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2000年(平成12年)

平成11年広審第116号
    件名
油送船長宝丸貨物船ニュー ディスカバリー衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年8月9日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

竹内伸二、工藤民雄、中谷啓二
    理事官
上中拓治

    受審人
A 職名:長宝丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
長宝丸・・・右舷船首に破口、右舷船尾に凹損
ニ号・・・左舷船首ブルワーク及び外板に凹損、左舷後部ハンドレールなどに曲損

    原因
ニ号・・・動静監視不十分、船員の常務(前路進出)不遵守

    主文
本件衝突は、ニユー ディスカバリーが、動静監視不十分で、第三船との衝突を避けるため左転し、同航する長宝丸の前路に進出したことによって発生したものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年5月3日03時10分
瀬戸内海 来島海峡
2 船舶の要目
船種船名 油送船長宝丸 貨物船ニユー ディスカバリー
総トン数 696トン 1,225トン
全長 72.66メートル
登録長 66.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット 956キロワット
3 事実の経過
長宝丸は、主に京浜港及び室蘭港から日本沿岸各地にガソリン、灯油などの石油製品を輸送する船尾船橋型の油送船で、A受審人ほか6人が乗り組み、空倉で、船首0.9メートル船尾2.9メートルの喫水をもって、平成10年5月1日09時30分京浜港を発し、関門港に向かった。
翌2日11時30分A受審人は、潮岬灯台沖合を通過し、そのころ四国南岸に強風波浪警報が発表されていて荒天が予想されたので、瀬戸内海を経由して目的地に向かうこととし、紀伊水道から鳴門海峡を経て瀬戸内海を西行し、翌々3日02時20分備後灘航路第1号灯浮標付近で、来島海峡通航の操船指揮をとるため昇橋した。

昇橋したときA受審人は、右舷船首方近距離にニュー ディスカバリー(以下「ニ号」という。)の船尾灯を認め、その後所定の灯火を表示し、同船に留意しながら来島海峡西口に向け海図記載の推薦航路線に沿って西行した。
02時30分ごろA受審人は、来島海峡航路の東側境界まで1.5海里ばかりとなったとき、当直中の甲板長及び主機の遠隔操作のため昇橋した操機長を見張りに就けて自ら手動操舵にあたり、来島長瀬ノ鼻潮流信号所の信号が4ノットの南流末期を示していることを確かめて西水道に向かうこととした。
02時48分A受審人は、竜神島灯台から155度(真方位、以下同じ。)1.3海里の地点に達し、来島海峡航路第8号灯浮標(以下「第8号灯浮標」という。)を左舷側100メートルに航過して航路に入ったとき、針路をほぼ大浜潮流信号所に向首する277度に定め、可変ピッチプロペラの翼角をほぼ13度の全速力前進とし、折からの潮流に抗し8.2ノットの対地速力(以下「速力」という。)で、同航路をこれに沿って進行した。

定針したときA受審人は、ニ号の船尾灯を右舷船首30度400メートルばかりに認めるとともに、レーダーで馬島南方に第三船が同航していることを知り、その後ニ号及び第三船に少しずつ接近した。
A受審人は、これまで幾度も来島海峡を通航して針路法を熟知し、逐一コンパスで針路を確かめなくても航路標識などを見てほぼ予定針路上を航行することができ、ほとんどレーダーを見ないで肉眼により操船目標を見ながら操舵にあたった。
02時57分A受審人は、大浜潮流信号所から097度1.2海里の地点に達したとき、工事中の来島海峡第3大橋四国側橋脚の少し右側に向首する315度に転じ、航路に沿って西水道に向け続航した。
03時07分A受審人は、ニ号が右舷船首40度150メートルばかりとなったとき、ニ号との間隔を少し離すため針路を312度に転じてプロペラ翼角を少し下げ、その後同船と無難に同航する態勢となり、間もなく西水道の屈曲部に沿って右転するつもりで進行していたところ、同時10分少し前前路を見張っていた甲板長から突然「ニ号の紅灯が見えた。」旨の報告を受けて同船が左転していることを知り、直ちに左舵一杯とするとともにプロペラ翼角を3度に減じたものの及ばず、03時10分ウズ鼻灯台から217度550メートルの地点において、長宝丸が298度に向首したとき、ニ号の左舷船首が、長宝丸の右舷船首に後方から45度の角度で衝突した。

