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2000年(平成12年)

平成11年門審第44号
    件名
貨物船ハテミ8貨物船サン ローズ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年8月4日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

原清澄、米原健一、相田尚武
    理事官
畑中美秀

    受審人
A 職名:ハテミ8船長
B 職名:サン ローズ船長
    指定海難関係人

    損害
ハ号・・・左舷船首部から第1番貨物倉中央部にわたって外板に破口
サ号・・・左舷船首部外板に破口を伴う凹損

    原因
ハ号・・・港則法の航法(右側通行)不遵守
サ号・・・見張り不十分、港則法の航法(右側通行)不遵守

    主文
本件衝突は、両船が関門航路内で行き会うとき、ハテミ8が、航路の右側を航行しなかったことと、サン ローズが、見張り不十分で、航路の右側を航行しなかったこととによって発生したものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年1月13日00時28分
関門港
2 船舶の要目
船種船名 貨物船ハテミ8 貨物船サン ローズ
総トン数 9,575トン 5,582.00トン
全長 145.76メートル 98.17メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 5,736キロワット 2,427キロワット
3 事実の経過
ハテミ8(以下「ハ号」という。)は、専ら中華人民共和国から日本への石炭輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、A指定海難関係人ほか17人が乗り組み、空倉のまま、船首1.50メートル船尾4.75メートルの喫水をもって、平成11年1月8日18時00分青森県八戸港を発し、関門海峡経由で中華人民共和国連雲港に向かった。
越えて12日23時15分A指定海難関係人は、下関南東水道第2号灯浮標付近で昇橋し、部埼南東位置通報ライン通過を関門海峡海上交通センター(以下「関門マーチス」という。)にVHF無線電話で通報したあと、二等航海士を見張りに、操舵手を操舵にそれぞれ就かせて自ら操船の指揮をとり、潮流を考慮して全速力前進のまま関門海峡を通航する旨機関室に知らせ、翌13日00時01分少し前関門航路に入航した。

A指定海難関係人は、00時12分関門橋橋梁灯(L1灯)と同(C1灯)とのほぼ中間を通過し、壇之浦南方沖合を航路の右側に寄って西行していたところ、正船首至近を航行中の同航船を追い越すこととし、左舵をとって原針路線から100メートルばかりの航路中央部に出たとき原針路に戻して同船を追い越し、同時21分半巌流島灯台から037.5度(真方位、以下同じ)1,320メートルの地点に達したとき、針路を航路に沿う199度に定め、引き続き機関を12.0ノットの全速力前進とし、折からの潮流に抗して9.1ノットの対地速力で、航路の中央部を手動操舵により進行した。
00時24分A指定海難関係人は、巌流島灯台から056度680メートルの地点に差し掛かったとき、正船首1.5海里にサン ローズ(以下「サ号」という。)の白、白、紅、緑4灯を初めて視認し、その後同船と関門航路内で行き会う状況であることを知ったが、サ号が同船の右舷前方の同航船を追い越す態勢であったことから、同船を追い越したのち右転して航路の右側につくので、互いに左舷を対して航過できるものと思い、自ら右転して航路の右側を航行することなく続航した。

A指定海難関係人は、00時27分少し過ぎサ号が白、白、紅、緑4灯を見せたまま500メートルに接近し、ようやく衝突の危険を感じたものの、巌流島から南方沖合に拡延する浅所への乗揚や行きあしがなくなった際の潮流の影響などを危惧して右舵をとることも、機関を後進にかけることもしないで進行中、00時28分巌流島灯台から161度700メートルの地点において、ハ号は、原針路、原速力のまま、その左舷船首部が、サ号の左舷船首部に前方から3度の角度で衝突し、次いで両船とも船首が右に振られてそれぞれの左舷後部が衝突した。
当時、天候は晴で風力4の西北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には2.9ノットの北東流があり、視界は良好であった。
また、サ号は、日本と東南アジア間において鋼材や製材などの輸送に従事する船尾船橋型貨物船で、B指定海難関係人のほか15人が乗り組み、製材など2,400トンを載せ、船首4.06メートル船尾5.70メートルの喫水をもって、同月12日16時45分佐賀県伊万里港を発し、広島県福山港に向かった。

B指定海難関係人は、22時45分福岡県白島の西方沖合約2.5海里の地点で昇橋して操船の指揮をとり、関門海峡通航に備え、二等航海士にレーダーの監視、船位の確認及び見張りを、三等航海士にテレグラフの操作と見張りをそれぞれ行わせ、甲板員1人を操舵に、もう1人を操舵の補助に当てて機関を港内全速力前進にかけ、六連島北位置通報ライン通過を関門マーチスにVHF無線電話で通報したあと、23時44分2海里ばかりのところを先航する同航船2隻に続いて関門航路に入航した。
その後B指定海難関係人は、西山区西方沖合で前示同航船のうち1隻を追い越し、残りの1隻に徐々に接近しながら南下して彦島南方沖合を通過し、翌13日00時23分山底ノ鼻灯台から153度620メートルの地点に達したとき、針路を018度に定め、同船を追い越すため機関を港内全速力前進から少し上げた回転数毎分200の11.0ノットにかけ、折からの潮流に乗じて13.9ノットの対地速力で、航路の中央部を手動操舵により進行した。

定針したあとB指定海難関係人は、関門マーチスからVHF無線電話で呼出しを受け、航路の右側を航行するようにとの通報を受けたが、同航船を追い越したのち右転する旨回答して同じ針路で続航し、00時24分巌流島灯台から188.5度1.2海里の地点に差し掛かったとき、正船首1.5海里のところにハ号の白、白、紅、緑4灯を視認することができ、その後同船と航路内で行き会う状況であったが、右舷前方の同航船に気を奪われ、船首方の見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かず、いったん追越しを中断して機関回転数を下げたうえ、右転して航路の右側を航行しなかった。
B指定海難関係人は、018度の針路で進行すると次第に航路の左側に寄ることになるので、00時27分針路を右に転じて022度としたものの、依然船首方の見張りを十分に行わず、二等航海士及び三等航海士からも反航船についての報告が得られなかったので、ハ号の存在に気付かないまま進行中、同時28分わずか前操舵の補助に当たっていた甲板員の「船首至近に反航船が見える。」との叫び声を聞き、同船を認めないまま、急いで右舵一杯、続いて全速力後進としたが及ばず、サ号は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。

衝突の結果、ハ号は、左舷船首部から第1番貨物倉中央部にわたって外板に破口などを生じ、サ号は、左舷船首部外板に破口を伴う凹損などを生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
本件衝突は、夜間、両船が関門航路内において行き会うとき、西行するハ号が、航路の右側を航行しなかったことと、東行するサ号が、見張り不十分で、航路の右側を航行しなかったこととによって発生したものである。


(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が、夜間、関門航路の中央部を西行中、東行するサ号と同航路内において行き会う状況であることを知った際、速やかに右転して航路の右側を航行しなかったことは、本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては、本件後船会社を退職し、船舶の運航業務に就いていない点に徴し、勧告しない。
B指定海難関係人が、夜間、関門航路の中央部を東行する際、前路の見張りを十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、本件後見張りの重要性を再認識し、レーダーを活用して見張りを行うなど事故防止に努めている点に徴し、勧告しない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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