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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成11年4月13日11時40分 山口県宇部港 2 船舶の要目 船種船名
油送船第一ふじ丸 油送船十七冨士丸 総トン数 2,470トン 1,599トン 全長 95.02メートル
91.61メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 2,353キロワット
1,912キロワット 3 事実の経過 第一ふじ丸は、船尾船橋型油送船で、A受審人ほか11人が乗り組み、空倉のまま、船首2.60メートル船尾4.05メートルの喫水をもって、平成11年4月12日13時40分鹿児島港を発し、山口県宇部港に向かい、翌13日10時35分同港港域内の、本山灯標から302度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点に至って着桟時間調整のため投錨仮泊し、11時20分一等航海士及び甲板長などを船首に、機関長を船橋での機関操作に、操舵手を手動による操舵にそれぞれ就け、A受審人が操船の指揮をとって同錨地を発し、港内の西部石油株式会社山口製油所専用桟橋(以下「専用桟橋」という。)に向かった。 ところで、専用桟橋は、周防灘に向けて南に開いた宇部港の西端付近にあり、長さ約800メートルの東に面した埠頭から東方に向けて等間隔で設置されている7本の桟橋からなり、北側から順に1、2、3、5、6、7及び8号とそれぞれ称され、8号の先端部は、本山灯標から314度4.4海里の地点に位置していた。 また、専用桟橋の東方1,400メートルばかりの護岸に、南方に向けて設置されている石灰石専用の西沖の山桟橋があり、同桟橋と専用桟橋とに離着桟する船舶のため、沖合から通称西沖航路と呼ばれる幅約130メートル長さ1.2海里ばかりの掘り下げ水路がほぼ南北方向に設けられており、同水路南端部に宇部港本山第1号及び同第2号灯浮標(以下灯浮標の名称については「宇部港本山」を省略する。)が、同水路のほぼ中間東側に第4号灯浮標が、北端部に第5号及び第6号灯浮標がそれぞれ設置されていた。さらに、同水路の北端に接続して西沖の山桟橋に至る幅約300ないし500メートル奥行き約1,500メートルの掘り下げ水路と、専用桟橋前に至る幅約500メートル奥行き約1,500メートルの水深5メートル以上の水域がそれぞれ設けられ、そのY字状の分岐部に紅色浮標が設置されていた。 そして、西沖航路から専用桟橋に向かう油送船は、同桟橋8号の東方沖合300ないし400メートルのところで一旦行き脚を止め、着桟支援のためのタグボートから目的桟橋に掲げられている旗と同色の旗及びトランシーバーを受け取り、同旗をマストに掲げるとともに、トランシーバーで着桟手順の打合せを行ったのち目的桟橋に移動することになっており、同油送船が漂泊している時間は、桟橋の事情等にもよるが、おおむね3分間から10分間ぐらいで、このことは専用桟橋に数十回も着桟した経験があるA受審人もよく承知していた。 こうして、A受審人は、専用桟橋7号に着桟する予定で、機関を約6ノットの微速力前進にかけて西沖航路に向け航行を開始したところ、11時23分同航路内第4号灯浮標付近に、自船より先に入航して専用桟橋に向かっている十七冨士丸を初めて視認し、VHF無線電話を使って同船を呼び出してその着桟予定を確かめようとしたが、応答がなかったことから、同船は直ぐに着桟するはずであるが、もし専用桟橋沖合での漂泊が長引いたときには、当時西南西の風が強かったので、自船は、いつものように第5号及び第6号灯浮標を通過したところで漂泊待機せずに、西沖の山桟橋の沖合で投錨仮泊すればよいと思い、同時29分ごろ十七冨士丸に続いて第2号灯浮標と第4号灯浮標との中間付近から西沖航路に入航した。 11時31分半A受審人は、専用桟橋8号先端部から148度1,900メートルの地点において第4号灯浮標に並航したとき、折からの強風を左舷正横から受け、圧流されて航路東側に広がっているのりひびに乗り入れることがないよう、適宜当て舵をとりながら、実航針路を西沖航路にほぼ沿う344度に定め、舵効を強めるため機関を港内全速力前進にかけて10.0ノットの対地速力で進行した。 間もなくA受審人は、十七冨士丸が速力を緩めながら専用桟橋沖合の待機地点に近づいているのを認め、自船も機関を半速力前進、続いて微速力前進へと減速するとともに圧流状況を確認しながら続航した。 