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2000年(平成12年)

平成12年横審第29号
    件名
貨物船新福丸引船第十一東海丸引船列衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年9月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

猪俣貞稔、西村敏和、向山裕則
    理事官
小金沢重充

    受審人
A 職名:新福丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第十一東海丸船長 海技免状:三級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
東海丸・・・・・・損傷なし
東浚丸・・・・・・損傷なし
新福丸・・・・・・右舷後部外板に凹損

    原因
新福丸・・・・・・船員の常務(新たな危険)不遵守(主因)
東海丸引船列・・・船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、新福丸が、新たな衝突のおそれを生じさせたことによって発生したが、第十一東海丸引船列が、衝突を避けるための措置をとるのが遅れたことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年4月13日07時10分
京浜港東京区
2 船舶の要目
船種船名 貨物船新福丸 引船第十一東海丸
総トン数 691トン 19.83トン
全長 79.20メートル
登録長 13.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット 147キロワット
船種船名 はしけ東浚丸101号
積トン数 700トン
全長 35.50メートル
幅 8.00メートル
深さ 3.30メートル
3 事実の経過
新福丸は、主に京浜港東京区から石巻港への残土運搬に従事する船尾船橋型鋼製砂利運搬船で、A受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、平成11年4月12日11時30分静岡県沼津港を発し、20時30分同区の東京灯標から281度(真方位、以下同じ。)1.4海里の地点に至り、投錨して夜明け待ちしたのち、翌13日06時55分揚錨し、船首0.9メートル船尾3.0メートルの喫水をもって、同区大井ふ頭その2建材ふ頭東方の残土積荷岸壁(以下「残土積地」という。)に向かった。

ところで、残土積地は、羽田空港北方に面する城南島にあり、同地に至るには、大井ふ頭その1東海及び城南島とその南方にある京浜島及び同空港航空導灯北端とに挟まれ、東西に伸びる可航幅約190メートルの水路(以下「城南島水路」という。)を通航することとなり、同水路の南東端付近に左舷標識である東京大井ふとう沖灯浮標(以下「大井沖灯浮標」という。)が設置されていた。
A受審人は、空船状態における新福丸が、船首が上がる影響に加え、船首マスト直後の船体中心線上にある甲板上高さ約6メートル船横幅約6.5メートルの荷役用クレーン筐体(きょうたい)が障壁となって、操舵位置から船首方向の左右各7度ばかりの範囲において、水平線が隠れる程の死角が生じていたので、船首部署に一等航海士及び甲板長を就け、南風に船首を立てたのち右回頭し、07時03分大井信号所から131度1,500メートルの地点に至り、大井沖灯浮標のわずか東方に向けて針路を295度に定め、機関を微速力前進にかけて6.0ノットの対地速力で、左舷前方に見える同灯浮標や城南島を操舵目標とし、自ら手動操舵に当たって進行した。

また、A受審人は、今まで残土積地に向かって城南島水路を入航中、同水路西方から東航するはしけを曳(えい)航した引船列と行き会うことが度々あったが、そのことに別段不安を感ずることなく、同種引船列が城南島東端に接近してから付け回し、北上する針路を採っていたので、右舷対右舷で航過することが多く、このことは、自船にとって残土積地前面海域で必ず右回頭して左舷出船付けする着岸操船に好都合であった。
A受審人は、295度に定針したとき、左舷船首11度2,100メートルの残土積地の沖合付近に、東浚丸101号(以下「東浚丸」という。)を曳航した第十一東海丸(以下「東海丸」という。)を初認し、07時06分左舷船首12度1,200メートルのところとなった東海丸が、城南島水路のほぼ中央部を東航しているのを見て、東海丸引船列はいずれ水路北側に寄るから、航過する際にはこれまでどおり、互いに右舷を対するものと思って続航した。

ところで、東京西航路は、東京港臨海道路建設工事に伴い、京浜港長公示により、平成10年11月1日から東京中央防波堤西端沖で、東方に幾分振った東京西仮航路A(以下「仮航路」という。)が指定され、東京西防波堤付近において、城南島岸線から約300メートルの幅をもって仮航路に向かって約750メートルに亘り航泊禁止区域が設定されていた。このことにより、城南島水路から仮航路へ向かう引船列は、同港東京区内の昭和島2丁目にある森ケ崎水処理センターと城南島2丁目にある南部汚水処理プラント間の往復に、従来、最短距離となる城南島東端を付け回す針路法を採っていたが、行政指導もあって、東航する場合、城南島水路西方から大井沖灯浮標に接近して南下し、東京西第1号灯浮標の南方を迂回してから同2号灯浮標の東方を経て、城南島沖東仮防波堤の東方から仮航路の北側を北西進し、東京西仮航路A第8号灯標の北側から仮航路を横断する針路法に変更しており、それまで、同水路入航船とは右舷対右舷で航過していたところ、航法の原則に戻って左舷対左舷で航過する状況が形成されるようになった。
07時08分A受審人は、大井信号所から154度680メートルの地点において、左舷船首17度600メートルのところに、城南島水路中央より右側の城南島南東端のほぼ南方沖合に達した東海丸を認め、仮航路による航行規制以来、東海丸引船列が大井沖灯浮標に接近して南下する針路を採ることに変更され、同人の思い込みに反していることを知る由もなかったが、同引船列が従来行き会っていた同種引船列と同様に城南島を付け回して北上するのであれば、この時点での同引船列の位置では既に左転して北東進しているはずであることや、同引船列と同灯浮標間の挟(きょう)角が狭い状況となっていたものの、あくまでも互いに右舷を対して航過することに固執し、左転して城南島水路に入航する機会をうかがいながら進行した。

