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2000年(平成12年)

平成12年横審第12号
    件名
貨物船菱山丸貨物船サザン マーメイド衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年6月8日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、向山裕則
    理事官
古川隆一

    受審人
A 職名:菱山丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
菱山丸・・・船首部に凹損
サ号・・・左舷船尾部に凹損

    原因
菱山丸・・・動静監視不十分、船員の常務(衝突回避措置)不遵守
サ号・・・・船員の常務(衝突回避措置)不遵守

    主文
本件衝突は、南航中の菱山丸が、動静監視不十分で、南航船の通航路に沿う針路に転じ、衝突を避けるための措置をとらなかったことと、北航中のサザン マーメイドが、同通航路を斜航しながら菱山丸に接近し、衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成11年7月16日17時05分
東京湾中ノ瀬西側海域
2 船舶の要目
船種船名 貨物船菱山丸 貨物船サザン マーメイド
総トン数 1,658トン 5,999トン
全長 98.52メートル 118.00メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,574キロワット 4,192キロワット
3 事実の経過
菱山丸は、専ら京浜港と八戸港間における紙製品の輸送に従事する、可変ピッチプロペラを備えた中央船橋型の鋼製ロールオン・ロールオフ貨物船で、船長B及びA受審人ほか7人が乗り組み、空倉のまま海水バラスト約1,000トンを漲り、船首2.10メートル船尾5.20メートルの喫水をもって、平成11年7月16日15時20分京浜港東京第3区有明10号地その2埋立地ふ頭を発し、八戸港に向かった。
B船長は、船橋当直を自らが8時から12時、A受審人が4時から8時、甲板員が0時から4時までの4時間交替の3直制とし、各直に甲板員1人を就けて見張りに専従させ、1直2人体制を採っていた。また、同船長は、A受審人が菱山丸船長及び一等航海士並びに社船の菱風丸(総トン数1,594トン)船長の休暇下船に伴って臨時に各職に就いており、今航海では菱山丸の前任一等航海士の休暇下船に伴って同職に就いたもので、菱山丸での船長及び一等航海士としての職務経験が長く、京浜港東京区と八戸港間を1箇月に6航海して、東京湾の交通実態などをよく知っていることから、京浜港東京区を出てから浦賀水道航路北口に至るまでの間は同受審人に船橋当直を委ね、同航路においては自らが操船を指揮することにしていた。

B船長は、発航操船に続いて船橋当直に就き、自ら手動操舵に当たり、機関長を翼角の操作に当たらせ、機関回転数毎分210及び翼角前進15度の全速力前進にかけ、13.0ノットの速力で、東京東航路を出航して川崎沖の西水路に向けて南航した。
16時30分A受審人は、東京湾アクアライン風の塔灯から245度(真方位、以下同じ。)2.1海里の地点において、海水バラストの調整を終えて昇橋し、船長と船橋当直を交替して、針路を223度に定め、甲板員を見張りに就け、東京湾中ノ瀬西方第2号灯浮標を左舷船首に見て自動操舵によって進行した。
ところで、東京湾中ノ瀬西側海域では、平成9年に発生した大型原油タンカーの底触・油流出事故を契機に、平成11年東京湾中ノ瀬西方第1号灯浮標から同第3号灯浮標まで3基の整流用灯浮標が、東京湾中ノ瀬B、C及びD各灯浮標(以下、東京湾中ノ瀬西方各号灯浮標等の名称については「東京湾中ノ瀬」を省略する。)の西方ないし北西方にそれぞれ相対して設置され、同海域を南航する船舶は、西方各号灯浮標を左舷側に見て航行し、北航する船舶(京浜港横浜第5区根岸方面に向かう船舶を除く。)は、行き先に向けて所定の針路とするまでは西方各号灯浮標を左舷側に見て航行することなど、航行方法についての行政指導が行われた結果、同航行方法が定着して整流が図られ、西方第2号灯浮標から同第1号灯浮標にほぼ沿った針路線で南航した船舶は、同第1号灯浮標を通過したところで左転し、針路をほぼ180度に転じて浦賀水道航路に向ける針路法を採っていた。
16時54分A受審人は、横浜蛸根海洋観測灯標(以下「蛸根灯標」という。)から045度3.3海里の地点において、西方第2号灯浮標に差し掛かったとき、自ら手動操舵に就き、次の航進目標となる西方第1号灯浮標と浦賀水道航路第5号灯浮標(以下、浦賀水道航路各号灯浮標の名称については「浦賀水道」を省略する。)を確認していたところ、左舷船首35度3.9海里のところに、A灯浮標の西方を北航中のサザン マーメイド(以下「サ号」という。)を初めて視認し、同時55分蛸根灯標から046度3.1海里の地点において、針路を204度に転じ、同時56分西方第2号灯浮標を左舷正横420メートルに見て通過した。
そのころ、東京湾においては、出湾船(以下「南航船」という。)がふくそうする時間帯に当たり、京浜港及び千葉港を出航した南航船が中ノ瀬西側海域で合流して群を成し、菱山丸は大小10数隻から成る一群の最後尾に位置し、菱山丸の右舷船首方に499トン型貨物船(以下「小型船」という。)が、その前方少し離れたところに大型船(以下「先航する大型船」という。)が、更にその前方にも大型船を含む数隻が、また、後方2から3海里にかけて大型コンテナ船のほか2隻の大型船がそれぞれ南航しており、西方第1号灯浮標から浦賀水道航路北口にかけて南航船が切れ目なく連なり、著しくふくそうする状況であった。

