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2000年(平成12年)

平成10年門審第95号
    件名
貨物船第六十一幸栄丸漁船末廣丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年6月20日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

供田仁男、米原健一、西山烝一
    理事官
坂爪靖

    受審人
A 職名:第六十一幸栄丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
幸栄丸・・・船首部船底外板に擦過傷
末廣丸・・・転覆、沈没、のち廃船、船長が左側頭挫創等

    原因
幸栄丸・・・見張り不十分、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
末廣丸・・・見張り不十分、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第六十一幸栄丸が、見張り不十分で、漂泊中の末廣丸を避けなかったことによって発生したが、末廣丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年5月6日14時45分
熊野灘
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第六十一幸栄丸 漁船末廣丸
総トン数 698トン 1.21トン
全長 82.02メートル
登録長 6.76メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット
漁船法馬力数 9
3 事実の経過
第六十一幸栄丸(以下「幸栄丸」という。)は、船首部甲板上にジブクレーン1基を装備した船尾船橋型の石材運搬船兼貨物船で、A受審人ほか5人が乗り組み、空倉のまま、船首2.1メートル船尾3.4メートルの喫水をもって、平成9年5月6日10時40分愛知県蒲郡港を発し、三重県吉津港に向かった。
A受審人は、出港操船に続いて単独の船橋当直に就き、14時00分三重県大王埼東方沖合に達したころ、布施田水道の通航方法を学ぶために昇橋した二等航海士を手動操舵にあたらせ、操舵室内中央部の操舵スタンド後方からはジブクレーンによって正船首方に10度の死角を生じていたので、同室内を左右に移動しながら、専ら自らが見張りを行って志摩半島南岸沖合を西行した。

14時25分A受審人は、布施田水道の東口に差し掛かり、操船の指揮を執ってこれを通航し、14時33分半布施田灯標から064度(真方位、以下同じ。)800メートルの地点で、二等航海士に命じて針路を吉津港の港外に向く267度に定め、機関を全速力前進にかけたまま、12.5ノットの対地速力で進行した。
14時35分半A受審人は、布施田灯標を左舷側310メートルに並航して熊野灘に出たころ、海図に吉津港への針路線を記入することとし、二等航海士に船首方の見張りについて指示しないまま、間もなく操舵室の左舷側後部に赴き、船首方を背にして海図台に向き合ううち、同時43分同灯標から273.5度1.6海里の地点に達したとき、正船首770メートルに左舷側を見せて漂泊している末廣丸を視認することができ、その後衝突のおそれがある態勢で同船に接近するのを認め得る状況となった。

しかし、A受審人は、この付近ではいつも北方の陸地寄りに小型漁船を見かけるだけであったことから、前路に他船はいないものと思い、見張りを行っていなかったので、同状況に気付かず、針路線の記入を終えたのちも依然として船首方に背を向け、昇橋した一等機関士と燃料油の切換え時期を打ち合わせ、末廣丸を避けることなく続航中、14時45分布施田灯標から272度2.0海里の地点において、幸栄丸は、原針路、原速力で、その船首が末廣丸の左舷側前部に直角に衝突し、同船を乗り切った。
当時、天候は曇で風力1の南西風が吹き、視界は良好であった。
A受審人は、衝突したことに気付かずに航行を続け、16時00分吉津港に入港し、翌7日10時00分同港を出港して京浜港川崎区に向かう途中、鳥羽海上保安部の連絡を受けて三重県英虞湾に投錨し、船体検査の結果、船底外板に付着した末廣丸の船体塗料の一部を認め、衝突の事実を知った。

また、末廣丸は、舵柄を設け、後部甲板上に機関操縦装置を備えたFRP製漁船で、船長B(昭和7年4月3日生、一級小型船舶操縦士免状受有、受審人に指定されていたところ平成10年7月20日死亡した。)が1人で乗り組み、遊漁の目的で、船首0.15メートル船尾0.50メートルの喫水をもって、同月6日06時00分英虞湾内の係留地を発し、布施田水道西方の釣り場に向かった。
B船長は、衝突地点よりわずか南方の釣り場を経て、09時30分同地点付近に投錨し、魚釣りをしたのち、帰港することとして、14時30分機関を始動したうえで揚錨作業にかかり、間もなく錨を揚げ終えて再び機関を停止し、漂泊した。
14時43分B船長は、衝突地点において、船首を177度に向け、左舷船首部の甲板上で錨索を片付けていたとき、左舷正横770メートルに自船に向けて来航する幸栄丸を視認することができ、その後同船が衝突のおそれがある態勢で接近するのを認め得る状況となった。

しかし、B船長は、周囲の見張りを十分に行っていなかったので、この状況に気付かず、幸栄丸が更に接近しても機関を始動して移動するなど衝突を避けるための措置をとることなく漂泊を続け、14時45分わずか前左舷正横至近に迫った同船を初めて視認し、船尾方に走って機関を始動しようとしたが時すでに遅く、末廣丸は、船首を177度に向けて、前示のとおり衝突した。
B船長は、衝突の衝撃で海中に投げ出されたものの、近くで魚釣りをしていた船に救助され、幸栄丸が西方に走り去ったことから、鳥羽海上保安部に通報するなど、事後の措置にあたった。
衝突の結果、幸栄丸は、船首部船底外板に擦過傷を生じ、末廣丸は、転覆し、14時55分衝突地点付近で沈没して、のち廃船処理され、B船長が左側頭挫創等を負った。


(原因)
本件衝突は、布施田水道西方の熊野灘において、西行中の幸栄丸が、見張り不十分で、前路で漂泊中の末廣丸を避けなかったことによって発生したが、末廣丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、布施田水道から吉津港に向けて熊野灘を西行する場合、前路の他船を見落とすことのないよう、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、この付近ではいつも北方の陸地寄りに小型漁船を見かけるだけであったことから、前路に他船はいないものと思い、見張りを行わなかった職務上の過失により、末廣丸に気付かず、これを避けることなく進行して衝突を招き、同船を沈没させ、B船長に左側頭挫創等を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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