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2000年(平成12年)

平成11年第二審第2号
    件名
油送船日山丸貨物船新住宝丸衝突事件

    事件区分
衝突事件
    言渡年月日
平成12年9月21日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審広島

伊藤實、宮田義憲、田邉行夫、岸良彬、吉澤和彦
    理事官
山田豊三郎

    受審人
A 職名:日山丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:新住宝丸船長 海技免状:五級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
日山丸・・・・左舷船首部外板に破口、浸水、同部のハンドレール、フェアリーダーを損傷、右舷船首部船底に凹損等
新住宝丸・・・球状船首部に亀裂を伴う凹損、浸水、過給機及び電路系統を焼損、機関長が約2週間の入院を要する急性気管支炎

    原因
新住宝丸・・・狭い水道の航法(右側通行)不遵守、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(主因)
日山丸・・・・狭い水道の航法(右側通行)不遵守、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(一因)

    二審請求者
補佐人鈴木邦裕

    主文
本件衝突は、新住宝丸が、狭い水道の右側から左側に斜航する進路で航行したばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、日山丸が、狭い水道の右側端に寄って航行しなかったばかりか、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。
受審人Bを戒告する。
受審人Aを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年3月22日19時40分
下津井瀬戸東口
2 船舶の要目
船種船名 油送船日山丸 貨物船新住宝丸
総トン数 699トン 199トン
全長 75.26メートル 57.50メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,323キロワット 661キロワット
3 事実の経過
日山丸は、岡山県水島港から阪神、九州方面に石油製品の輸送に当たる、可変ピッチプロペラを備えた船尾船橋型油送船で、A受審人ほか6人が乗り組み、粗製ガソリン約2,000キロリットルを積載し、船首3.70メートル船尾5.02メートルの喫水をもって、平成9年3月22日19時00分水島港を発し、下津井瀬戸経由で愛知県名古屋港に向かった。
ところで、下津井瀬戸は、北側の岡山県倉敷市の陸岸と南側の釜島、松島及び櫃石島との間にほぼ東西に伸び、東側の久須見鼻沖合を東口とし、西側の下津井港西ノ埼沖合を西口とする、長さ約2海里の狭い水道で、その東側ほど水路幅が狭く、久須見鼻南端に位置する久須見鼻灯標の西側近くにある暗岩(以下「久須美鼻暗岩」という。)と松島北東端間の10メートル等深線の可航幅が、350メートルの最狭部となっており、水道の西側は水路幅が広くなって水島航路に接し、東方から水島港に出入りする近道の航路となっていることから、小型船の常用航路として使用されていた。

そして、同水道のほぼ中央部にあたる、倉敷市の陸岸と櫃石島との間には、下津井瀬戸大橋(以下「下津井大橋」という。)が南北方向に水道を横断して架けられ、その橋梁には、夜間用航路標識として、北側から南側へ不動緑光の左舷端灯、不動白光の中央灯及び不動赤光の右舷端灯の各橋梁灯が200メートル間隔で設置され、左舷端灯から久須見鼻暗岩の南側に引いた避険線の方位が105度(真方位、以下同じ。)、右舷端灯から松島北東端に引いた避険線の方位が101度であり、また、中央灯から同水道の最狭部の中央に引いた方位線が103度で、同水道を航行する船舶は、これらの避険線と中央に引いた方位線間を目安として、水道の右側端に寄って航行していた。
A受審人は、出港時に航行中の動力船の灯火を表示し、出航後、船橋当直のため昇橋した一等航海士を操舵に就けて操船の指揮に当たり、翼角を16度の全速力前進にかけ、11.0ノットの速力で水島航路を南下し、19時28分水島航路第10号灯浮標の北西方400メートル付近で、同航路を出て下津井瀬戸に入り、同時35分半少し前下津井大橋の中央灯と右舷端灯との中間の橋梁下を航過して東行した。

19時36分A受審人は、久須見鼻灯標から269度1,220メートルの地点に達したとき、下津井瀬戸の最狭部に向けて進行することとなったが、避険線等を考慮して水道の右側端に寄って航行することなく、針路を098度に定め、折からの西に向かう潮流に抗して9.5ノットの対地速力で進行した。
19時36分半久須見鼻灯標から268度1,080メートルの地点に至ったとき、A受審人は、左舷船首10度1.1海里のところに、来航する新住宝丸の白、白、緑3灯を初めて視認し、水道の東口付近で同船と互いに行き会うこととなることを知ったものの、依然として同じ針路及び速力のまま、同船の灯火を目視しながら続航した。
A受審人は、19時38分半少し前、久須見鼻灯標から258度550メートルの地点で、新住宝丸が左舷船首8度930メートルに接近したのを認めたので、進路を水道の右側に寄せようとして、探照灯による閃光1回の発光信号を行って105度に転じ、そのうち相手船が右転して互いに左舷を対して替わることを期待しながら進行した。