17時01分少し過ぎA受審人は、甲板員からサ号の動きがおかしい旨の報告を受け、同船の動静を監視していたところ、サ号が西方第1号灯浮標の南約1海里のところで左転するのを認め、先航する大型船の船尾方を横切るものと思っていたところ、同時02分蛸根灯標から064度1.8海里の地点において、左舷船首22度1.1海里のところに見るサ号が、今度はゆっくりと右転を始めたのを認め、同船は既に横浜第5区の根岸方面に向けて左転する地点に達しており、先航する大型船の船尾方には横切ることが可能と思われる間隔があったにもかかわらず、すぐに右転して針路を戻したことから、サ号が西方第1号灯浮標の東側に向けるものと思い、同船と左舷を対して通過する意図を示すつもりで、右舵をとらずに汽笛で短音1回を間隔を開けて4度吹鳴して続航した。
こうして、A受審人は、先航する大型船などが西方第1号灯浮標付近で左転して浦賀水道航路に向けたことや右舷側の小型船を追い越したことを確認し、17時03分半、蛸根灯標から072度1.55海里の予定転針地点に達し、浦賀水道航路に向けて転針することとしたが、サ号がそのまま右転を続けて西方第1号灯浮標の東側に向けたものと思い込み、同船に対する動静監視を十分に行っていなかったので、左舷船首31度930メートルのところに接近した同船が、自船の船尾至近を横切ろうとして元の針路に戻しただけで、依然として同灯浮標の西側に向け、南航船の通航路を斜航していることに気付かないまま、同灯浮標を左舷正横380メートルに見て、先航する大型船などに続いて針路を180度に転じ、浦賀水道航路に向けたところ、サ号を左舷船首7度に見るようになり、同船の発した警告信号を聞くとともに小角度で交差する態勢となって衝突の危険を感じ、同時04分機関を全速力後進にかけ、その後右舵一杯をとったが、及ばず、17時05分蛸根灯標から080.5度1.5海里の地点において、菱山丸は、原針路のまま、約2ノットとなった速力で、その船首が、サ号の左舷後部に前方から30度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風力2の南風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、視界は良好であった。
また、サ号は、化学薬品の輸送に従事する船尾船橋型の鋼製ケミカルタンカーで、船長Cほか韓国人3人及びフィリピン人16人が乗り組み、二塩基エステル277トンを積載し、船首2.60メートル船尾6.20メートルの喫水をもって、平成11年7月14日19時40分(現地時間)大韓民国プサン港を発し、京浜港横浜第5区に向かった。
15時ごろC船長は、東京湾口に至って操船の指揮をとり、二等航海士と操舵員を見張りに就け、機関を航海全速力前進にかけて13.0ノットの速力で、自動操舵により浦賀水道を北航し、同時55分航路中央第1号灯浮標の南方約3海里の地点において、入港スタンバイを令して操舵員を手動操舵に就け、同時58分機関回転数毎分118の港内全速力前進にかけ、16時11分浦賀水道航路に入航し、同航路をこれに沿って進行した。

