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2000年(平成12年)

平成12年長審第13号
    件名
漁船福神丸漁船第2帆天丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年8月25日

    審判庁区分
地方海難審判庁
長崎地方海難審判庁

森田秀彦、亀井龍雄、平野浩三
    理事官
黒田敏幸

    受審人
A 職名:福神丸船長 海技免状:四級小型船舶操縦士
B 職名:第2帆天丸甲板員 海技免状:四級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
福神丸・・・船首部に擦過傷及び船底外板に破口
帆天丸・・・右舷前部ブルワークに亀裂、操縦台を損壊、船外機カバーを破損、船長が海中に転落して溺死、甲板員が約1箇月間の加療を要する頭部、背部及び右膝に打撲並びに左肋骨骨折

    原因
福神丸・・・見張り不十分、船員の常務(避航動作)不遵守
帆天丸・・・法定灯火不掲示

    主文
本件衝突は、福神丸が、見張り不十分で、錨泊中の第2帆天丸を避けなかったことと、第2帆天丸が、錨泊中の法定灯火を掲げなかったこととによって発生したものである。
受審人Aの四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年4月19日19時50分
有明海
2 船舶の要目
船種船名 漁船福神丸 漁船第2帆天丸
総トン数 2.71トン 1.6トン
登録長 8.10メートル 8.48メートル
機関の種類 電気点火機関 電気点火機関
漁船法馬力数 30 60
3 事実の経過
福神丸は、採介藻漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人が妻と2人で乗り組み、あさり漁の目的で、船首0.20メートル船尾0.25メートルの喫水をもって、平成11年4月19日15時10分福岡県皿垣開漁(さらかきびらき)港を発し、同漁港南方沖合の漁場に向かった。
ところで、皿垣開漁港沖合のあさり漁は、漁場で錨泊して潮が引くのを待ち、水深が約1メートルとなったころ海中に入り、漁具を用いて貝を採り、潮が満ちて水深が約1メートルになるころまで続けられ、干潮の約1時間前から、干潮の約1時間後までの間に行われるもので、そのあと貝の生死或いは大小の選別を漁場で行ったのち、貝を袋に詰めて帰港するものであった。

15時40分A受審人は、塩塚川口南灯台(以下「南灯台」という。)から270度(真方位、以下同じ。)600メートルの操業地点に至って錨泊し、潮が引いて水深が約1メートルになったところで海中に入って操業を始め、18時30分あさり約80キログラムを獲て操業を終えたのち、直ちにあさりの選別作業にかかり、暗くなってからは作業灯を点灯して同作業を続けたあと、同作業に引き続いて船体の洗浄を行い、同洗浄を終えたところで航海灯を点け、作業灯を消して帰港の途についた。
19時49分A受審人は、抜錨し、船首が270度の方向を向いていたので、機関を微速力前進にかけて右回頭し、同時49分わずか過ぎ南灯台から271度600メートルの地点において、針路を065度に定めたとき、正船首370メートルのところに第2帆天丸(以下「帆天丸」という。)が存在し、同船が無灯火であったものの、その船影を視認することができ、また塩塚川河口付近にはあさり漁を行う無灯火の錨泊船が存在することも知っていたが、前路を一瞥(べつ)して他船はいないものと思い、前路の見張りを十分に行わなかったので、帆天丸の存在にも、また定めた針路のまま進行すると衝突のおそれが生じることにも気付かず、同船を避けないまま、機関を全速力前進にかけて14.0ノットの対地速力とし、船首が浮上して船首方各舷約15度にわたって死角が生じた

状態で手動操舵により進行した。
A受審人は、その後同じ針路、速力で続航し、19時50分福神丸は、南灯台から302度320メートルの地点において、その船首が帆天丸の右舷前部に前方から33度の角度で原針路、原速力のまま衝突した。
当時、天候は曇で風はほとんどなく、三池港の干潮時刻は17時24分、潮候は上げ潮の中央期で、付近には微弱な北流があり、日没は18時51分、日没後の天文薄明(以下「薄明」という。)終了時刻は20時18分であった。
また、帆天丸は、採介藻漁業に従事するFRP製漁船で、船長Cが同人の妻のB受審人と2人で乗り組み、あさり漁の目的で、船首0.26メートル船尾0.54メートルの喫水をもって、同日14時40分皿垣開漁港を発し、同漁港南方沖合の漁場に向かった。
15時10分C船長は、南灯台から163度2,900メートルの地点に至って錨泊し、潮が引いて水深が約1メートルになったところで海中に入って操業を始め、18時30分あさり約400キログラムを獲たところで操業を終え、直ちに抜錨して錨泊地点を発進し、同時40分前示衝突地点に至って再び錨を投じ、機関を止めて貝の大小の選別作業をB受審人とともに行った。

C船長は、日没後も薄明の中での選別作業に支障がなかったことから作業灯を点灯せず、また錨泊中の法定灯火の設備を有していなかったので、同灯火も掲げないまま同作業を続けた。
ところで、B受審人は、夫であるC船長に対して選別場所の選定、作業灯の点灯等について進言しても、これらのことについては船長が判断、指示しており、聞き入れてはくれなかった。
C船長は、選別作業に引き続き、B受審人とともに船体の洗浄作業にかかり、19時49分わずか過ぎ船首が212度を向いていたとき、右舷船首33度370メートルのところに福神丸が自船に向首して接近していたが、依然として無灯火のまま錨泊を続けた。
19時50分わずか前B受審人は、洗浄を終え、錨を揚げるために船首へ行きかけたとき、右舷船首至近に迫った福神丸の船体を認め、大声を出して両手を振ったが、効なく、前示のとおり衝突した。

衝突の結果、福神丸は船首部に擦過傷及び船底外板に破口をそれぞれ生じ、帆天丸は右舷前部ブルワークに亀裂、操縦台を損壊、船外機カバーを破損させ、C船長(昭和13年2月6日生、四級小型船舶操縦士免状受有)が海中に転落して溺死し、B受審人が約1箇月間の加療を要する頭部、背部及び右膝に打撲並びに左肋骨骨折を負った。

(主張に対する判断)
1 衝突時刻
福神丸側は衝突時刻を20時30分である旨、帆天丸側は19時50分である旨それぞれ主張するので、この点についてまず検討する。
A受審人は、同人に対する質問調書中、「衝突して相手船の船長が行方不明となり、付近の海上を探したが、見つからず、漁港に応援を求めに帰った時刻が20時50分ごろでその時刻から推測した。」旨述べている。
しかし、同受審人は、海上捜索の時間について、当廷において「長くかかったような感じがした、応援を求めに行ったときには遠かったような感じがした。」旨述べている。緊張した状況下での時間経過についてはっきりしなくても不思議ではなく、また時計を所持していなかったことから20時50分の根拠は不明確である。
一方、B受審人は、同人に対する質問調書において、「事故の知らせを受けて夫の甥が自分の漁船で帆天丸の所へ来た。そこから有明漁業協同組合の組合長に電話し、その時刻が20時30分で、この時刻は組合長が確認しているはずである。Aさんが応援を求めに漁港に戻ったのを衝突の15分後とすると、甥が連絡を受けてから身支度をして漁船のところに行くまで約15分、漁港から現場まで約10分かかったとすると、19時50分ぐらいに衝突したことになる。」旨述べており、衝突してからC船長の甥が組合長宅に連絡するまで約40分、甥が連絡を受けてから組合長宅に電話するまで約25分それぞれかかっているということになる。

D組合長は、第2回目の回答書で「勘違いをしていた、電話を受けたのが21時05分ごろである。外で食事をしていたとき妻から携帯電話に連絡が入った。」旨回答している。
同組合長には自宅を経由して電話連絡が入っていることを勘案し、同組合長の妻が電話を受けた時刻を21時00分とすると、C船長の甥が帆天丸の船上から組合長の自宅に電話をしたのは福神丸第2帆天丸衝突事件(以下「本件」という。)発生から約40分後のことであるから、発生時刻は20時20分となり、福神丸側が主張する20時30分と10分の差がある。
また、A受審人が述べるように、漁港に応援を求めに戻った時刻を20時50分ごろとすると、C船長の甥が事故発生を聞いてから、現場まで約25分かかっているのであるから、組合長の妻がその電話を受ける時刻は21時15分ごろとなり、21時05分に組合長が自宅から電話を受けることはできない。

