日本財団 図書館




2000年(平成12年)

平成11年神審第43号
    件名
油送船第七永興丸漁船第八住吉丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年6月29日

    審判庁区分
地方海難審判庁
神戸地方海難審判庁

須貝壽榮、西田克史、小須田敏
    理事官
清水正男

    受審人
A 職名:第七永興丸船長 海技免状:三級海技士(航海)(旧就業範囲)
C 職名:第八住吉丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
永興丸・・・左舷中央部に凹損
住吉丸・・・船首部を圧壊

    原因
住吉丸・・・動静監視不十分、横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
永興丸・・・見張り不十分、警告信号不履行、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、第八住吉丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る第七永興丸の進路を避けなかったことによって発生したが、第七永興丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Cを戒告する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年4月8日02時00分
徳島県伊島南方沖合
2 船舶の要目
船種船名 油送船第七永興丸 漁船第八住吉丸
総トン数 1,514トン 4.9トン
全長 88.82メートル 15.40メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,912キロワット
漁船法馬力数 90
3 事実の経過
第七永興丸(以下「永興丸」という。)は、船尾船橋型油送船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか8人が乗り組み、軽油1,240キロリットル及びガソリン1,830キロリットルを載せ、船首4.3メートル船尾5.9メートルの喫水をもって、平成10年4月7日21時15分大阪港堺泉北区を発し、四国沖経由で福岡県三池港に向かった。
A受審人は、船橋当直をいつものとおり同人及び二等航海士が08時から12時まで、次いでB指定海難関係人、一等航海士の順に両人には甲板員1人を付けた3直4時間交替制で行うことに決め、発航操船後、二等航海士と当直に当たって大阪湾を南下し、翌8日00時00分友ケ島灯台から200度(真方位、以下同じ。)7.5海里の地点で、次直のB指定海難関係人と当直を交替する際、同指定海難関係人が当直には慣れているので大丈夫と思い、見張りを厳重に行うよう指示することなく船橋を退いた。

B指定海難関係人は、前直者から引継ぎを受けて甲板員1人とともに船橋当直に就き、引き続いて針路を191度に定め、機関を全速力前進にかけ、12.0ノットの対地速力で所定の灯火を掲げて自動操舵により進行し、01時40分伊島灯台から099度3.0海里の地点で、針路を室戸岬の少し南に向く221度に転じ、操舵室中央のコンパスの傍らで立って見張りを行いながら続航した。
01時55分B指定海難関係人は、伊島灯台から159度2.9海里の地点に達したとき、左舷船首38度1.8海里のところに、前路を右方に横切る態勢の第八住吉丸(以下「住吉丸」という。)の白、緑2灯を視認することができる状況であり、その後同船の方位が変わらずに互いに接近し、衝突のおそれがあったが、レーダーを活用しなかったばかりでなく、相当直の甲板員ともども、左舷前方の見張りを十分に行っていなかったので、住吉丸の存在に気付かなかった。

こうして、永興丸は、01時58分半住吉丸が避航動作をとらないまま1,000メートルに接近したが、警告信号を行わず、更に間近に接近したとき、機関を後進にかけるなど衝突を避けるための協力動作をとらないでいるうち、同時59分半B指定海難関係人が、左舷船首350メートルのところに同船の白、緑2灯を初めて認め、操舵を手動に切り替えて右舵一杯としたものの及ばず、02時00分伊島灯台から174度3.5海里の地点において、船首が263度を向いたとき、その左舷中央部に住吉丸の船首が後方から70度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力1の西南西風が吹き、視界は良好であった。
A受審人は、住吉丸の接近についての報告が得られないまま、自室で休息していたところ、当直中の甲板員から衝突したことを知らされ、直ちに昇橋して事後の措置に当たった。

また、住吉丸は、船体中央部に操舵室を配置したFRP製漁船で、C受審人が甲板員1人と乗り組み、延縄漁の目的で、船首0.2メートル船尾0.6メートルの喫水をもって、同月7日14時30分徳島県椿泊漁港を発し、15時30分伊島南方13海里付近の漁場に至り操業を開始した。
C受審人は、翌8日01時00分たちうお10キログラムを獲たところで操業を終え、同時30分伊島灯台から159度12.0海里の地点で帰途に就くため、所定の灯火を掲げて発進すると同時に針路を333度に定め、機関を全速力より少し下げ、18.0ノットの対地速力で自動操舵により進行した。
C受審人は、甲板員を発航後間もなく操舵室で休息させ、自身は傍らでいすに腰を掛けて単独の船橋当直に当たり、前方の見張りを行いながら北上中、01時52分伊島灯台から166度5.5海里の地点に達したとき、右舷船首28度3.0海里に前路を左方に横切る態勢の永興丸の白、白、紅3灯を初めて視認し、その動静を見守った。

01時55分C受審人は、伊島灯台から168.5度4.6海里の地点で、永興丸の灯火を右舷船首30度1.8海里に見るようになったとき、その船尾方を航過するつもりで機関の回転数を少し下げ、14.0ノットの対地速力としたところ、方位が変わらずに互いに接近し、衝突のおそれがあったが、減速したので大丈夫と思い、動静監視を十分に行わなかったため、このことに気付かず、速やかに同船の進路を避けなかった。
こうして、住吉丸は、同じ針路及び速力で続航し、01時57分永興丸までの距離が1.1海里になったとき、C受審人が漁具の整理作業を思い立ち、操舵室を離れて船尾甲板に移動し、船首方に背を向け腰を下ろした姿勢で同作業を続けるうち、前示のとおり衝突した。
C受審人は、衝突後、直ちに操舵室に戻り、機関を停止して事後の措置に当たった。
衝突の結果、永興丸は左舷中央部に凹損を生じ、住吉丸は船首部を圧壊したが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件衝突は、夜間、徳島県伊島南方沖合において、両船が互いに進路を横切り衝突のおそれのある態勢で接近中、住吉丸が、動静監視不十分で、前路を左方に横切る永興丸の進路を避けなかったことによって発生したが、永興丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、間近に接近したとき衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
永興丸の運航が適切でなかったのは、船長が、無資格の船橋当直者に対して見張りを厳重に行うよう指示しなかったことと、同当直者が、見張りを厳重に行わなかったこととによるものである。


(受審人等の所為)
C受審人は、夜間、伊島南方沖合において、漁場から椿泊漁港に向けて北上中、右舷船首方に前路を左方に横切る態勢の永興丸の白、白、紅3灯を視認した場合、衝突のおそれの有無を判断できるよう、動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、減速したので大丈夫と思い、動静監視を行わなかった職務上の過失により、永興丸との衝突のおそれに気付かず、操舵室を離れ、船尾甲板において漁具の整理作業を続け、同船の進路を避けないで衝突を招き、永興丸の左舷中央部に凹損を生じさせ、住吉丸の船首部を圧壊させるに至った。
以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人は、夜間、友ケ島水道を通過後、船橋当直を無資格のB指定海難関係人に引き継ぐ場合、見張りを厳重に行うよう指示すべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、B指定海難関係人が船橋当直に慣れているので大丈夫と思い、見張りを厳重に行うよう指示しなかった職務上の過失により、同指定海難関係人が見張りを厳重に行わなかったため、住吉丸の接近についての報告が得られず、警告信号を行うことも、衝突を避けるための協力動作をとることもできないで同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。

以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B指定海難関係人が、夜間、伊島南方沖合において、船橋当直に当たって南下中、見張りを厳重に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
B指定海難関係人に対しては、勧告しない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION