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2000年(平成12年)

平成11年横審第94号
    件名
貨物船和昌丸漁船成眞丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年7月26日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

猪俣貞稔、勝又三郎、向山裕則
    理事官
小金沢重充

    受審人
A 職名:和昌丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:成眞丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
和昌丸・・・右舷船尾部外板に凹損ほかハンドレールに折損
成眞丸・・・船首部を損壊

    原因
和昌丸・・・動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
成眞丸・・・居眠り運航防止措置不十分、警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、和昌丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る成眞丸の進路を避けなかったことによって発生したが、成眞丸が、居眠り運航防止の措置が不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年6月2日23時10分
千葉県野島埼東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 貨物船和昌丸 漁船成眞丸
総トン数 499トン 4.7トン
全長 64.50メートル
登録長 60.12メートル 11.90メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 956キロワット 316キロワット
3 事実の経過
和昌丸は、船尾船橋型のケミカルタンカーで、A受審人ほか6人が乗り組み、アセトン約980トンを載せ、船首3.7メートル船尾4.6メートルの喫水をもって、平成10年6月2日16時45分千葉港を発し、新潟港に向かった。
A受審人は、出港操船の後、夕食を済ませて浦賀水道航路の操船指揮を執り、19時50分に同航路を出航した後引き続き20時から24時までの船橋当直に就き、22時30分野島埼灯台から128度(真方位、以下同じ。)4.5海里の地点において、針路を059度に定め、機関を全速力前進にかけ、9.5ノットの対地速力で自動操舵により進行した。

22時57分A受審人は、安房白浜港灯台(以下「白浜灯台」という。)から108度5.2海里の地点に達したとき、6海里レンジのレーダーで右舷船尾77度2.5海里のところに成眞丸の映像を探知し、次いで肉眼によって同船の白、紅2灯を確認したが、同船の自船正横からの方位を確かめるなどその動静監視を十分に行わなかったので、一瞥(べつ)して追越し船と見誤り、自船の正横後13度方向から来航していることに気付かなかった。
23時00分A受審人は、海図に同時刻の観測船位を記入していたとき、成眞丸の方位が変わらないまま2海里に接近し、前路を左方に横切り衝突のおそれが生じたが、追越し船である同船の方で自船を避けていくものと思い、依然動静監視が不十分で、このことに気付かず、成眞丸の進路を避けないまま続航し、同時10分少し前自船の右舷船尾部至近に迫っている成眞丸を認め、注意を喚起するつもりで投光器で照射するとともに右舵をとったが、及ばず、23時10分白浜灯台から094度6.9海里の地点において、和昌丸は、ほぼ原針路、原速力のまま、その右舷船尾部に、成眞丸の左舷船首部が、後方から42度の角度で衝突した。

当時、天候は曇で風力3の北東風が吹き、海上にはやや波が立っていた。
また、成眞丸は、一本釣り漁業に従事するFRP製漁船で、B受審人ほか1人が乗り組み、操業の目的で、船首0.2メートル船尾1.8メートルの喫水をもって、同年5月31日12時00分千葉県鴨川漁港を出航し、翌6月1日02時ごろ八丈島南西方80海里ばかりの漁場に至り、立縄漁法による操業を始め、19時ごろ切り上げて漁場を移動し、2日未明八丈島北西方20海里ばかりのところで再び操業に掛かり、金目鯛約300キログラムを漁獲して操業を切り上げ、同日16時00分三宅島南方45海里のところを発し、鴨川漁港への帰途についた。
B受審人は、発航後、自ら操船に当たり、19時50分ごろ三宅島東側に至り、坪田港防波堤灯台沖からGPSに入力してある針路に従って鴨川湾沖に向けて北上し、その後は適宜甲板員として乗船している実弟と操船を交替するつもりでいたが、2昼夜にわたる操業とその合間における漁場移動で十分な睡眠時間がとれなかったことから実弟が熟睡しているので、自分が引き続き操船に当たった。

B受審人は、適宜針路を修正しながら北上中、22時37分野島埼灯台から146度10.1海里の地点に至り、船首が027度を向いていたとき、6海里レンジのレーダーで左舷船首37度6.0海里のところに和昌丸の映像を探知し、その後肉眼によって同船の白、白、緑3灯を認め、これを見守るうち針路が交差しているのを知り、同時48分白浜灯台から142度8.0海里の地点に達したとき、同船を左舷船首41度4.0海里に見て、同船の後方から左舷側に出るつもりで、針路を022度に定め、機関を全速力にかけ、17.0ノットの対地速力で進行した。
22時57分B受審人は、白浜灯台から125度7.1海里の地点で、和昌丸を左舷船首40度2.5海里に見て、針路を017度に転じたところ、23時00分には同船との方位が変わらないまま2海里に接近し、前路を右方に横切り衝突のおそれが生じたが、5度左転したことで同船の船尾を航過する態勢になったつもりとなり、その動静監視をしないまま、椅子に腰掛けて見張りに当たっているうち、操業中の疲労と睡眠不足が重なって眠気を催したが、鴨川港まで1時間弱の航程になったので、居眠りすることはあるまいと思い、実弟の甲板員と操船を交替するなど居眠り運航防止の措置をとることなく、いつしか居眠りに陥り、警告信号を行うことも、間近に接近したとき衝突を避けるための協力動作もとらずに続航中、前示のとおり衝突した。

B受審人は衝撃で目覚め、衝突の事実を知り、事後の措置に当たった。
衝突の結果、和昌丸は右舷船尾部外板に凹損ほかハンドレールに折損を生じ、成眞丸は船首部を損壊したが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件衝突は、夜間、野島埼東方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれがある態勢で接近中、房総半島に沿って北上する和昌丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る成眞丸の進路を避けなかったことによって発生したが、八丈島北西方の漁場から鴨川漁港に向けて帰航する成眞丸が、居眠り運航防止の措置が不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、夜間、野島埼東方沖合において、右舷正横やや後方から来航する成眞丸の白、紅2灯を視認した場合、自船正横からの方位を確かめるなど動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、一瞥しただけで後方からの追越し船と見誤り、同船の方で自船を避けていくものと思い、成眞丸の動静監視を行わなかった職務上の過失により、同船が自船の正横後13度方向から接近し、前路を左方に横切り衝突のおそれが生じていることに気付かず、成眞丸の進路を避けずに進行して、同船との衝突を招き、和昌丸の右舷船尾部外板に凹損ほかハンドレールに折損を生じ、成眞丸の船首部を損壊させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

B受審人は、夜間、八丈島北西方の漁場から鴨川漁港に向けて帰航するに当たり、野島埼東方沖合において、前路左方に和昌丸の白、白、緑3灯を認めた状況で、操業中の疲労もあって眠気を催した場合、居眠り運航とならないよう、実弟の甲板員と操船を交替するなど居眠り運航防止の措置をとるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、鴨川漁港まで1時間弱の航程になったので、居眠りすることはあるまいと思い、実弟の甲板員と操船を交替するなど居眠り運航防止の措置をとらなかった職務上の過失により、その後居眠りに陥り、同船が前路を右方に横切り衝突のおそれが生じていることに気付かず、警告信号を行うことも、衝突を避けるための協力動作をとることもできないまま進行して、和昌丸との衝突を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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