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2000年(平成12年)

平成10年第二審第41号
    件名
交通船第八全功丸貨物船アナンゲル・エキスプレス水先修業生死亡事件

    事件区分
死傷事件
    言渡年月日
平成12年7月4日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審長崎

米田裕、山崎重勝、伊藤實、吉澤和彦、上中拓治
    理事官
亀山東彦

    受審人
A 職名:第八全功丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
B 職名:アナンゲル・エキスプレス水先人 水先免状:島原海湾水先区
    指定海難関係人

    損害
水先修業生が行方不明、その後遺体で収容、溺死

    原因
第八全功丸・・・・・・・・・・離舷する際の安全確認不十分
アナンゲル・エキスプレス・・・下船人数の事前通知不履行及び下船時の安全措置不十分

    二審請求者
補佐人板井優

    主文
本件水先修業生死亡は、第八全功丸が、アナンゲル・エキスプレスから離舷する際の安全確認が十分でなかったことと、アナンゲル・エキスプレスの下船者が、第八全功丸に下船人数を事前に通知しなかったこと及び下船時の安全措置が十分でなかったこととによって発生したものである。
受審人Aを戒告する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成9年9月4日11時30分
長島海峡
2 船舶の要目
船種船名 交通船第八全功丸 貨物船アナンゲル・エキスプレス
総トン数 7.93トン 34,407トン
全長 222.679メートル
登録長 10.60メートル 214.02メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 169キロワット 9,635キロワット
3 事実の経過
(1) 第八全功丸
第八全功丸(以下「全功丸」という。)は、上甲板を有するFRP製遊漁船兼交通船で、専ら水先人の送迎や釣り客の瀬渡しに使用され、船体ほぼ中央から後方寄りに長さ約3.6メートル、幅、高さともに約1.6メートルの甲板室があり、その前部を操舵室、後部を旅客室とし、船首部が上甲板より約70センチメートル(以下「センチ」という。)高い甲板となっていて、同甲板の両側にハンドレールが、その後方の上甲板周囲に高さ約70センチのブルワークがそれぞれ設けられていた。

両舷側には、船首部、船体中央部及び船尾部の3箇所に古タイヤを使用した防舷材(以下「防舷材」という。)が装備され、船尾部左舷側の防舷材は、ふたつに重ねられた古タイヤが、直径12ミリメートル(以下「ミリ」という。)の合成繊維製ロープにより係船柱から吊り下げられ、その頂部の高さが水面上約1.1メートルになっていた。
操舵室には、前部中央に操舵輪、その右舷側に機関の遠隔操縦レバーが備えられ、操舵輪後方に箱型のいすが置かれ、いす直上の同室天井に開閉式の天窓が設けられていたが、通常閉鎖されたままの状態となっていた。
また、操舵室前壁には、幅35センチ高さ41センチの角窓3個が、同室両舷側に同寸法の角窓と幅58センチ高さ1.2メートルの入口が各1個設けられていたほか、旅客室の後方寄りの両舷側壁に幅69センチ高さ44センチの引窓各1個と同室後壁に入口があり、操舵室の床が上甲板より約28センチかさあげされ、同床から天井までの高さが約1.3メートルとなっており、操船者が、操舵輪後方のいすに座った状態では、ほぼ正横より前方の水平方向の見通しはできたものの、上方の見通しや斜め後方から船尾方にかけての見通しがいずれも十分にできない状況であった。

更に、通信設備として、パーソナル無線が操舵室に装備されていたが、同設備は、自宅との通信のみが可能であったので、他船との連絡は自宅を経由しなければ行えなかった。
(2) アナンゲル・エキスプレスの乗下船設備
アナンゲル・エキスプレス(以下「ア号」という。)は、船尾船橋型のばら積専用船で、乗下船用として、船体中央付近の両舷側に舷側はしごを備え、これと水先人用はしごを組み合わせてコンビネーションラダーとして使用できるようにしていた。
(3) 島原海湾水先区水先人会
島原海湾水先区水先人会(以下「水先人会」という。)は、B受審人を含む4人の水先人がおり、福岡県三池港に水先艇1隻を配置し、八代海に出入りする船舶から水先の要請があれば、その都度水先人の送迎用に全功丸を指定し、長島海峡の戸島南東方沖合1,000メートル付近の海域を乗下船地(以下「戸島乗下船地」という。)としていた。