07時08分半A受審人は、大井信号所から160度600メートルの地点に達し、東海丸が左舷船首20度440メートルのところとなり、未だに東海丸引船列の左転が認められず、同じ針路のまま無難に航過できる態勢にあったが、そのうちに左転するに違いないと思い、同じ針路を保持することなく、ゆっくりと左回頭を始めた。
07時09分A受審人は、東海丸と大井沖灯浮標のほぼ中間に向首して262度に針路を転じたとき、同船が右舷船首10度290メートルのところに接近しており、東海丸引船列に対して新たな衝突のおそれを生じさせたが、直ちに行きあしを止めるなどして衝突を避けるための措置をとることなく続航中、東海丸が船首死角に入ってきたので、左舵一杯とし、機関停止ののち後進にかけ、東海丸とは替わったものの、07時10分大井信号所から187度590メートルの地点において、新福丸が210度に向首し、約2ノットの残存速力をもって、その右舷後部外板に東浚丸の船首部防舷材が直角に衝突した。

当時、天候は曇で風力5の南風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
また、東海丸は、専ら京浜港東京区内において汚水処理のスラッジや浚渫土を積載したはしけや台船の曳航に従事する、汽笛吹鳴装置を装備しない鋼製引船で、B受審人が単独で乗り組み、スラッジ約280トンを積載して船首1.8メートル船尾2.2メートルの喫水となり、作業員2人を乗せた鋼製はしけ東浚丸を曳航し、船首0.8メートル船尾1.9メートルの喫水をもって、同日06時30分森ケ崎水処理センターを発し、南部汚水処理プラントに向かった。
ところで、東海丸引船列は、直径約30ミリメートル長さ約50メートルの化学繊維索と直径約16ミリメートル長さ約10メートルの鋼索とを繋いだ曳航索2本の化学繊維索側端末を東海丸の曳航用フックに、両索の一方の端末を東浚丸の船首部両端のビットに掛け、東海丸船尾から東浚丸後端まで約90メートルの引船列としていた。

B受審人は、京浜大橋の下を通過して城南島水路に入り、そのほぼ中央部を東進し、京浜島東端を経て、07時03分大井信号所から242度1,050メートルの地点に至り、針路を090度に定め、機関を全速力前進にかけ、4.0ノットの曳航速力により手動操舵で進行した。
B受審人は、南風を右舷正横から受けて時々海水の飛沫を被り、船橋前面の旋回窓を作動して続航し、07時06分大井信号所から227度740メートルの城南島水路のほぼ中央部において、大井沖灯浮標に接近するよう針路を095度に転じたとき、右舷船首7度1,200メートルのところに新福丸を初認し、残土積地に向かう船舶であることを知り、これまで同種船と右舷対右舷で航過することが多かったが、自船が行政指導により大井沖灯浮標手前からの針路法を変更して以来約6箇月経過していることもあって、自船が水路の右側端に寄る針路であるから、互いに左舷を対して航過できるものと思って進行した。

07時08分半B受審人は、新福丸が正船首440メートルとなり、その船首方向から無難に航過する態勢にあったところ、同時09分同船を左舷船首3度290メートルに見るようになり、自船に向首接近して新たな衝突のおそれのある状況が生じていたが、左舷対左舷で航過できると思い、舵角4度として右転を始め、直ちに機関を停止するなどして衝突を避けるための措置をとることなく、引き続きゆるやかに右転中、新福丸がますます接近してくるのを認め、右舵一杯として東海丸は新福丸を替わしたものの、曳航索が緩んで制御不能となった東浚丸が、右転を続けて120度に向首したとき、約2ノットの残存速力をもって、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、東海丸及び東浚丸は損傷がなかったが、新福丸は右舷後部外板に凹損を生じ、のち修理された。


(原因)
本件衝突は、京浜港東京区城南島南方の水路において、両船が行き会う状況で互いに接近する際、西航中の新福丸が、東海丸引船列に対し、その船首方向に左転して新たな衝突のおそれを生じさせたばかりか、衝突を避けるための措置をとるのが遅れたことによって発生したが、東海丸引船列が、衝突を避けるための措置をとるのが遅れたことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、京浜港東京区城南島南方の水路を西航中、左舷船首方に認めた東航する東海丸引船列と行き会う状況で互いに接近する場合、互いに左舷を対して無難に航過するまで、同じ針路を保持すべき注意義務があった。ところが、同人は、従来行き会っていた同種引船列とは右舷を対して航過していたので、互いに右舷を対して航過することに固執し、同引船列がいずれ左転するに違いないと思い、互いに左舷を対して航過する同じ針路を保持しなかった職務上の過失により、同引船列の船首方向に左転して新たな衝突のおそれを生じさせたばかりか、直ちに行きあしを止めるなどして衝突を避けるための措置をとるのが遅れ、東海丸と替わったものの、制御不能となった東浚丸との衝突を招き、新福丸の右舷後部外板に凹損を生じさせるに至った。

以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、京浜港東京区城南島南方の水路において、同水路中央より右側を東航中、西航する新福丸と行き会うにあたり、無難に航過する態勢であったところ、同船が左転して新たな衝突のおそれのある状況を生じたのを認めた場合、直ちに機関を停止するなどして衝突を避けるための措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、互いに左舷を対して航過するよう、自船が右転を始めたので、互いに左舷を対して航過できると思い、衝突を避けるための措置をとるのが遅れた職務上の過失により、同船と自船は替わったものの、東浚丸との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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