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2000年(平成12年)

平成11年広審第112号
    件名
油送船豊晴丸漁船池田丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年4月11日

    審判庁区分
地方海難審判庁
広島地方海難審判庁

中谷啓二、釜谷獎一、黒岩貢
    理事官
川本豊

    受審人
A 職名:豊晴丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:池田丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
豊晴丸・・・ほとんど損傷なし
池田丸・・・右舷前部から中央部にかけての船側外板、ブルワーク等に亀裂、破口等

    原因
豊晴丸・・・港則法の航法(防波堤入口)不遵守(主因)
池田丸・・・見張り不十分、警告信号不履行、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    主文
本件衝突は、入航する豊晴丸が、防波堤の外で出航する池田丸の進路を避けなかったことによって発生したが、池田丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年9月1日15時15分
岡山県牛窓港
2 船舶の要目
船種船名 油送船豊晴丸 漁船池田丸
総トン数 199トン 4.8トン
全長 49.25メートル 13.60メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット 46キロワット
3 事実の経過
豊晴丸は、主に瀬戸内海において重油の輸送に従事する船尾船橋型油タンカーで、A受審人ほか4人が乗り組み、空倉のまま、船首0.7メートル船尾2.4メートルの喫水をもって、平成10年9月1日10時00分徳島県今切港を発し、荷役待機の目的で、母港である岡山県牛窓港に向かった。
A受審人は、同日13時ごろ播磨灘南部を北上しているとき1人で船橋当直に就き、小豆島北東沖を経由して牛窓港東部に至り、15時08分牛窓港灯台から271度(真方位、以下同じ。)290メートルの地点で、針路を256度に定め手動操舵とし、機関を微速力前進にかけ、5.0ノットの対地速力で、港内防波堤の内側にある突堤に着岸する予定で進行した。

ところで牛窓港は、播磨灘に面した岡山県邑久郡南岸に位置し、港域のほぼ中央部陸岸に豊晴丸が着岸を予定している突堤ほか諸係留施設が設けられており、その付近前面の水域に長さ約750メートルの防波堤が東西方向に、東端約50メートルの部分だけを南東方に向けて築造されていて、同東端部は東方対岸と平行になって防波堤入口を形成していた。
また、防波堤入口付近は約130メートルの幅があったものの、防波堤突端に設置されている牛窓港一文字防波堤東灯台(以下「防波堤灯台」という。)の東側対岸に県営桟橋が西方に向けて突出しており、当時2隻のフェリーボートが、同桟橋を挟んで数十メートルのところに、それぞれ船首及び船尾着けで係留していたこと、防波堤突端周囲から防波堤内外に沿って浅所が広がっていることなどから、豊晴丸にとって同付近の可航幅は50メートルばかりとなっていた。

A受審人は、15時10分半防波堤灯台から124度380メートルの地点に達したとき、右舷前方約700メートルの防波堤内に池田丸を初認し、まもなく防波堤内に向かうため徐々に右転を開始して、同時11分半同灯台から132度270メートルの地点で、防波堤入口のほぼ中央に向けて針路を325度に転じたところ、出航態勢の池田丸を左舷船首9度520メートルのところに認めるようになり、同船が船首を少し左右に振って進行していたことから、不審を覚えて機関を中立にした。
そのころA受審人は、前進惰力によりそのまま進行すると池田丸と防波堤の入口付近で出会うおそれのあることを知ったが、同船が小型漁船であり、まもなく船首をわずかに右方に振り左舷側を見せ始めたことなどから、左舷を対しなんとか航過できるものと思い、速やかに行きあしを止めるなどして、防波堤の外で同船の進路を避けることなく、2.5ノットの対地速力で続航した。

15時15分わずか前A受審人は、船尾が防波堤突端を替わったころ、船首わずか左方至近のところで、池田丸が再び右舷側を見せたのを認め、衝突の危険を感じて機関を後進にかけたが効なく、豊晴丸は、15時15分防波堤灯台から009度90メートルの地点において、ほぼ原針路、原速力のままその船首が、池田丸の右舷船首部に前方から35度の角度で衝突した。
当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期であった。
また、池田丸は、後部に操舵室を備えたFRP製漁船で、B受審人が1人で乗り組み、船首尾共0.3メートルの喫水をもって、同日15時09分牛窓港防波堤内の桟橋を発し、播磨灘黄島沖合の漁場に向かった。
15時10分B受審人は、防波堤灯台から315度360メートルの地点で、針路を防波堤入口に向け123度に定めて遠隔の手動操舵とし、機関を極微速力前進にかけ、2.0ノットの対地速力で、途中、県営桟橋に寄せて弁当を購入するつもりで進行した。

B受審人は、操舵室左舷後方の甲板に立って専ら左舷前方の県営桟橋に目を向け、低速力で遠隔操舵であったこともあり、時折船首を振る状態で水路中央部付近を続航したが、その操舵位置からは右舷前方が操舵室により死角になっていて見通せず、死角を補うには右舷側に移動するなどして操舵位置を変えることを要する状況であった。
15時11分半B受審人は、防波堤灯台から320度260メートルの地点に達したとき、防波堤外の右舷船首13度520メートルのところに、入航態勢の豊晴丸を視認し得る状況であったが、一瞥しただけで右舷側に他船はいないものと思い、操舵位置を変え右舷前方の死角を補うなどして、見張りを十分に行うことなく、豊晴丸に気付かず、その後防波堤の入口付近で出会い衝突のおそれがあったものの、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらずに続航中、同時15分わずか前県営桟橋に向けた直後、池田丸は110度に向首して前示のとおり衝突した。

衝突の結果、豊晴丸は、ほとんど損傷がなかったが、池田丸は、右舷前部から中央部にかけての船側外板、ブルワーク等に亀裂、破口などを生じたがのち修理された。

(原因)
本件衝突は、岡山県牛窓港において、入航する豊晴丸と出航する池田丸とが、防波堤の入口付近で出会うおそれがあった際、豊晴丸が、防波堤の外で池田丸の進路を避けなかったことによって発生したが、池田丸が、見張り不十分で、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
A受審人は、岡山県牛窓港に入航中、防波堤の入口付近で出航する池田丸と出会うおそれがあることを知った場合、速やかに行きあしを止めるなどして、防波堤の外で同船の進路を避けるべき注意義務があった。しかるに、同人は、池田丸が小型漁船なのでなんとか航過できるものと思い、防波堤の外で同船の進路を避けなかった職務上の過失により、衝突を招き、池田丸の右舷前部から中央部にかけての船側外板、ブルワーク等に、亀裂、破口などを生じさせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、岡山県牛窓港において、防波堤入口に向け進行する場合、入航する豊晴丸を見落とすことのないよう、操舵位置を変え右舷前方の死角を補うなどして、周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、一瞥して右舷側に他船はいないものと思い、周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により、豊晴丸に気付かず、警告信号を行わず、衝突を避けるための措置をとらずに進行して衝突を招き、自船に前示の損傷を生じさせるに至った。

以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

参考図






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