(4) 受審人A
A受審人は、昭和38年ごろから釣り客の瀬渡しを行うかたわら、水先人会の依頼で、戸島乗下船地において水先人の送迎を行うようになり、昭和55年に全功丸を新造した以降もそれらに従事し、水先人の乗下船日時等の連絡を、熊本県牛深市にある用船業務の取次店を介して行っていた。
(5) 受審人B
B受審人は、平成7年2月に外航海運会社を退社して水先人会に所属し、水先業務に従事していたところ、同9年8月から水先修業生Cに対する指導を4人の水先人が順次交代で担当することとなり、同受審人が、同月中に延べ9日間の指導を行い、本件発生当日も同水先修業生を随伴して指導に当たっていた。
(6) 水先修業生C
C水先修業生は、外航海運会社所属のまま、水先免許を取得するために平成9年8月1日から水先修業中で、主として、三池港において、既に出入航合わせて113回の修業を行い、戸島乗下船地では、B受審人に2回随伴し、全功丸を使用して八代海に入航する船舶に乗船したことがあったが、同乗下船地における下船は本件時が初めてであった。

(7) 本件発生に至る経緯
B受審人は、熊本県八代港を平成9年9月4日に出航予定のア号を嚮導(きょうどう)することとなり、その前日、取次店に下船用の船舶の手配を依頼した際、船名がア号であることと同船からの下船予定日時を告げたものの、水先修業生を随伴することを通知しなかった。
A受審人は、同月4日早朝から牛深港と戸島乗下船地間を往復して2隻の船舶に水先人を乗船させたのち、同乗下船地で同日11時20分ごろア号から水先人が下船する予定である旨の連絡を取次店より受けていたので、同乗下船地に近い鹿児島県長島の蔵之元漁港で待機することとしたが、下船者の氏名、人数についての正確な情報を得ていなかった。
11時00分A受審人は、全功丸に単独で乗り組み、船首0.70メートル船尾1.50メートルの喫水をもって、蔵之元漁港を発し、戸島乗下船地に向かった。

一方、ア号は、船長Dほか19人が乗り組み、B受審人及びC水先修業生を乗せ、同受審人の嚮導のもと、空倉のまま、船首4.15メートル船尾7.00メートルの喫水をもって、同日08時13分八代港を発し、オーストラリアのダンピア港に向かった。
D船長は、八代海を南下中、乗組員に命じて、乾舷約12メートルとなっていたア号の右舷側の舷側はしごを、下端の踊り場が水面上約5メートルの高さになるように吊り下げ、同踊り場から水先人用はしごに移れるよう、同踊り場の船尾側付近に同はしごの下端を水面上約1メートルとなるように上甲板から吊り下げて取り付け、直径15ミリの合成繊維製の水先人用はしごの揚収索を、水面上高さ約2メートルの、水先人用はしご下端から3段目のステップの船尾側に固縛し、少し弛ませてその上端を舷側のハンドレールに結んだ状態とした。

B受審人は、長島海峡を南下し、11時19分長島の鳴瀬鼻にほぼ並航する戸島灯台から047度(真方位、以下同じ。)1.5海里の地点に達したとき、下船準備のため機関を停止し、その後、折からの南南西流に乗じ前進惰力で210度の針路として続航するうち、前方に全功丸を認めた。
11時26分B受審人は、約5ノットの対地速力となったとき、嚮導を終えることとし、その旨をD船長に告げてC水先修業生とともに船橋を離れ、舷側はしごの取り付け場所に赴いたが、ア号に乗船するに当たり、社団法人日本パイロット協会(以下「日本パイロット協会」という。)が推奨していた救命胴衣を両人とも持参しておらず、その着用をしていなかった。
一方、A受審人は、鳴瀬鼻の北方に南下してくるア号を認めてその前路を横切り、風下舷となる同船の右舷側に出て待機したのち、近付いてきた同船に向けて発進し、その右舷側を約20メートル隔てて航行するうち、11時29分ごろア号の甲板上に数人の人影を認めたので、全功丸の船首部左舷側の防舷材をア号の水先人用はしごの下端付近の舷側に圧着して接舷し、水先人の下船を待った。

