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2000年(平成12年)

平成11年神審第83号
    件名
輸送艦のと定置網衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年8月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

阿部能正、須貝壽榮、黒岩貢
    理事官
黒田均

    受審人
    指定海難関係人

    損害
のと・・・・推進器翼の一部に欠損等、音響測深儀の送受波器及び電磁ログの受感部を変形
定置網・・・一部を切断

    原因
入航針路設定確認不十分及び船位確認不十分

    主文
本件定置網衝突は、入航針路の設定及び船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年11月9日19時40分
若狭湾西部
2 船舶の要目
船種船名 輸送艦のと
排水量 590トン
全長 58.0メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,103キロワット
3 事実の経過
のとは、昭和55年11月に進水し、翌56年3月に海上自衛隊舞鶴地方隊に配属された2基2軸の鋼製輸送艦で、艦橋の前に1倉口を備え、陸上、海上及び航空各自衛隊の物資や車輌の輸送を主な任務として就役中、A指定海難関係人、B指定海難関係人及びC指定海難関係人のほか31人が乗り組み、演習審判官1人を乗せ、平成10年度海上自衛隊演習(共同演習)の任務に就く目的で、船首1.1メートル船尾2.2メートルの喫水をもって、平成10年11月9日15時43分京都府宮津港を発し、若狭湾の演習海域に向かった。
A指定海難関係人は、宮津湾を出て若狭湾西部を北上し、18時37分丹後鷲埼灯台(以下「鷲埼灯台」という。)から047.5度(真方位、以下同じ。)5.1海里の地点に達したとき、針路を015度に定め、機関を半速力前進にかけ、7.0ノットの対地速力(以下、速力は対地速力である。)として進行したところ、折からの強い西北西の風波を左舷船首に受け、船体の動揺が激しさを増し、続航することが困難となった。そこで、同人は、翌10日午前中に目的地に到着するよう命じられていて、若狭湾西部沿岸には多数の定置網が存在するので夜間航行を避けて早めに発航したもので、時間に余裕があることから、一旦宮津港に引き返すことに決めた。

18時46分A指定海難関係人は、鷲埼灯台から042度6.0海里の地点において、艦橋当直士官の機関長に荒天のため航行困難となったので反転し、宮津港で避泊する旨を告げ、元の針路を逆戻りするように令し、針路を195度に転じ、速力を10.4ノットの全速力に上げたのち、避泊の事情について艦内放送させ、同時55分B指定海難関係人が昇橋したので、同人にB5と称する宮津黒埼灯台(以下「黒埼灯台」という。)から243度2.2海里にあたる地点に錨泊する旨を告げた。
そして、A指定海難関係人は、B指定海難関係人を艦橋前部に、艦橋当直士官の機関長をレーダーの右横に、C指定海難関係人を左舷側後部の海図台の前に、操舵員を操舵に、機関操縦員を主機遠隔操縦装置スタンドに、当直海曹を速力通信器に、右舷側後部に機関士及び見張員をそれぞれ配置し、自らは右舷側前部にある指令いすに腰を下ろして操船指揮に当たった。

ところで、のとにおける職務分担は、海上自衛隊の自衛艦乗員服務規則などにより、艦長の承認を得て艦橋当直士官が操船に当たるが、船務長兼補給長(以下「船務長」という。)であるB指定海難関係人が艦長から目的地や予定航路などを命じられたのち、現在地点から目的地までの針路を海図上で設定し、艦長に報告して承認を得ることとしており、また、航海員であるC指定海難関係人がたえず船位を確認して、設定した針路線からの偏位や障害物との距離などを艦長や艦橋当直士官に報告することとなっていた。
C指定海難関係人は、反転するまで使用していた海図第1166号(以下「使用海図第1166号」という。)には、それまでの015度の針路しか記入されていなかったことから、宮津湾への針路線の目安として、黒埼灯台から045度7.6海里の地点から230度の線を鉛筆で薄く引き、適宜船位を海図に記入する作業に当たったが、同海図には、若狭湾西部沿岸の定置網の設置状況が記入されていなかった。

一方、B指定海難関係人は、昇橋後C指定海難関係人に宮津に行く針路は海図に入っているかと尋ねたところ、同人が見せた海図台に出ている使用海図第1166号に230度の針路線が鉛筆により薄く引かれており、C指定海難関係人が船位を確認する目安で引いたと説明したが、宮津湾口のほぼ中央部に向かって針路線が引かれてあったことから、A指定海難関係人も承認したものと考え、自ら定置網の設置状況が記入されている海図第1166号及び同第118号を用意し、これらに針路を設定し、同人の承認を得なかった。
A指定海難関係人は、19時05分鷲埼灯台から068度3.4海里の地点に達したとき、C指定海難関係人が「ただ今転針点、次の針路230度」と艦橋当直士官の機関長に報告し、機関長が同針路を操舵手に命じて、10.7ノットの速力で進行し、同時12分同じようにして240度に転針した様子をいすに座ったまま聞き、既にB指定海難関係人が入航針路を設定したものと考え、自らの承認を得ていなかったが、同人に任せたつもりで、針路設定を報告させ、承認を得ることを要求しないまま、折からの西北西の風波を右舷側に受けながら続航した。

こうして、のとは、若狭湾西部を南下中、入航針路の設定が行われておらず、C指定海難関係人が船位を使用海図第1166号に入れる作業を行っていたものの、A指定海難関係人もB指定海難関係人も同海図を見て船位の確認を行わないまま航行し、若狭湾西部沿岸にある京都府宮津市養老漁業協同組合が設置した京定第24号と称する定置漁業権漁場の定置網(以下「京定第24号定置網」という。)に接近する状況となったが、A指定海難関係人もB指定海難関係人もこのことに気付かなかった。
京定第24号定置網は、黒埼灯台から357度2.0海里にあたる、北緯35度37分41秒東経135度15分18秒の地点を基点に、北緯35度37分23秒東経135度15分59秒、北緯35度37分30秒東経135度16分07秒、北緯35度37分29秒東経135度16分10秒(以下「ア地点」という。)、北緯35度37分15秒東経135度16分01秒(以下「イ地点」という。)、北緯35度37分32秒東経135度15分12秒の各地点を順次結んだ線により囲まれる区域海面に設置されていた。また、ア地点から119度250メートルの地点及びイ地点から141度250メートルの地点に、光達距離6.5キロメートル、毎4秒1閃光の白色太陽電池式簡易灯浮標(以下「白色灯浮標」という。)がそれぞれ設置されていた。

その後、B指定海難関係人は、19時20分艦橋当直士官を機関長と交替したものの、依然として定置網の設置状況が記入されている海図第1166号及び同第118号に針路を設定してA指定海難関係人の承認を得ず、また、同海図も見ないまま、同時27分船首方の停泊船を替わすため針路を225度、同時28分220度に転じ、同船が右舷側に替わったので同時30分鷲埼灯台から194.5度2,770メートルの地点で、240度の針路に戻して10.4ノットの速力で進行し、同時32分C指定海難関係人から目的地まで5海里との報告を受けたことから、この旨を艦内放送させた。
このころ、C指定海難関係人は、宮津湾口が近いので使用海図第1166号から定置網の設置状況が記入されている海図第118号(以下「使用海図第118号」という。)に替え、目的のB5錨地から逆に平素定めていた宮津湾口に向かう入航針路の223度の針路線を記入し、これにGPSにより船位を測定して記入したところ、京定第24号定置網に接近することを知ったが、同定置網までまだ距離があるからと考え、このことをB指定海難関係人に報告しないまま、19時32分の船位が自らが記入した223度の針路線より左に500メートル偏位しているのでこの旨を同人に報告した。

これを聞いたB指定海難関係人は、右舷側からの風波の影響を受けて左に圧流されていると思ったことから、使用海図第118号を見ないまま、19時34分250度の針路に転じるよう令したところ、同時35分半ほぼ正船首方1,000メートルに白色灯浮標の灯光を視認したが、定置網の標識灯とは思わず、同時36分刺網の灯火のように思えたのでこれを替わすため針路を260度に転じた。
その後、B指定海難関係人は、右方に寄り過ぎることから19時38分針路を250度に戻し、双眼鏡で前方の監視に当たって続航中、同時39分少し過ぎ左舷船首方300メートルばかりに京定第24号定置網に付された浮子を視認し、左舵一杯、全速力後進を令したところ、これを制してA指定海難関係人が両舷機全速力前進、右舵一杯を令したが、19時40分黒埼灯台から017.5度3,120メートルの地点において、のとは、原針路、原速力のまま、京定第24号定置網に衝突した。

当時、天候は雨で風力6の西北西風が吹き、潮候は上げ潮の末期であった。
A指定海難関係人は、その後、機関を停止し、各方面に連絡のうえ、養老漁業協同組合の許可を受けて衝突地点付近の定置網内に左舷錨を投じて錨泊したのち、損傷調査に当たり、翌10日早朝同網を切断して、海上自衛隊の引船により舞鶴港に引き付けられた。
衝突の結果、のとは、両舷推進器に定置網が絡み、推進器翼の一部に欠損等を生じると共に、音響測深儀の送受波器及び電磁ログの受感部を変形し、京定第24号定置網は、一部を切断するなどの損傷を生じたが、のちいずれも修理された。
A指定海難関係人は、その後海上自衛隊から指導を受け、事故防止対策実施報告を行い、事故再発防止に努めた。
B指定海難関係人は、その後海上自衛隊及びA指定海難関係人から指導教育を受け、事故再発防止に努めた。

C指定海難関係人は、その後A指定海難関係人及びB指定海難関係人から指導教育を受け、事故再発防止に努めた。

(原因)
本件定置網衝突は、夜間、若狭湾西部において、荒天のため反転して宮津港に帰航するに当たり、入航針路の設定及び船位の確認が不十分で、定置網に向首して進行したことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、艦長が入航針路を設定して報告しなければならない船務長に対し、針路設定を報告させ、承認を得ることを要求しなかったこと、船務長が定置網の設置状況が記入されている各使用海図に針路を設定し、艦長の承認を得なかったこと及び航海員が定置網に接近することを知った際、このことを上官に報告しなかったことによるものである。


(指定海難関係人の所為)
A指定海難関係人が、夜間、若狭湾西部において、荒天のため反転して宮津港に帰航するに当たり、船務長に対し、針路設定を報告させ、承認を得ることを要求しなかったことは、本件発生の原因となる。
A指定海難関係人に対しては、事後海上自衛隊から指導を受け、事故防止対策実施報告を行い、事故再発防止に努めていることに徴し、勧告しない。
B指定海難関係人が、夜間、若狭湾西部において、荒天のため反転して宮津港に帰航するに当たり、針路を設定し、艦長の承認を得なかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、事後海上自衛隊及びA指定海難関係人から指導教育を受け、事故再発防止に努めていることに徴し、勧告しない。
C指定海難関係人が、夜間、若狭湾西部において、荒天のため反転して宮津港に帰航するに当たり、定置網に接近することを知った際、このことを上官に報告しなかったことは、本件発生の原因となる。

C指定海難関係人に対しては、事後A指定海難関係人及びB指定海難関係人から指導教育を受け、事故再発防止に努めていることに徴し、勧告しない。

よって主文のとおり裁決する。






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