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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年12月13日06時25分 石川県金沢港 2 船舶の要目 船種船名
漁船金比羅丸 遊漁船香丸 トン数 19トン 全長 23.08メートル 18.00メートル 機関の種類 ディーゼル機関
ディーゼル機関 出力 478キロワット
330キロワット 3 事実の経過 金比羅丸は、いか1本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、A受審人と同人の息子であるB受審人ほか1人が乗り組み、操業の目的で、船首0.6メートル船尾1.8メートルの喫水をもって、平成10年12月13日06時10分この時期基地としていた石川県金沢港を発し、同港北西方100海里の漁場に向かった。 ところで、金沢港は、大野川河口付近に造成された堀込式の港を主体として北方に開き、同河口西岸から北方向に3,000メートル余り延びる西防波堤と、同河口東岸からくの字形に屈曲して北東方に延びる東側陸岸との間に水路が形成されていた。また、水路最狭部となる屈曲部の幅は450メートルあったものの、東側陸岸沿いには水深5メートル未満の浅所が拡延しており、同部付近は可航幅300メートルの狭い水路になっていた。しかし、水路屈曲部においては、5メートル等深線付近に簡易標識の緑色及び紅色両灯浮標が対峙する形で設置されていたので、漁船や遊漁船など小型船が同部付近を通航する場合には、互いに右側端に寄せて航行することができる状況であった。 A受審人は、金沢港を出航するにあたり、自ら操船の指揮を執るべき立場にあったが、B受審人が自身と同じ海技免状を受有し、何度か同港の出入航操船を行っていたことから、任せておいても大丈夫と思い、操船の指揮に就くことなく、出航時から操舵室の後方に設置された板の上に座り、船尾方を向いた姿勢で船舶電話を使用して操業中の僚船に漁模様などの問い合わせを始めた。 操船を一任されたB受審人は、成規の灯火を表示し、操舵室前方の中央に立って操船に就き、無量寺突堤を離岸して北上を開始し、06時18分金沢港東防波堤灯台(以下、灯台名については「金沢港」を省略する。)から170度(真方位、以下同じ。)790メートルの地点で、針路を狭い水路の右側端に向かう332度に定め、機関を半速力前進にかけ、6.0ノットの対地速力で、手動操舵により進行した。 06時20分半B受審人は、東防波堤灯台から192度380メートルの地点に達したとき、右舷船首26度1.1海里に香丸の白色閃光灯を初めて視認し、同灯火の動きから入航してくることを知り、用心のために機関の回転数を少し下げ、4.0ノットの対地速力で、同船の動静に留意しながら続航した。 B受審人は、香丸の灯火に明確な方位変化がないまま接近するのを認め、06時23分半東防波堤灯台から261度255メートルの地点で、極微速力前進に減じ、1.5ノットの対地速力として更に右側に寄せるべく右転し、針路を緑色灯浮標に向首する013度に転じたところ、香丸のマスト灯を確認できなかったものの、左舷船首13度570メートルに同船の閃光灯と紅灯を見る状況となった。 06時24分B受審人は、東防波堤灯台から266度250メートルの地点に至ったとき、左舷船首17度350メートルに接近した香丸が、突然、転針して緑灯を見せるようになり、自船に向かって衝突のおそれがある態勢で接近するのを認めたが、気が動転し、直ちに警告信号を行わなかった。 一方、A受審人は、僚船との通話中に機関が極微速力前進に減じられたことに気付いて振り返ったとき、左舷船首方に香丸の白色閃光灯及び紅灯を初めて視認した。そして、間もなく、同船が左転して衝突のおそれがある態勢となったことを認めたが、B受審人に対して警告信号の吹鳴を指示するなど、依然として操船の指揮を執らないでいるうち、06時25分わずか前同船が左舷船首至近に迫るに至り、ようやく全速力後進を指示した。 しかし、B受審人は、機関操作をする間もなく、06時25分東防波堤灯台から277度240メートルの地点において、金比羅丸は、原針路、原速力のまま、その左舷船首部に、香丸の船首が前方から20度の角度で衝突した。 当時、天候は曇で風力1の東南東風が吹き、潮候は上げ潮の初期であった。 また、香丸は、軽合金製遊漁船で、C受審人が1人で乗り組み、遊漁客8人を乗せ、船首0.5メートル船尾2.2メートルの喫水をもって、同日06時00分金沢港無量寺ふ頭を発し、同港沖合5海里の釣場に向かった。 C受審人は、成規の灯火のほか、マスト灯の下に同灯よりも明るい白色閃光灯を表示し、操舵室の中央に立って操船に当たり、06時15分西防波堤灯台の北方1,000メートル付近に至ったところ、海面に白波を認め、風浪の強まる気配を感じ、遊漁を断念して引き返し、同時20分半西防波堤灯台から079度200メートルの地点で、針路を水路屈曲部の中央付近に向く185度に定め、機関を半速力前進より少し上げて13.0ノットの対地速力で、西防波堤に沿って手動操舵により進行した。 06時23分半C受審人は、東防波堤灯台から334度590メートルの地点に達し、狭い水路に差し掛かったものの、その右側端に寄ることなく、同時点で左舷船首5度570メートルのところに、金比羅丸の白、紅2灯を視認でき、同船が水路の右側端を北上しているのを認めることができる状況であったが、周囲の見張りを十分に行っていなかったので、このことに気付かなかった。そして、そのころ船首わずか右紅色灯浮標付近に視認した、反航する2隻のプレジャーボートの灯火に注目して続航した。 06時24分C受審人は、東防波堤灯台から321度430メートルの地点に至り、機関を半速力前進に減じ、10.0ノットの対地速力とし、反航する第三船と右舷を対して替わすつもりで、針路を狭い水路の左側に向けて173度に転じたところ、金比羅丸を右舷船首3度350メートルに見る状況となり、同船と衝突のおそれがある態勢で接近したが、自船の右舷側を反航する第三船に気を取られたまま、依然、周囲の見張りを十分に行っていなかったので、金比羅丸に気付かず、速やかに機関を使用して行きあしを止めるなど衝突を避けるための措置をとらなかった。 06時25分少し前C受審人は、第三船が右舷正横100メートルのところに航過したのを確認し、船首に視線を移したところ、至近に迫った金比羅丸を初めて視認したが、何をするいとまもなく、香丸は、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、金比羅丸は、左舷船首部外板に破口を生じ、香丸は、船首部を圧壊したが、のちいずれも修理され、遊漁客のうちDが約2箇月間の加療を要する左鎖骨骨折を、E及びFが約1週間の安静加療を要する頭部打撲などを負った。
(原因) 本件衝突は、夜間、両船が金沢港内の屈曲した狭い水路を航行中、南下する香丸が、その右側端に寄って航行しなかったばかりか、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、北上する金比羅丸が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。 金比羅丸の運航が適切でなかったのは、船長が港内で自ら操船の指揮を執らなかったことと、船橋当直者が警告信号を行わなかったこととによるものである。
(受審人の所為) C受審人は、夜間、金沢港内の屈曲した狭い水路を南下する場合、その右側端に寄せて北上中の金比羅丸を見落とさないよう、周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、自船の右舷側を反航する第三船に気を取られ、周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、金比羅丸を見落とし、狭い水路の右側端に寄って航行しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらずに進行して同船との衝突を招き、香丸の船首部を圧壊させ、金比羅丸の左舷船首部外板に破口を生じさせるとともに、遊漁客1人に左鎖骨骨折及び同客2人に頭部打撲などを負わせるに至った。 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。 A受審人は、夜間、金沢港を出航する場合、自ら操船の指揮を執るべき注意義務があった。しかるに、同人は、息子の甲板員が自身と同じ海技免状を受有し、何度か同港の出入航操船を行っていたことから、任せておいても大丈夫と思い、自ら操船の指揮を執らなかった職務上の過失により、香丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせ、遊漁客3人を負傷させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、夜間、金沢港内の屈曲した狭い水路の右側端に寄せ、極微速力で進行中、香丸がその右側端に寄ることなく左転し、衝突のおそれがある態勢となったのを認めた場合、直ちに警告信号を行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、気が動転し、警告信号を行わなかった職務上の過失により、香丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせ、遊漁客3人を負傷させるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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