11時35分半A受審人は、専用桟橋8号先端から130度920メートルの地点において、7.0ノットの対地速力をもって第6号灯浮標を右舷側に航過したとき、左舷船首15度650メートルのところで十七冨士丸が行き脚を止めて折からの強風で東方に圧流されながら漂泊し、すでにタグボートが接舷しているのを認め、そのまま惰力進行すると、十七冨士丸と著しく接近する状況であったが、同船が着桟のため直ぐに移動するものと思い、同船に著しく接近しないよう、機関を使用して速やかに行き脚を止めたり、仮泊のため針路を紅色浮標より右に転じて西沖の山桟橋南側の水路に向かったりするなど、十七冨士丸を避ける措置をとることなく、機関を停止しただけで、同一針路のまま進行した。 間もなくA受審人は、依然十七冨士丸が漂泊を続けているので自船の存在を知らせるつもりで汽笛を連吹しながら同船に接近し、11時39分少し過ぎ、専用桟橋8号先端から098度560メートルの地点に達して十七冨士丸の船尾が自船船首の左舷前方至近に接近したとき、ようやく行き脚を止めるため左舷錨の投下を令し、引き続き機関半速力後進を指示したところ、錨が効き始めたころに船首が左に振れて十七冨士丸の船尾に向かう態勢となり、11時40分専用桟橋8号先端部から085度510メートルの地点において、第一ふじ丸は、約2ノットの残速力をもって324度に向首した状態で、その左舷船首部が十七冨士丸の右舷船尾部に後方から20度の角度で衝突した。 当時天候は曇で、風力6の西南西風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。 また、十七冨士丸は、主に宇部港と石川県金沢港との間を航行する船尾船橋型油送船で、B受審人ほか9人が乗り組み、空倉のまま、船首2.30メートル船尾5.40メートルの喫水をもって、平成11年4月11日23時00分金沢港を発して宇部港に向かい、翌々13日11時00分同港港外の、第1号灯浮標の南西方1,100メートルばかりの地点に至って行き脚を止め、船舶電話で代理店に着桟予定を尋ねたところ、6号に着桟するので11時30分ごろ専用桟橋沖合に来るようにとの指示を受け、一等航海士及び甲板長などを船首に、機関長を船橋にそれぞれ配し、B受審人自らが手動による操舵を兼ねて操船にあたり、時間調節のため機関を種々使用しながら6.0ノットの対地速力で西沖航路に向かった。 11時19分B受審人は、第1号灯浮標の北方500メートルばかりのところから西沖航路に入り、同時29分専用桟橋8号先端から130度830メートルの地点において第5号灯浮標を左舷に並航したとき、針路を同桟橋8号の東側に向かう330度とし、機関を停止して惰力で進行し、同時35分半同桟橋8号先端部から094度360メートルの地点で行き脚を止め、着桟支援のため接舷してきたタグボートから着桟予定の桟橋6号を示す旗とトランシーバーを受け取り、同旗をマストに掲げたうえ、トランシーバーで着桟手順等の打合せをタグボートと始めた。 B受審人は、行き脚を止める少し前、機関長から船尾方向1,000メートルばかりのところに自船と同じく専用桟橋に向かって入航中の第一ふじ丸の存在を知らされ、同船は自船が桟橋に移動を開始するまでの間、適切な距離を保って待機するものと考え、その後着桟手順の打合せを行っていたところ、間もなく第一ふじ丸が吹鳴する汽笛音を聞き、同船の方を見て自船に接近し過ぎるのではないかと思ったところ、11時39分少し過ぎ、同船が左舷錨を投じたのち自船の船尾付近に向かう態勢となったので、驚いて機関を微速力前進、続いて全速力前進にかけたが、前進行き脚を生じたころ、十七冨士丸は344度に向首した状態で、前示のとおり衝突した。 衝突の結果、第一ふじ丸は船首左舷側のハンドレールなどに曲損を、十七冨士丸は船橋楼右舷側ボートデッキ付近囲壁に亀裂を伴う凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(原因) 本件衝突は、山口県宇部港内の製油所専用桟橋前の水域において、第一ふじ丸が、着桟手順の打合せをするために漂泊している十七冨士丸を避けなかったことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、強風下、山口県宇部港内の製油所専用桟橋に向けて入航中、前路の専用桟橋前の水域において、着桟手順打合せのために漂泊している十七冨士丸を認めた場合、同船と十分に距離を保ったところで行き脚を止めて待機するなど、同船を避けるべき注意義務があった。ところが、同人は、十七冨士丸が間もなく桟橋に向けて移動を開始するものと思い、行き脚を止めて待機するなど、同船を避けるための措置をとらなかった職務上の過失により、著しく接近する態勢のまま進行して同船との衝突を招き、第一ふじ丸の船首左舷側ハンドレールなどに曲損を、十七冨士丸の船橋楼右舷側囲壁に亀裂を伴う凹損を、それぞれ生じさせるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図
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