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2000年(平成12年)

平成11年横審第59号
    件名
油送船太洋丸引船第十六鵬栄丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年6月30日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

勝又三郎、猪俣貞稔、吉川進
    理事官
古川隆一

    受審人
A 職名:太洋丸船長 海技免状:五級海技士(航海)(履歴限定)
B 職名:第十六鵬栄丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
太洋丸・・・右舷船首部外板に凹損、ハンドレールに曲損
鵬栄丸・・・左舷船首部ブルワークに軽微の凹損

    原因
鵬栄丸・・・航過距離に対する判断不適切、船員の常務(避航動作)不遵守(主因)
太洋丸・・・注意喚起信号不履行(一因)

    主文
本件衝突は、第十六鵬栄丸が、航過距離に対する判断が不適切で、漂泊して燃料油積込み中の太洋丸を避けなかったことによって発生したが、太洋丸が、注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年12月22日12時30分
京浜港東京第4区羽田東方沖合
2 船舶の要目
船種船名 油送船太洋丸 引船第十六鵬栄丸
総トン数 143トン 19トン
全長 40.83メートル 13.59メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 330キロワット 588キロワット
3 事実の経過
太洋丸は、船尾船橋型の鋼製油タンカーで、A受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、燃料油積込みの目的で、船首0.00メートル船尾1.65メートルの喫水をもって、平成9年12月22日10時30分墨田川沿いの東京都足立区小台町にあるヤマサ総業小台油槽所を発し、京浜港東京区羽田沖合に向かった。
A受審人は、墨田川を下航し、東京西航路を南下して東京西第7号灯浮標を右舷側に見て航過したのち羽田沖合に向けて進行し、12時15分東京城南島沖西仮防波堤東灯台(以下「東灯台」という。)から194度(真方位、以下同じ。)1,370メートルの地点に至り、先に同地点付近に到着していた油タンカーの第3光正丸(以下「光正丸」という。)の右舷側に着舷し、船首を173度に向けて機関を中立回転として錨を投じないまま、光正丸の船首及び船尾と太洋丸の船首及び船尾に係留索を各2本ずつ取り、係留状態のまま、燃料油の積込みを始めた。

12時25分A受審人は、船橋において周囲の見張りを行い、船首が200度を向いていたとき、右舷船尾20度1,250メートルのところから接近する第十六鵬栄丸(以下「鵬栄丸」という。)を視認したが、低速力の状態で接近するので光正丸に用事があって向かっているものと思い、注意喚起信号を行わず、積荷日報の作成と当日予定積荷の油量計算を行うかたわら、燃料油の積込みを続行した。
A受審人は、書類の整理と燃料油積込みを続行中、機関長、甲板長が大声で叫ぶのを聞いて船首方向を見たところ、鵬栄丸が間近に迫っていたがどうすることもできず、12時30分東灯台から194度1,370メートルの地点において、太洋丸が200度を向いたまま、その右舷船首部に鵬栄丸の左舷船首部が後方から30度の角度で衝突した。
当時、天候は曇で風力2の北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。

A受審人は、船橋で行っていた仕事をやめて、事後の措置にあたった。
また、鵬栄丸は、鋼製引船で、B受審人が1人で乗り組み、作業用台船を受け取る目的で、船首1.20メートル船尾2.50メートルの喫水をもって、同日11時40分京浜港東京区芝浦岸壁はしけ溜りを発し、同港横浜区大黒ふ頭東側公共岸壁奥の船溜りに向かった。
B受審人は、東京西航路の西側を大井ふ頭に寄せて南下し、西仮防波堤を左舷側至近に航過して、12時25分東灯台から260度550メートルの地点において、針路を170度に定め、8.0ノットの対地速力で手動操舵により、漂泊中の太洋丸と光正丸を左舷船首方に見る状況で進行した。
12時27分B受審人は、東灯台から219度750メートルの地点に達したとき、左舷船首5度780メートルのところに太洋丸と光正丸とが接舷して漂泊しているのを認めたが、自船の近い方にあたる太洋丸の右舷側を約20メートル離れる状況であったので、無難に航過できるものと思い、その後同船との航過距離に対する判断を適切に行わず、十分な航過距離をとらないまま同船から目を離し、同一の針路及び速力で続航した。

12時30分少し前B受審人は、太洋丸の右舷船首部至近に接近したことに気付き、衝突の危険を感じて直ちに機関を微速力前進としたが、及ばず、12時30分鵬栄丸は、原針路、速力が3ノットになったとき、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、太洋丸は、右舷船首部外板に凹損、ハンドレールに曲損を生じ、鵬栄丸は、左舷船首部ブルワークに軽微の凹損を生じた。


(第三船の存在に対する考察)
B受審人は、同人に対する質問調書中、「衝突直前に漂泊中の2船の陰から船脚の入った舷の低いタンカーが急に現れ、自船の進路を左方から右方に横切る態勢であったので、驚いて漂泊船側にあたる左舵をとってこれを避け、元に戻したとき相手船に衝突した。」旨主張するが、同調書添付の航跡図中、漂泊2船を自船の左舷至近に見る態勢で進行していた図を記載しておりながら、漂泊2船側に転舵しているのは不合理である点及びA受審人の当廷おける、「自船の船首方向、すなわち南側から自船と陸岸の間に向かう態勢は不自然であり、そのような第三船は存在していない。」旨の供述を併せ考え、当海難審判庁は第三船の存在を認めない。


(原因)
本件衝突は、京浜港東京第4区の羽田東方沖合において、同港横浜区大黒ふ頭に向けて南下中の鵬栄丸が、航過距離に対する判断が不適切で、漂泊して燃料油積込み中の太洋丸を避けなかったことによって発生したが、太洋丸が、注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
B受審人は、京浜港東京第4区の羽田東方沖合において、同港横浜区大黒ふ頭に向けて南下中、前路で漂泊中の太洋丸の近くを航過する場合、同船に著しく接近して衝突することのないよう、同船との航過距離に対する判断を適切に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、このまま進行しても安全に航過できるものと思い、太洋丸との航過距離に対する判断を適切に行わなかった職務上の過失により、同船との航過距離を十分にとらずに進行して衝突を招き、太洋丸の右舷船首部外板に凹損、ハンドレールに曲損を、鵬栄丸の左舷船首部ブルワークに凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人が、京浜港東京第4区の羽田東方沖合において、2船係留して漂泊し、燃料油を積込む際、接近する他船に対し注意喚起信号を行わなかったことは、本件発生の原因となる。

しかしながら、A受審人の所為は、光正丸と係留索を取り2船が接舷したまま漂泊していることは明らかである点に照らし、注意喚起信号を行わなかったことをもって職務上の過失とするまでもない。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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