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2000年(平成12年)

平成11年横審第144号
    件名
油送船愛光丸プレジャーボートサム−ワンIII衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年5月17日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

猪俣貞稔、勝又三郎、吉川進
    理事官
関隆彰

    受審人
A 職名:愛光丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
愛光丸・・・・左舷船首部外板のペイントが剥離しただけで損傷はなし
サムワン・・・右舷前部外板に亀裂ほか同部甲板に破口、のち廃船、船長が溺死

    原因
サムワン・・・横切りの航法(避航動作)不遵守(主因)
愛光丸・・・・見張り不十分、横切りの航法(協力動作)不遵守(一因)

    二審請求者
理事官葉山忠雄

    主文
本件衝突は、サム−ワンIIIが、前路を左方に横切る愛光丸の進路を避けなかったことによって発生したが、愛光丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための協力動作をとる時機を失したことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年8月26日10時39分
東京湾中ノ瀬西方海域
2 船舶の要目
船種船名 油送船愛光丸 プレジャーボートサム−ワンIII
総トン数 498トン
全長 63.89メートル
登録長 58.03メートル 6.05メートル
機関の種類 ディーゼル機関 電気点火機関
出力 735キロワット 154キロワット
3 事実の経過
愛光丸は、船尾船橋型の油タンカーで、A受審人ほか5人が乗り組み、C重油1,000キロリットルを載せ、船首3.30メートル船尾4.00メートルの喫水をもって、平成10年8月26日09時50分京浜港川崎区浮島の東燃出荷桟橋を発し、衣浦港に向かった。
A受審人は、出港操船に当たり、10時05分東燃扇島シーバース灯から133度(真方位、以下同じ。)0.6海里の地点に至り、針路を223度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、11.0ノットの対地速力で進行した。

A受審人は、出港操船に引き続き操船の指揮を執り、船首出港配置を終えて昇橋した甲板長を見張りと操舵に就け、自らは操舵輪右横にある機関操作スタンド前に位置して見張りにあたりながら続航し、東京湾中ノ瀬B灯浮標沖0.8海里の地点付近で浦賀水道航路北口に向けて転針するつもりでいたところ、10時36分半本牧船舶通航信号所(以下「本牧信号所」という。)から141度2.2海里の地点に達したとき、左舷船首59度1.0海里のところにサム−ワンIII(以下「サムワン」という。)を認め得る状況にあったが、一般船舶の動向だけに気をとられていて小型プレジャーボートであるサムワンを認めず、その後同船が前路を右方に横切り衝突のおそれがある態勢で接近し、同時38分同方位700メートルのところに初めてサムワンを視認した。
A受審人は、サムワンの発見が遅れたが、同船を一べつして汽笛で警告信号を行ったのみで、同船はかなり速力があり、自船の前路を替わるものと思い、機関を停止するなど協力動作をとらずに進行中、10時39分少し前サムワンとの方位変化がないことにようやく気付き、あわてて汽笛を鳴らすとともに、甲板長を押しのけて自ら操舵に就いたが、転舵するいとまもなく、10時39分本牧信号所から156度2.39海里の地点において、愛光丸は、原針路、原速力のまま、その左舷船首部が、サムワンの右舷前部に、後方から84度の角度で衝突した。

当時、天候は曇で風力3の南西風が吹き、海上は平穏であった。
また、サムワンは、昭和61年に建造された製造者型式がヤマハET6と称する、最大搭載人員10人のFRP製プレジャーボートで、BがBAN(会員制プレジャーボート救助サービス機関)に加入し、横浜市鶴見区の京浜運河西口にある横浜ヨットヤードを基地として海洋レジャーに使用していたところ、同人が船長として1人で乗り組み、船首0.2メートル船尾1.2メートルの喫水をもって、同月22日11時20分横浜ヨットヤードを発航し、江ノ島、伊東、戸田、松崎など伊豆半島沿いにクルージングを行い、適宜宿泊を重ねて江ノ島ヨットハーバーに戻り、同月26日09時00分同地を発し、横浜ヨットヤードへの帰途に就いた。
B船長は、ほぼ24ノットの速力で、10時ごろ浦賀水道航路南口に至り、適宜減速して同航路を経た後、中ノ瀬西側の一般船舶通航路を避けて、東京湾中ノ瀬A灯浮標及び同B灯浮標の東側を北上し、10時36分半本牧信号所から148度3.2海里の地点に達したとき、折から警戒船に先導されて南下してくる大型船を替わしておくつもりで、一般船舶の通航路を横断するため、針路を307度に定め、21.0ノットの速力として進行した。

そのころB船長は、右舷船首37度1.0海里ばかりのところに、愛光丸が前路を左方に横切る態勢で接近していたが、同船を避けずに続航し、10時39分少し前間近に迫った同船に気付き、機関を停止したものの及ばず、原針路、原速力のまま、前示のとおり衝突した。
衝突の結果、愛光丸は左舷船首部外板のペイントが剥離しただけで損傷はなく、サムワンは右舷前部外板に亀(き)裂ほか同部甲板に破口を生じ、のち廃船となり、B船長(西暦1925年12月13日生、一級小型船舶操縦士免状受有)は、海中に投げ出され、海上保安庁の救援で捜索の結果、翌日遺体で発見され、溺死と検案された。


(原因)
本件衝突は、中ノ瀬西方海域において、北上中のサムワンが、一般船舶の通航路を横断して京浜港横浜区に向かうにあたり、前路を左方に横切る愛光丸の進路を避けなかったことによって発生したが、南下中の愛光丸が、見張り不十分で、衝突を避けるための協力動作をとる時機を失したことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、中ノ瀬西方海域を南下する場合、南北に往来する一般船舶以外に、航路筋を横断する小型プレジャーボートを見落とさないよう、見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、一般船舶の動向だけに気をとられていて、前路を右方に横切る態勢のサムワンを認めるのが遅れるなど見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、衝突のおそれがあることに気付かず、衝突を避けるための協力動作をとる時機を失して同船との衝突を招き、サムワンの右舷前部外板に亀裂ほか同部甲板に破口を生じさせたうえ、同船船長を溺死させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

参考図






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