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2000年(平成12年)

平成11年広審第114号
    件名
貨物船たから旅客船ユーホー2衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年8月10日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

中谷啓二、竹内伸二、内山欽郎
    理事官
岩渕三穂

    受審人
A 職名:たから船長 海技免状:五級海技士(航海)
C 職名:ユーホー2船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
たから・・・左舷中央部に擦過傷
ユ号・・・船首部を圧壊、前部客室囲壁を変形

    原因
ユ号・・・見張り不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
たから・・・警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)  

    主文
本件衝突は、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、ユーホー2が、見張り不十分で、前路を左方に横切るたからの進路を避けなかったことによって発生したが、たからが、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年11月25日15時30分
瀬戸内海 宮ノ窪瀬戸
2 船舶の要目
船種船名 貨物船たから 旅客船ユーホー2
総トン数 196トン 19トン
登録長 45.01メートル 11.94メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 588キロワット 440キロワット
3 事実の経過
たからは、主に瀬戸内海において硫酸輸送に従事する船尾船橋型の液体化学薬品ばら積船で、A受審人及びB指定海難関係人の2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.8メートル船尾2.6メートルの喫水をもって、平成10年11月25日11時05分山口県岩国港を発し、岡山県日比港に向かった。
A受審人は、船橋当直をB指定海難関係人と約4時間ごとの交替制で実施し、視界不良時、狭水道航行時などには自ら操船指揮を執ることとして出航時から船橋当直に就き広島湾を南下し、同日12時45分安芸灘に出たころ、B指定海難関係人と交替していったん降橋し、15時00分大島北西端のカヤトマリ鼻灯台沖に差し掛かったところで、宮ノ窪瀬戸の航行に備えて昇橋した。

ところで宮ノ窪瀬戸は、南岸を来島海峡に接している大島と、同島北方の伯方島間の狭い水路で、同瀬戸中央部に位置する鵜島によって南北にそれぞれ船折瀬戸と荒神瀬戸に分かれており、いずれも最小可航幅が100メートル程度で潮流が極めて強いものの、瀬戸内海を東西に航行する際は来島海峡を経由するよりも航程が短縮される利点があることから、主に500トン未満の船舶が多数航行し、漁船等の往来もあって船舶交通の輻輳する海域であった。
A受審人は、昇橋後、B指定海難関係人を手動操舵に当て操船指揮を執り、船折瀬戸を経由して宮ノ窪瀬戸を東進し、15時24分同瀬戸東口北側に位置する六ツ瀬灯標から262度(真方位、以下同じ。)1.4海里の地点に達したとき、宮ノ窪瀬戸をまだ航過し終えない状況にあったが、前方に他船が見当たらなくなったことから、B指定海難関係人に操船を行わせても大丈夫と思い、同瀬戸を航過し終わるまで引き続き自ら操船指揮を執ることなく降橋した。

15時27分半B指定海難関係人は、宮ノ窪瀬戸東口に差し掛かり、六ツ瀬灯標から233度1,900メートルの地点に達したとき、針路を087度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で進行した。
このときB指定海難関係人は、左舷船首39度1,800メートルのところに、ユーホー2(以下「ユ号」という。)を初認し、その後同船が前路を右方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近していることを知り、手動操舵に切り換えたものの、そのうちユ号が避航動作をとるものと予測し、同船についてA受審人に報告せずに続航した。
こうしてたからは、ユ号に避航動作が認められなかったものの、警告信号が行われず、15時29分半同船と360メートルの距離に接近したが、衝突を避けるための協力動作がとられないまま進行中、同時30分少し前B指定海難関係人が、危険を感じて汽笛を連吹し、続いて右舵一杯をとり機関を中立としたが及ばず、15時30分六ツ瀬灯標から215度1,300メートルの地点において、ほぼ原速力のまま095度に向首して、その左舷中央部にユ号の船首が前方から69度の角度で衝突した。

当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は下げ潮の初期であった。
A受審人は、食堂にいたとき自船の汽笛音を聞いて左舷前方の海上を見たところ、至近に迫ったユ号を初認し、続いて同船と衝突したことを認め、急ぎ昇橋して事後の措置に当たった。
また、ユ号は、愛媛県伯方港を基地とし、今治、松山、尾道などの諸都市と瀬戸内諸島間の往来に、水上タクシーとして供されるFRP製旅客船で、C受審人が1人で乗り組み、生名島に向かう客を乗船させる目的で、船首1.0メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、同日15時20分伯方港木ノ浦の係留地点を発し、今治港に向かった。
ところでユ号は、甲板上前部から後部にわたって設けられた客室区画のうち、最前部右舷側の一区画が操縦用スペースに当てられており、操舵席の左方には、客席区画の中央部を縦通している幅約60センチメートルの通路を挟み、客席最前部の椅子3脚が横並びにあり、操舵席及び客席の前面から側面にかけてはガラス窓が、通路正面にはガラスをはめ込んだ非常用扉がそれぞれ設置されていた。

C受審人は、発航後、伯方島を右舷方に見て手動操舵により南東進し、15時27分半同島島陰を替わり六ツ瀬灯標から300度200メートルの地点に達したとき、針路を宮ノ窪瀬戸東口を横断する206度に定め、機関を港内全速力前進にかけ、17.0ノットの対地速力で進行した。
このときC受審人は、右舷船首22度1,800メートルのところに、たからを視認し得る状況となり、その後同船が前路を左方に横切り衝突のおそれのある態勢で接近していたが、右舷前方の海面一帯が西日の反射で眩しくなり、ガラス窓に取り付けるシェードグラスが不具合で使用できず、サングラスも用意していなかったことなどから、遠隔操舵に切り換え、操舵席左方の、反射光が窓枠と扉枠で遮られている客席中央部に移動したものの、右舷前方を一瞥して他船はいないものと思い、窓枠の陰から見るとか目を細めるなどして同方向の十分な見張りを行うことなく、たからに気付かず、同船の進路を避けずに続航した。

15時30分わずか前C受審人は、たからの発した汽笛音にも気付かず進行中、船首至近に迫った同船を初認して急ぎ機関を中立にしたが、ユ号は、原針路、原速力のまま前示のとおり衝突した。
衝突の結果、たからは、左舷中央部に擦過傷を生じたのみであったが、ユ号は、船首部を圧壊し、前部客室囲壁に変形を生じ、のち修理された。


(原因)
本件衝突は、宮ノ窪瀬戸東口において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、ユ号が、見張り不十分で、前路を左方に横切るたからの進路を避けなかったことによって発生したが、たからが、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
たからの運航が適切でなかったのは、船長が、狭い水路を航過し終わるまで、自ら操船指揮を執らなかったことと、無資格の船橋当直者が、衝突のおそれのある態勢で接近するユ号を認めた際、船長に報告しなかったこととによるものである。


(受審人等の所為)
C受審人は、今治港に向け宮ノ窪瀬戸東口を横断する場合、前路を左方に横切るたからを見落とすことのないよう、右舷前方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、右舷前方の海面一帯が西日の反射で眩しかったことから、一瞥して他船はいないものと思い、窓枠の陰から見るとか目を細めるなどして同方向の十分な見張りを行わなかった職務上の過失により、たからに気付かず進行して衝突を招き、たからの左舷中央部に擦過傷を生じさせ、自船の船首部を圧壊し、前部客室囲壁に変形を生じさせるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、狭い水路で船舶交通の輻輳する宮ノ窪瀬戸を航行する場合、同瀬戸を航過し終わるまで自ら操船指揮を執るべき注意義務があった。しかるに、同人は、操船指揮を執り同瀬戸を東進中、前方に他船が見当たらなくなったことから、無資格の当直者に操船を行わせても大丈夫と思い、同瀬戸を航過し終わるまで自ら操船指揮を執らなかった職務上の過失により、ユ号との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。

以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C指定海難関係人が、宮ノ窪瀬戸において船橋当直中、衝突のおそれのある態勢で接近するユ号を認めた際、船長に報告しなかったことは本件発生の原因となる。
C指定海難関係人に対しては、勧告しない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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