一方、B受審人は当廷において、「漁場を発進したのが18時30分である、これはそのとき船長に時間を確認したから確かである。漁場から錨泊地点までは約10分、選別作業には10キログラム入りの袋1個に約1分間、400キログラムの袋を作るのに約40ないし50分かかる、船と身体を洗うのに丁寧にするため約20分かかる、従って衝突したのは19時50分ごろである。」旨の供述をしている。
また、B受審人に対する実況見分調書中、「21時00分同人がこのくらいの明るさであったと述べた。」旨の記載がある。平成11年6月9日の実況見分当日の日没時刻は19時27分で、同日の薄明時間は1時間41分である。従って、同日の薄明終了時刻は21時08分となり、同人が述べている21時00分は、薄明終了時刻の8分前となる。さらに同日A受審人立会いのもとに行われた実況見分調書には、「同人が当時の暗さになったと申告したので20時15分から同時30分まで本見分を実施した。」旨の記載があり、この時刻は薄明終了時刻の53分前から38分前となる。

これら実況見分の結果から見て本件の発生時刻は薄明終了時刻の前と認められ、本件発生当日の薄明終了時刻は20時18分であり、衝突はこの時刻より以前に発生したものであるとするのが相当である。
よって、衝突時刻は、以上を総合して、19時50分と認めるのが相当と考える。

2 視認可能距離
福神丸側は、「当夜の日没時刻は18時51分で、天文薄明時間は1時間27分である、従って当夜は20時18分に6等星が見え始める暗夜になっていた、しかも月齢は3日で天候は曇であったから漆黒の闇夜であり、370メートル離れた無灯火船を認めることなどできない。」旨主張する。
しかし、これは、衝突時刻を20時30分として主張しているものである。既に検討したように同時刻は19時50分であることから、この時刻において視認可能であるかどうかについて検討する。
既述のとおり、実況見分当日の日没時刻は19時27分で薄明時間は1時間41分であるので、薄明時間の終了は21時08分ということになる。一方、A受審人に対する実況見分は、薄明時間終了のそれぞれ53分、43分、38分それぞれ前に行われている。そして、A受審人は、薄明時間終了38分前のとき、480メートル先の船影を識別しており、また、実況見分時の暗さは本件発生時と同じ暗さであった旨海上保安官に申告している。

従って、本件発生当日の薄明時間の終了は、20時18分であるから、その38分前の19時40分の時点では約480メートル先の無灯火船の船影を認めることができたということになる。
よって、本件発生当日福神丸が漁港に向けて漁場を発進した19時49分わずか過ぎの時点での暗さのもとでは、370メートル先の無灯火の帆天丸の船影を認めることができる状況にあったとするのが相当である。


(原因)
本件衝突は、日没後の薄明時、有明海において、福神丸が、操業を終えて漁場を発進する際、見張り不十分で、前路で錨泊中の帆天丸を避けなかったことと、帆天丸が、錨泊中の法定灯火を掲げなかったこととによって発生したものである。


(受審人の所為)
A受審人は、日没後の薄明時、有明海において、操業を終えて漁場を発進する場合、無灯火の錨泊船の存在を知っていたのであるから、前路の他船を見落とすことのないよう、十分な見張りを行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、前路を一瞥して他船はいないものと思い、前路の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、前路で無灯火のまま錨泊中の帆天丸の船影を認めることができる状況であったが、同船の存在に気付かず、同船を避けないまま進行して衝突を招き、福神丸の船首部に擦過傷と船底に破口をそれぞれ生じさせ、帆天丸の右舷前部ブルワークに亀裂、操縦台の損壊及び船外機カバーの破損をそれぞれ生じさせ、C船長を溺死させ、B受審人に頭部、背部及び右膝に打撲並びに左肋骨骨折を負わせるに至った。

以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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