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2000年(平成12年)

平成11年横審第120号
    件名
貨物船第十青雲丸貨物船ジンダ衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年8月31日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

半間俊士、西村敏和、向山裕則
    理事官
関隆彰

    受審人
A 職名:第十青雲丸船長 海技免状:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
    指定海難関係人

    損害
青雲丸・・・・・左舷船尾部に凹損
ジンダ・・・・・球状船首を含む右舷船首部に凹損

    原因
ジンダ・・・・・動静監視不十分、追い越しの航法(避航動作)不遵守(主因)
第十青雲丸・・・見張り不十分、警告信号不履行、追い越しの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第十青雲丸を追越すジンダが、動静監視不十分で、第十青雲丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第十青雲丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年1月15日05時43分
東京湾浦賀水道航路
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第十青雲丸 貨物船ジンダ
総トン数 499トン 3,994トン
全長 72.72メートル 107.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,029キロワット 3,912キロワット
3 事実の経過
第十青雲丸(以下「青雲丸」という。)は、船尾船橋型鋼製貨物船で、A受審人ほか4人が乗り組み、鋼材1,540トンを積載し、船首3.75メートル船尾4.80メートルの喫水をもって、平成11年1月13日07時35分大分港を発し、千葉港に向かった。
翌々15日04時00分A受審人は、相模灘に至り、城ケ島灯台から209度(真方位、以下同じ。)8.2海里の地点で、昇橋して船橋当直に就き、航行中の動力船の灯火を表示し、6海里レンジとしたレーダーや目視により周囲の見張りを行い、自動操舵で浦賀水道に向かっていたところ、自船を追越す船舶はいずれも右舷側を航過していくのを認め、05時11分ごろ剱埼灯台の東方2.4海里ばかりのところをほぼ037度の針路で北上しているとき、右舷後方にジンダを含む数隻の自船より速い速力の同航船を認めたものの、これまで追越していった船舶の状況と、左舷後方に同航船を認めなかったので、左舷後方の見張りを十分に行わないまま進行した。

05時33分A受審人は、浦賀水道航路南口(以下「航路南口」という。)から1.7海里ばかり手前の観音埼灯台から165度4.4海里の地点で、航路南口に向けることとし、自船より速い同航船には右舷側を追越してもらうつもりで、航路南口の浦賀水道航路中央第1号灯浮標(以下、灯浮標については「浦賀水道航路」を省略する。)寄りに向首するよう、針路を019度に定め、機関を引き続き全速力前進にかけ、10.2ノットの対地速力で、前路に存在する数隻の漁船を手動操舵として適宜替わしながら続航した。
05時40分A受審人は、航路南口から850メートルばかり手前にあたる、観音埼灯台から153度3.4海里の地点で、ジンダを左舷船尾9度430メートルのところに認め得る状況にあり、同船が自船の右舷側から左舷側に替わって追越す態勢になったが、航路南口付近で船舶が収斂(しゅうれん)する状況であったものの、追越し船は自船の右舷側を追越していくものと思い、依然左舷後方の見張りを十分に行わなかったので、その後ジンダが自船の左舷船尾方から急速に接近し、衝突のおそれが生じていたことに気付かず、警告信号を行わず、針路を保持するなど、衝突を避けるための協力動作をとらないまま、浦賀水道航路に入航するため、同時42分観音埼灯台から149度3.2海里の地点で、針路を同航路に沿う000度に転じ、自動操舵として進行中、同時43分少し前左舷後方を見たところ、ジンダの紅、緑2灯を初めて認め、危険を感じて手動操舵に切り替えたのみで何もできず、05時43分観音埼灯台から148度3.1海里の地点において、000度を向き、原速力のままであった青雲丸の左舷船尾に、ジンダの船首が後方から40度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で、風力4の北北西風が吹き、浦賀水道航路は北西流から南東流への転流期であった。
また、ジンダは、船尾船橋型鋼製コンテナ船で、船長B、一等航海士Cほか19人が乗り組み、コンテナ57個を積載し、船首4.65メートル船尾6.25メートルの喫水をもって、同月14日15時45分名古屋港を発し、京浜港横浜区に向かった。
翌15日04時00分C一等航海士は、相模灘に至り、城ケ島灯台から211度14.1海里の地点で、昇橋して前直の二等航海士から船橋当直を引継ぎ、航行中の動力船の灯火を表示し、操舵手とともに船橋当直に就き、05時15分剱埼灯台から124度3.8海里の地点で、針路を第2号灯浮標に向けて019度に定め、機関を引き続き全速力前進にかけ、14.5ノットの対地速力で、操舵手を手動操舵に当たらせて進行した。

C一等航海士は、05時33分観音埼灯台から166度5.0海里の地点で、前路の漁船を避けるため、針路を中央第1号灯浮標に向かう009度に転じ、同時34分左舷船首11度1,100メートルのところに青雲丸の船尾灯を初めて認めた。
05時35分B船長は、中央第1号灯浮標の手前1.7海里の地点で、昇橋して操船の指揮を執り、このとき左舷船首方にいる青雲丸を認め、同時36分浦賀水道航路入航に備え、機関用意を令して対地速力を13.9ノットとし、同時37分青雲丸をほぼ正船首750メートルのところに見るようになり、その後、同船の左舷側を追越す態勢となって続航した。
B船長は、05時40分航路南口から1,200メートルばかり手前にあたる、観音埼灯台から156度3.6海里の地点で、青雲丸を右舷船首19度430メートルに見るようになったとき、自船が青雲丸に航路南口付近で追いつき、同船が航路に沿って航行するために左転して中央第1号灯浮標と同船の間隔が狭くなる状況であったが、安全に替わる十分な余地のある同船の右舷側を追越す態勢にしないまま、同灯浮標と同船の間を追越すことができると思い、同船に対してその左舷側を追越す旨の信号を行わなかったばかりか、同船に対する動静監視を十分に行うことなく、浦賀水道航路入航時に同航路航行の制限速力となるように減速もせず、同船の進路を避けないまま進行し、同時42分中央第1号灯浮標と青雲丸の間に向けて028度に転じたところ、同時42分半右舷船首方の青雲丸に急速に接近することに気付き、機関停止、右舵一杯としたが及ばず、ジンダは040度を向き、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、青雲丸は、左舷船尾部に凹損を生じたがのち修理され、ジンダは、球状船首を含む右舷船首部に凹損を生じた。


(原因)
本件衝突は、夜間、浦賀水道航路南口付近において、青雲丸を追越すジンダが、動静監視不十分で、青雲丸の進路を避けなかったことによって発生したが、青雲丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、夜間、入航船舶が収斂する浦賀水道航路南口付近において、同航路への入航針路にするため左転する場合、転針側になる左舷後方から接近するジンダを見落とすことのないよう、左舷後方の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、自船が中央第1号灯浮標寄りに航行しており、追越す他船は右舷側を追越していくものと思い、左舷後方の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、左舷後方から接近するジンダと衝突のおそれが生じていることに気付かず、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらないまま進行して同船との衝突を招き、青雲丸の左舷船尾部に凹損を生じさせ、ジンダの球状船首を含む右舷船首部に凹損を生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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