19時39分わずか過ぎ、A受審人は、久須見鼻灯標から244度380メートルの地点に至ったとき、新住宝丸の緑灯が紅灯に変わらないまま、左舷船首14度470メートルに接近し、衝突のおそれが生じたことを認めたが、そのうち同船が水道の右側端に向けて右転するものと思い、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとることなく、再び閃光1回の発光信号を行って機関を翼角7度の微速力前進に減じ、一等航海士に徐々に右転するように命じたものの、松島に接近することを懸念して大きく右転しないまま続航した。
A受審人は、19時39分半新住宝丸が200メートルに接近したとき、同船からの閃光2回の発光信号を認め、その両マスト灯の間隔が急速に広がり、同船が左転し、自船に向けて接近してきたことに気付き、衝突の危険を感じ、翼角を0度として右舵一杯をとったが及ばず、19時40分久須見鼻灯標から215度320メートルの地点において、日山丸は、船首が120度を向いて約6ノットの速力となったとき、その左舷船首部に新住宝丸の船首が直角に衝突した。

当時、天候は晴で風力2の北北東風が吹き、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には1.5ノットの西流があった。
衝突後、日山丸は、松島寄りに押され、右舷船首部船底を浅礁に擦過した。
また、新住宝丸は、水島港から主として阪神及び九州各港に鋼材輸送に当たる船尾船橋型貨物船で、B受審人ほか2人が乗り組み、空倉のまま、船首0.4メートル船尾2.5メートルの喫水をもって、同22日12時10分大阪港を発し、水島港に向かった。
ところで、B受審人は、船橋当直を機関長と2人で、単独による6時間交替で行い、出入港時、狭水道通航時や狭視界時には、自ら操船の指揮を執ることとしていた。
B受審人は、出航時の操船に続いて船橋当直に当たり、明石海峡を通過したところで、機関長に当直を引き継ぎ、小豆島大角鼻の手前の地点で機関長と交替して再び当直に就き、日没時に航行中の動力船の灯火を表示したうえ、備讃瀬戸東航路を経て柏島南方沖合から、竪場島灯浮標の北方沖合に向かい、19時31分同灯浮標を左舷側200メートルに離して航過したころ、狭水道通航にともなって機関長と甲板員が昇橋してきたので、機関長を機関操作と見張りに、乗船経験の少ない甲板員を見張りにそれぞれ就けて、自らは見張りを兼ねて手動操舵に当たり、操舵スタンド左側のレーダーをときどき覗きながら、下津井瀬戸に向けて西行した。

 19時35分少し過ぎ久須見鼻灯標から088度1,560メートルの地点に達したとき、B受審人は、針路を266度に定め、機関を10.5ノットの全速力前進にかけたまま、折からの西に向かう潮流に乗じて、12.0ノットの対地速力で進行した。
B受審人は、19時36分半釜島北方にあたる、久須見鼻灯標から089度1,050メートルの地点で、右舷船首2度1.1海里のところに、来航する日山丸の白、白、紅3灯を初めて視認し、下津井瀬戸の東口付近で出会うものと予測したものの、そのころ、日山丸の前方を反航してくる第三船の灯火を認め、久須見鼻沖合で行き会う状況であったところから、第三船の動静に留意しながら続航し、同時37分わずか過ぎ久須見鼻灯標から090度830メートルの地点に至ったとき、針路を255度に転じ、同瀬戸東口に向けて進行することとしたが、潮流により久須見鼻に寄せられることを懸念し、水道の右側端に寄って航行することなく、同針路を保持したまま西行した。

B受審人は、19時38分半少し前日山丸が探照灯による閃光1回の発光信号を発したことに気付かないまま進行し、同時39分わずか前、久須見鼻灯標から136度240メートルの地点に達したとき、針路を264度に転じて第三船を左舷側50メートルに離して替わしたものの、依然、避険線を考慮するなどして水道の右側端に寄せることなく、水道の右側から左側に向けて斜航する進路で航行した。
19時39分わずか過ぎ、B受審人は、久須見鼻灯標から143度220メートルの地点で、日山丸の灯火を右舷船首7度470メートルに認めるようになり、同船が再度閃光1回の発光信号を発したものの、依然これに気付かず、その後日山丸が接近して衝突のおそれが生じたのを認めたが、同船が右舷船首方に見えていたことから、右舷を対して航過しようと思い、右転するなどして衝突を避けるための措置をとることなく、そのままの針路と速力で進行した。

B受審人は、19時39分半、久須美鼻灯標から190度200メートルの地点に至って、日山丸と200メートルに接近したとき、依然、同船がやや右舷船首方に見えたので、互いに右舷を対して替わすつもりで、探照灯による閃光2回の発光信号を発し、左舵をとって続航した。
B受審人は、19時40分少し前日山丸と衝突の危険を感じ、機関を全速力後進にかけ、左舵一杯をとったが効なく、新住宝丸は、その船首が210度を向いたとき、約7ノットの速力で前示のとおり衝突した。
衝突の衝撃で、機関室の過給機近くに置いていた洗浄用の油缶が転倒し、同油が炎上したが、駆け付けた機関長が消火器でこれを消火した。
衝突の結果、日山丸は、左舷船首部外板に破口を生じて浸水し、同部のハンドレール、フェアリーダーを損傷するとともに、右舷船首部船底に凹損等を生じ、新住宝丸は、球状船首部に亀裂を伴う凹損を生じて浸水し、過給機及び電路系統を焼損したが、のちいずれも修理された。また、新住宝丸の機関長が、消火の際に煙を吸引し、約2週間の入院を要する急性気管支炎を負った。


(主張に対する判断)
本件は、日山丸が、下津井瀬戸の狭い水道を東行中、また、新住宝丸が同水道を西行中、同水道東口の中央付近において衝突した事件であるが、衝突地点について、A受審人は、久須見鼻灯標から198度360メートルの地点であると主張し、また、B受審人は、同灯標から212度270メートルの地点であると主張する。一方、航跡の特定についての報告書写中の航跡図?の衝突位置は、同灯標から207度260メートルの地点と記載されているので、これについて検討する。
初めに、A受審人の主張する衝突地点は、衝突後ただちにレーダー等で測定したものでなく、同人が衝突したのち推測して求めた位置であることから、これをそのまま衝突地点とすることは合理的でない。
一方、B受審人の主張する衝突地点は、同人に対する質問調書中、「270度の針路で進行中、衝突の30秒前に左舵をとって回頭中に衝突した。」旨の供述記載に反し、同調書添付の航跡図の270度の針路線上に位置しており、衝突するまでに左転した模様が加味されていないので、そのままこれを採用することは適切でない。

さすれば、新住宝丸のGPS航法装置に記録された航跡から、衝突地点を検討するのが合理的である。
新住宝丸のGPS航法装置に記録された航跡についての報告書写中の航跡のカーソルをあてた状況写真中の?から?までの航跡の連続した模様を観察すると、B受審人に対する質問調書中の衝突30秒前に左舵をとって左転中に衝突した旨の供述記載から、針路を急激に左転して次にやや右転に転じる分岐点である?の地点が、衝突した地点であると判断できる。
したがって、同地点の緯度及び経度をGPSの衝突地点であるとして採用し、これを日本測地系に修正して久須見鼻灯標の位置から求め、更に新住宝丸のGPSのアンテナの位置と同船の衝突した船首部間の距離を、同船の衝突時の船首方向の方位線上にとったものを衝突地点とするのが相当である。


(原因に対する考察)
海上衝突予防法(以下「予防法」という。)第9条第1項では、狭い水道又は航路筋(以下「狭い水道等」という。)をこれに沿って航行する船舶は、安全であり、かつ、実行に適する限り、狭い水道等の右側端に寄って航行しなければならないと規定している。この規定は、互いに船舶が狭い水道等で行き会う態勢となった際に、未然に衝突を防止するために、左舷を対して航過しようとするものである。
本件が発生した下津井瀬戸の最狭部にあたる、久須見鼻暗岩と松島北東端を結んだ線上で、10メートル等深線間の可航幅は約350メートルであり、両船の船型及び航路の状況から、互いに行き会う態勢で航過するに当たって特に障害となるものはなかったといえるので、両船にとって同水道は、それぞれ同水路に沿ってその右側を航行することが安全であり、かつ、実行に適する状況にあったものと認められる。したがって、両船は、同法第9条第1項の規定に従って水道の右側端に寄って航行しなければならない。

ところで、衝突地点付近における水道の左右側がどちらであるかは、下津井大橋に設置された、航行船舶の夜間用航路標識の可航水域の中央を示す中央灯から、最狭部の可航幅の中央に引いた方位線を中心として、可航水域の北端を示す左舷端灯から久須見鼻暗岩の南側に引いた避険線、または、可航水域の南端を示す右舷端灯から松島北東端に引いた避険線とにより、判断することができる。
ここで、日山丸の進路は、A受審人に対する質問調書添付の航跡図からは、水道のほぼ中央部を航行しており、水道の右側端に寄って航行しているとはいえない。また、同受審人に対する質問調書中にも、同受審人は水道の中央に向けて針路を098度に転じて進行した旨供述している。このことから日山丸は、安全を考慮して、せめて松島北東端から100メートル北側に寄る進路をとって航行すべきで、日山丸が早目に右側端に寄って航行しておれば、新住宝丸にとって互いに左舷を対して航過することの判断がより的確にできたものと認められる。

一方、新住宝丸は、GPSの記録から求められた航跡から見ると、衝突直前に左転するまでの間、水道の右側を航行しているものの、その進路は一貫して水道の右側から左側に向けて斜航していることが明らかで、到底、同水道の右側端に寄って航行していたとは認められない。
したがって、両船共、水道の右側端に寄って航行していなかったものと認められ、両船が水道の右側端に寄って航行しなかったことは、それぞれ本件発生の原因となる。しかしながら、日山丸は、衝突前に右側端に寄ろうとして徐々に針路を右転していたのに対して、新住宝丸は、日山丸の灯火を視認したのち、第三船を替わした以降衝突に至るまでに、いつでも右転して水道の右側端に進路を寄せて、互いに左舷を対して航行する機会があったにも拘わらず、これを行わないまま、水道の右側から左側に向けた進路のまま斜航を続け、更に、日山丸と衝突のおそれが生じた際に、互いに右舷を対して航過しようとして、航路の左側に進出し、右転するなどの衝突を避けるための措置をとらないで左転したことは、本件発生の主な原因をなしたものといえる。

また、日山丸は、新住宝丸が一向に針路を変更する気配もなく接近し、同船と衝突のおそれが生じた際、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとらなかったことも、本件発生の原因となる。

(原因)
本件衝突は、夜間、岡山県下津井瀬戸の狭い水道の東口付近において、西行する新住宝丸が、水道の右側から左側に斜航する進路で航行したばかりか、日山丸と衝突のおそれが生じた際、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、東行する日山丸が、水道の右側端に寄って航行しなかったばかりか、新住宝丸と衝突のおそれが生じた際、衝突を避けるための措置をとらなかったことも一因をなすものである。


(受審人の所為)
B受審人は、夜間、下津井瀬戸の狭い水道を西行中、前方に反航する日山丸の白、白、紅3灯を視認し、その後同船が接近して衝突のおそれが生じたのを認めた場合、互いに左舷を対して航過できるよう、速やかに右転するなどの衝突を避けるための措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、日山丸の灯火が右舷船首方に見えていたことから、同船と右舷を対して航過しようと思い、速やかに右転するなどの衝突を避けるための措置をとらなかった職務上の過失により、日山丸との衝突を招き、自船の球状船首部に亀裂をともなう凹損等を、日山丸の左舷船首部外板に破口等を生じさせるとともに、自船の機関室に火災を発生させ、機関長に急性気管支炎を負わせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号の規定を適用して、同人を戒告する。

A受審人は、夜間、下津井瀬戸の狭い水道を東行中、左舷前方に反航する新住宝丸の白、白、緑3灯を視認し、同船が紅灯を見せないまま接近して衝突のおそれが生じたのを認めた場合、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同受審人は、新住宝丸がそのうち水道の右側端に向けて右転するものと思い、翼角を0度にしただけで、速やかに行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとらなかった職務上の過失により、新住宝丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるとともに、新住宝丸の機関長に前示の負傷を負わせるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号の規定を適用して、同人を戒告する。


よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成11年1月21日広審言渡
本件衝突は、日山丸が、狭い水道の右側端に寄せる針路とせず、その中央に向けて進行したことと、新住宝丸が、狭い水道の右側端に寄せる針路とせず、その中央に向けて進行したこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。


参考図






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