当時、天候は曇で風力2の西風が吹き、潮候は上げ潮の末期にあたり、付近には2ノットばかりの南東流があった。
また、ニ号は、可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型貨物船で、韓国人B船長ほか7人が乗り組み、鋼材1,549トンを積載し、船首3.70メートル船尾4.74メートルの喫水をもって、同月1日08時40分京浜港を発し、大韓民国の釜山港に向かった。
B船長は、これまで幾度も日本各地に寄港し、瀬戸内海の航行経験も豊富で、月平均4回ほど来島海峡を通航していたので同海峡の航法及び針路法を十分知っていた。
B船長は、毎8時から12時までの船橋当直に就くほか、狭水道通航時には自ら操船指揮をとり、翌2日02時25分備後灘航路第1号灯浮標付近で海図記載の推薦航路線にほぼ沿って西行していたとき、操船指揮をとるため昇橋し、当直中の三等航海士から、左舷船首方近距離に自船より遅い同航船1隻と、左舷船尾方近距離に自船とほぼ同じ速力の長宝丸がそれぞれ同航している旨の報告を受け、肉眼とレーダーでこれら同航船を確認し、その後三等航海士と操舵手を見張りにあたらせ、自ら操船の指揮をとり所定の灯火を表示して燧灘を西行した。

間もなくB船長は、来島長瀬ノ鼻潮流信号所の信号を見て来島海峡が南流の末期であることを知り、四国側に近寄って航行するため第8号灯浮標を正船首少し左に見て航行し、やがて左舷船首方の同航船が後方にかわり、02時36分ごろ同灯浮標まで1.5海里となったとき、三等航海士を手動操舵につけた。
02時45分B船長は、竜神島灯台から143度1.2海里の地点に達したとき、針路を航路に沿う263度に定め、プロペラ翼角をほぼ17度の全速力前進とし、折からの潮流に抗し8.0ノットの速力で進行した。
02時47分B船長は、第8号灯浮標の北方350メートルのところで航路に入ったとき、右舷船首方1海里ばかりに第三船の船尾灯を認め、レーダー映像から同船が自船より大型で次第に接近することを知り、同時53分同灯台から195度1.1海里の地点で針路を西水道南口に向く310度に転じ、その後肉眼とレーダーにより長宝丸及び第三船を監視しながら続航した。

03時00分B船長は、長宝丸が左舷船尾49度350メートルばかりとなったとき、第三船の船尾灯を右舷船首方200メートルばかりに見るようになり、このまま進行すれば同船と西水道内で並航するおそれがあったので、その動向に留意しながら西水道に向け北上した。
03時09分少し過ぎB船長は、右舷船首方の第三船が至近に近づきその左舷灯が見えたので危険を感じ、衝突回避動作をとることとしたが、長宝丸の動静監視を十分行わなかったので同船が左舷船尾方に接近していることに気付かず、行きあしを止める措置をとらないまま左舵一杯を令したところ、無難に同航する態勢の長宝丸の前路に進出する状況となり、船首が左に振れ始めて間もなく左舷側至近に迫った同船を認めたがどうすることもできず、253度を向首したとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、長宝丸は右舷船首に破口、右舷船尾に凹損を生じ、ニ号は左舷船首ブルワーク及び外板に凹損、左舷後部ハンドレールなどに曲損が生じたが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件衝突は、夜間、来島海峡航路において、両船が相前後して馬島のウズ鼻南西方沖合を北上中、ニ号が、動静監視不十分で、第三船との衝突を避けるため左転し、無難に同航する態勢の長宝丸の前路に進出したことによって発生したものである。


(受審人の所為)
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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