテナ269個を載せ、船首4.00メートル船尾5.35メートルの喫水をもって、同月18日01時48分京浜港横浜区を発し、中華人民共和国連雲港に向かった。
C船長は、豊後水道を経由して関門海峡東口に至り、翌々20日05時06分部埼南東位置通報ラインを通過して関門海峡海上交通センターにVHF無線電話でその旨を通報し、自ら操船の指揮を執り、一等航海士を見張りに、操舵手を操舵にそれぞれ就け、同時42分機関用意を令して港内全速力前進とし、同時51分関門航路に入り、同航路をこれに沿って西行した。
05時58分C船長は、門司埼灯台から044度870メートルの地点において、針路を関門橋のほぼ中央に向く235度に定め、機関を微速力前進にかけ、折からの東流に抗して5.3ノットの速力で進行した。

C船長は、05時59分門司埼灯台から041度700メートルの地点に達したとき、左舷船首11度1,570メートルのところに門司埼の陰から現れたたけ丸の白、白、緑3灯を初認し、同船と関門航路内で行き会う状況であることを認め、自船が航路の中央部付近を航路の左側に向かう針路で進行していたが、右転して航路の右側を航行しないまま、同じ針路で続航した。
06時00分C船長は、門司埼灯台から037度530メートルの地点に至り、関門航路の中央を越えて航路の左側に進入し、たけ丸の同灯火を左舷船首8度1,030メートルのところに認めたが、なおも航路の左側を同じ針路で進行した。
C船長は、06時01分少し過ぎたけ丸が右転を始めたことを認め、右舵一杯を令したが効なく、セ号は、船首が250度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、たけ丸は左舷側後部及び同船橋を大破し、セ号は船首に破口を伴う凹損を生じたが、のちいずれも修理され、たけ丸の機関長Dが頭部切挫創等の傷を負った。


(原因)
本件衝突は、夜間、両船が関門航路内で行き会うとき、西行中のセ号が、航路の右側を航行しなかったことによって発生したが、東行中のたけ丸が、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置が遅れたことも一因をなすものである。
たけ丸の運航が適切でなかったのは、船長が関門海峡で自ら操船の指揮を執ることができるよう、船橋当直者に対して同海峡に接近したら知らせるように指示しなかったことと、同当直者が警告信号を行わなかったこととによるものである。


(受審人の所為)
A受審人は、夜間、関門海峡を東行する場合、自ら操船の指揮を執ることができるよう、同海峡に接近したら知らせるように指示すべき注意義務があった。しかるに、同人は、船橋当直者が海上経験が長く、関門海峡の通航経験もあったので、同当直者に任せても大丈夫と思い、同海峡に接近したら知らせるように指示しなかった職務上の過失により、関門航路において自ら操船の指揮を執ることができず、セ号との衝突を招き、たけ丸の左舷側後部及び同船橋を大破させ、セ号の船首に破口を伴う凹損を生じさせ、たけ丸の機関長に頭部切挫創等の傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、夜間、関門航路を東行中、西行するセ号が同航路の中央部付近を同航路の左側に向けて進行しているのを認めた場合、警告信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、同号はいずれ航路の右側に寄せて互いに左舷を対して航過するものと思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、航路の左側を航行中のセ号との衝突を招き、前示の損傷及び負傷を生じさせるに至った。

以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION