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2000年(平成12年)

平成12年横審第21号
    件名
油送船昭和丸油送船第二十七松山丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年6月27日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、向山裕則
    理事官
伊東由人

    受審人
A 職名:昭和丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
B 職名:第二十七松山丸船長 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
昭和丸・・・船首部に凹損
松山丸・・・左舷船尾部に凹損

    原因
第二十七松山丸・・・速力不適切

    主文
本件衝突は、両船が桟橋に離着桟するにあたり、着桟する第二十七松山丸が、速力を減じないまま桟橋に向けて進入し、離桟して桟橋付近で回頭中の昭和丸を避けなかったことによって発生したものである。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年3月1日11時11分
京浜港横浜第5区
2 船舶の要目
船種船名 油送船昭和丸 油送船第二十七松山丸
総トン数 3,198トン 2,983トン
全長 104.74メートル 104.52メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,942キロワット 2,942キロワット
3 事実の経過
昭和丸は、専ら京浜港横浜第5区の日本石油精製株式会社根岸製油所(以下「日石根岸製油所」という。)から同港東京第2区の東京電力株式会社大井火力発電所(以下「大井火力発電所」という。)向けの燃料油の運搬に従事する、船首尾にサイドスラスタを備えた2基2軸の船尾船橋型油送船で、A受審人ほか10人が乗り組み、平成11年3月1日07時40分同製油所のH1桟橋西側に左舷錨を使用して右舷入り船着けで着桟し、同時55分から原油の積荷役を始め、10時50分原油5,036キロリットルを満載して荷役を終え、直ちに出港準備にとりかかった。

A受審人は、自ら操船の指揮を執り、機関長を機関の操作に、甲板員を手動操舵に就け、10時55分係留索を放ち、船首6.10メートル船尾6.30メートルの喫水をもって、船首尾のサイドスラスタを使用して桟橋から離れ、機関を適宜後進にかけて揚錨を始め、11時00分揚錨を終えて同桟橋を発し、大井火力発電所に向かった。
ところで、根岸湾北部に位置する日石根岸製油所は、多数の入出荷桟橋を有し、同製油所のほぼ中央部には、大型原油タンカー専用のA桟橋があり、その東方に北西側から順にH1からH4桟橋まで4基の出荷用桟橋があって、H1、H2及びH3桟橋が全長103.9メートル、H4桟橋が同124.0メートル、いずれも幅10メートルで、その間隔は、H1、H2及びH3各桟橋間が90メートル、H3、H4両桟橋間が115.5メートルとなっており、126度(真方位、以下同じ。)の岸壁線に対し、各桟橋とも60度の角度をもって186度方向に設置されていた。また、H1桟橋の南端は、横浜金沢木材ふとう東防波堤灯台(以下「東防波堤灯台」という。)から355.5度1.9海里の地点にあたり、同桟橋南端から240度390メートルの地点には、A桟橋の係船用ドルフィンが設置され、当時、H1桟橋西側に昭和丸が着桟していたほか、H3桟橋東側及びH4桟橋両側にそれぞれ油送船が入り船着けで着桟していた。
A受審人は、揚錨を終えて機関を半速力後進にかけ、後進の行きあしがついたところで機関を停止し、後進惰力でほぼ200度方向に後退し、11時04分東防波堤灯台から352度1.7海里の地点にあたる、H1桟橋南端から200度450メートルのところで、右舵一杯をとり、機関を微速力前進にかけ、両サイドスラスタを併用して右回頭を始めたとき、右舷後方1.3海里のところに自船と入れ替わりにH1桟橋に着桟予定の第二十七松山丸(以下「松山丸」という。)を初めて視認したが、通常、自船をはじめ同桟橋に着桟する各船は、特に先船がある場合には、H1桟橋南端から202度760メートルのところに設置された横浜根岸第7号灯浮標(以下、横浜根岸各号灯浮標の名称については「横浜根岸」を省略する。)付近において、先船が出航するのを待ち、桟橋上で着桟旗が掲げられたことを確認したうえで、同灯浮標付近から同桟橋と平行な針路で進入を開始することにしていたことから、松山丸も第5号灯浮標を通過した後、自船の右舷側を第7号灯浮標寄りに迂(う)回するものと思い、同船の動静を監視しながら右回頭を続けた。
11時07分半A受審人は、H2桟橋の南方250メートルのところで右回頭していたとき、松山丸が右舷船首1,100メートルのところにあって、第5号灯浮標を通過した後も自船と桟橋との間の水域(以下「桟橋側水域」という。)に向けて進行するのを認め、同船に対して同水域は両船が安全に行き会うための十分な広さがないことを知らせるつもりで、汽笛で短音2回の操船信号を発し、サイドスラスタは使用せずに、右回頭を止めるために左舵一杯をとり、間もなく右回頭が止まり、少し左回頭が始まったところで舵を中央に戻すとともに機関を停止し、船首が132度を向いて約3ノットとなった速力で進行した。

こうして、A受審人は、前進惰力で続航中、11時09分東防波堤灯台から356.5度1.75海里の地点において、避航の気配を見せないまま右舷船首10度450メートルのところに接近した松山丸に対し、再度短音2回を発して左舵一杯をとり、少し左回頭したところで舵を中央に戻し、船首を岸壁と平行な126度に向け、同時09分半、右舷船首300メートルに迫った松山丸が、依然として、自船の船首方に向けて速力を減じないまま接近するので、衝突の危険を感じ、短音3回を発するとともに機関を全速力後進にかけたが、及ばず、11時11分東防波堤灯台から359度1.67海里の地点において、昭和丸は、わずかに後進の行きあしとなったとき、126度を向いた船首が、松山丸の左舷船尾に後方から80度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の南東風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、視界は良好であった。

また、松山丸は、専ら火力発電所向けの燃料油の運搬に従事する、可変ピッチプロペラとシリングラダーを備えた船尾船橋型油送船で、B受審人ほか10人が乗り組み、空倉のまま、船首2.80メートル船尾4.70メートルの喫水をもって、同年2月26日16時45分水島港を発し、京浜港横浜第5区に向かい、日石根岸製油所での積荷待ちのため、同月28日10時25分東防波堤灯台から115度1.0海里の同区N3錨地に錨泊し、代理店からの連絡を待った。
翌3月1日10時15分ごろB受審人は、代理店からH1桟橋に着桟中の昭和丸が10時50分に荷役が終了し、11時15分離桟予定であるので、同時20分同桟橋に着桟してC重油5,000キロリットルを搭載するよう連絡を受けたが、指定時刻に着桟して荷役を始めると、揚地までの航海時間等の関係で、揚荷が夜間にかかる可能性があることから、昭和丸が離桟した後、できるだけ早く着桟することにし、抜錨準備に取りかかった。

10時50分B受審人は、N3錨地を抜錨し、自ら操船の指揮を執り、機関長を機関の操作に、甲板員を手動操舵とレーダー見張りにそれぞれ就け、同時53分半、機関回転数毎分180(以下同じ。)及び翼角前進5.5度の微速力前進にかけ、H1桟橋に向けて航走を開始し、同時56分昭和丸が同桟橋を離れたのを認め、同時56分半、同7.7度の半速力前進として、7.0ノットの速力まで徐々に増速しながら北上し、横浜蛸根海洋観測灯標を左舷側に170メートル隔てて通過した後、同時58分東防波堤灯台から101度1,710メートルの地点において、針路を337度に定め、同時58分半、同10.3度の港内全速力前進に、更に11時01分半、同13度の航海全速力前進にかけ、12.0ノットの速力まで順次増速し、昭和丸の動静を監視しながら進行した。
11時05分B受審人は、東防波堤灯台から030度1.0海里の地点において、H1桟橋まで1.25海里となったとき、昭和丸がA桟橋のドルフィン付近まで後退した後、ゆっくりと前進しながら右回頭を始めたのを認め、回頭中でまだ出航態勢となっていなかったが、桟橋側水域が目測で約400メートルあるので、同船と左舷を対して無難に通過できると判断し、着桟を急いでいたこともあって、大幅に減速するなどして、同船が出航態勢となり、航走を開始するまで待つことなく、そのまま同桟橋に向けて進入することにした。

11時07分B受審人は、東防波堤灯台から015度1.25海里の地点において、第5号灯浮標を左舷正横190メートルに見て、H1桟橋まで1,570メートルとなったとき、針路を320度に転じ、同桟橋の南方約200メートルのところに向けたところ、昭和丸を正船首わずか左方1,300メートルに見るようになり、桟橋側水域が予測していたよりも狭いことと、自船の速力が速すぎることに気付き、同船と衝突するおそれが生じたが、同船は間もなく右転・増速して出航態勢をとるものと思い、依然として、大幅に減速することも、機関を後進にかけて行きあしを止め、同船を避けることもしないまま続航した。
こうして、B受審人は、H2桟橋付近で回頭中の昭和丸を避けずに進行し、11時09分東防波堤灯台から003度1.5海里の地点に達し、H1桟橋まで800メートルとなり、昭和丸をほぼ正船首450メートルに見るようになったとき、同船と急速に接近したことに衝突の危険を感じたが、そのころ、同船の右舷正横約100メートルのところを湾奥部から発航した小型油送船が東行しており、左舵をとると自船の船首が昭和丸や小型油送船の船体に衝突するおそれがあり、また、右舷側には桟橋があるので大きく右転することもできず、咄嗟(とっさ)に針路を5度右に転じて325度とし、半速力前進に減じたものの、昭和丸が右転・増速して出航することを期待し、直ちに機関を後進にかけ、行きあしを止めて衝突を避けるための措置をとらずに続航中、同船が発した短音2回の操船信号を聞き、間もなく船首が左に回頭したのを認めて衝突の危険を感じ、同時09分半、汽笛で短音1回の操船信号を発して右舵70度をとり、同時10分半、舵効を増すため航海全速力前進まで増速して右に急旋回したが、及ばず、松山丸は、右回頭中の船首が046度を向いてH4桟橋南端を替わったとき、約6ノットとなった速力で、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、昭和丸は、船首部に凹損を、松山丸は、左舷船尾部に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件衝突は、京浜港横浜第5区の日石根岸製油所桟橋付近において、両船が同桟橋に離着桟するにあたり、着桟する第二十七松山丸が、速力を減じないまま同桟橋に向けて進入し、離桟して同桟橋付近で回頭中の昭和丸を避けなかったことによって発生したものである。


(受審人の所為)
B受審人は、京浜港横浜第5区の日石根岸製油所桟橋付近において、同桟橋に着桟するにあたり、離桟して同桟橋付近で回頭中の昭和丸を認めた場合、行きあしを止め、同船が出航態勢となるまで待つなどして同船を避けるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、一見して桟橋付近の水域で昭和丸と左舷を対して安全に行き会うことができると思い、行きあしを止めるなどして回頭中の同船を避けなかった職務上の過失により、着桟を急ぐあまり速力を減じないまま同桟橋に進入して同船との衝突を招き、第二十七松山丸の左舷船尾部に凹損を、昭和丸の船首部に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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