C船長は、京浜港長から横浜第5区N4錨地(横浜金沢木材ふとう東防波堤灯台から100度2,600メートルの地点を中心とする半径450メートルの円内海面)の指定を受けたことから、浦賀水道航路を出航後、予定針路を327度として同錨地に直航することにしていたところ、同航路北口付近に達して、折から同航路に向かう南航船群に切れ目がないことを認め、予定針路で同錨地に直航することが困難であると判断し、16時48分航路第6号灯浮標の西方300メートルの地点において、同航路を出航して針路を343度に定め、10.8ノットの速力で北航し、南航船群に切れ目があるところで左転して同錨地に向けることにした。
16時53分C船長は、蛸根灯標から132度2.6海里の地点において、南航船群に切れ目が認められなかったので、南航船群に接近し過ぎないよう針路を348度に転じ、同時53分少し過ぎ、機関回転数毎分87の半速力前進にかけ、7.5ノットの速力に減じて続航中、同時55分同灯標から127度2.3海里の地点において、右舷船首18度3.6海里のところに南航船群の最後尾に位置した菱山丸を初めて視認した。

16時56分少し前C船長は、蛸根灯標から125度2.2海里の地点において、港内全速力前進にかけて増速し、南航船の通航路を横断する機会をうかがったが、十分な間隔がないため左転できず、同時56分少し過ぎ、再度半速力前進に減速し、南航船の動静を監視しながら進行した。
17時00分C船長は、西方第1号灯浮標のほぼ真南1.1海里の地点を通過して南航船の通航路を斜航するようになり、同時01分少し前、菱山丸に先航する大型船の船尾方に切れ目があったので、再度港内全速力前進の10.8ノットに増速し、同時01分蛸根灯標から108度1.7海里の地点において、左舵10度をとって左転を始め、針路を330度まで転じて同大型船の船尾方を横切ろうとしたが、やはり十分な間隔がなく、再度横切ることを断念し、一旦元の針路に戻すことにした。
17時02分C船長は、蛸根灯標から103度1.6海里の地点において、右舷船首14度1.1海里のところの菱山丸とその後方の大型船との間が約1.5海里離れているのを認め、菱山丸の船尾方を回って横切ることができると判断し、右舵10度をとって右転を始めたが、このころ右舷船首0.7海里のところに西方第1号灯浮標が存在し、南航船がいずれも同灯浮標に並航したところで左転し、針路をほぼ180度に転じて浦賀水道航路に向かっているのを認めたものの、菱山丸は同灯浮標に並航したのちもそのままの針路で続航し、自船の船首方を通過するまで左転して同航路に向ける針路をとらないであろうと思い、同船が自船の左舷側を通過したのち直ちに左転して船尾至近を横切ろうと考え、同時03分同灯標から095度1.55海里の地点において、針路を元の348度に戻しただけで、大幅に右転するなり、減速するなどして南航船の通航路から離れる措置をとらず、菱山丸が発した汽笛信号に気付かないまま、同通航路を斜航しながら進行した。
こうして、C船長は、同じ針路及び速力で続航中、17時03分半、蛸根灯標から091度1.55海里の地点において、菱山丸が右舷船首5度930メートルに接近したとき、同船が先航する大型船に続いて左転し、浦賀水道航路に向けたことにより、小角度で交差する態勢となって衝突の危険を感じ、菱山丸に避航させようとして汽笛で短音を5回吹鳴して警告信号を発し、同時04分右舵10度をとり、更に同時05分少し前、右舵20度次いで右舵一杯をとったが、及ばず、サ号は、右回頭中の船首が030度を向いたとき、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、菱山丸は、船首部に凹損を生じ、サ号は、左舷船尾部に凹損を生じたが、のちいずれも修理された。


(原因)
本件衝突は、東京湾中ノ瀬西方第1号灯浮標付近において、南航船群の最後尾を航行する菱山丸が、先航する大型船に続いて南航船の通航路に沿う針路に転じる際、動静監視不十分で、サザン マーメイドとの衝突を避けるための措置をとらなかったことと、北航中のサザン マーメイドが、同通航路を横断して京浜港横浜第5区に向かう際、菱山丸の船尾方を横断するため、同通航路を斜航しながら同船に接近し、同船との衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。


(受審人の所為)
A受審人は、東京湾中ノ瀬西方第1号灯浮標付近において、南航船群の最後尾を航行中、左舷前方に南航船の通航路を斜航しながら北航するサザン マーメイドを認め、同通航路に沿う針路に転じる場合、転針方向の同船に対する動静監視を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、サザン マーメイドが右転を始めたのを認めたので、自船が針路を左方に転じても、同船と左舷を対して無難に通過できるものと思い、動静監視を十分に行わなかった職務上の過失により、予定転針地点に達して先航する大型船に続いて南航船の通航路に沿う針路に転じ、自船の船尾方を横断するため接近していたサザン マーメイドとの衝突を避けるための措置をとらずに進行して衝突を招き、菱山丸の船首部に凹損を、サザン マーメイドの左舷船尾部に凹損をそ

れぞれ生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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