B受審人は、全功丸が接舷したのを見てC水先修業生と一緒に舷側はしごの踊り場まで降り、同水先修業生の戸島乗下船地での下船が初めてであったので、手本を示すため自らが先に下船することにしたが、同水先修業生に対し、同受審人が全功丸に移乗して安全を確かめるまで同踊り場で待機し、合図を待って水先人用はしごに移ることなどの安全指導を十分に行うことなく、同はしごを降り、11時30分少し前約3.5ノットの対地速力となったア号から全功丸に乗り移った。
B受審人は、全功丸の船首寄りの上甲板に降り立った直後、下船者がもう1人いることをA受審人に知らせるため上方を指差し、更にC水先修業生が移乗するまで全功丸の離舷を待たせる意図をもって、両腕を交差させたりする動作をとったが、A受審人に理解した様子が見られなかったので、急いで操舵室左舷側入口に赴き、このことを直接口頭で告げようとして叫んだ。

A受審人は、いすに座った姿勢で、操舵輪と機関の遠隔操縦レバーを握ったままB受審人の移乗を見守るうち、前方からのうねりで船体が上下動し、引き続いてうねりが接近していたので、同受審人が移乗したらすぐに離舷するつもりでいたところ、移乗した同受審人が、指や腕を動かして合図するのを操舵室前面の窓越しに認めた。
しかし、離舷を急いでいたA受審人は、B受審人の合図の意味がよく分からず、更に同受審人の叫び声の意味も聞き取れず、下船人数について正確な情報を得ていなかったこともあって、下船者はB受審人のみと判断し、右舵をとり機関を増速しかけたところ、驚いた同受審人が水先人用はしごを掴むのを認めたが、忘れ物をしたのであれば再度接舷すればよいものと思い、直ちに離舷を中止して動作の意味を聞くなど、離舷に支障がないかどうか安全確認をすることなく、下船者がもう1人いることを知らないまま離舷を開始した。

A受審人は、離舷に際し、うねりのある状況下では、水先人用はしごの揚収索が左舷側の防舷材に絡まるおそれがあったが、開放中の入口から自船及びア号の舷側の状況を確かめるなどの安全確認をしなかったので、このことに気付かず、絡まりを防止するため確実に離舷するまで低速で航行するなどの操船方法をとらずに、右舵をとったまま増速を続け、自船の船首部がア号から少し離れたとき、B受審人が水先人用はしごから手を放すのを認め、その直後、全功丸が波高約1.5メートルのうねりの山に乗り、同はしごの揚収索が、船尾部左舷側の防舷材に絡まったが、これに気付かなかった。
こうしてA受審人は、そのまま離舷を続けたところ、全功丸の右回頭と増速とによって水先人用はしごがその揚収索とともに引っ張られ、防舷材吊り下げロープが切断し、その反動で同はしごがア号の舷側に強く打ち付けられた。

C水先修業生は、B受審人に続いて舷側はしごから水先人用はしごに移り、途中まで降りかけたとき、突然水先人用はしごが外方に引かれて間もなく、同はしごとともに舷側に打ち付けられた衝撃で振り落とされ、11時30分戸島灯台から150度950メートルの地点において、海中に転落した。
当時、天候は晴で風力2の東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期にあたり、付近には約1.5ノットの南南西流があり、海上は波高約1.5メートルの南からのうねりがあった。
A受審人は、B受審人がC水先修業生の海中転落を認めて慌てて船尾方に駆け寄る動作で異変に気付き、同受審人やア号の乗組員らとともに救命浮環を投じるなどして直ちに救助作業を開始した。
C水先修業生(昭和20年1月17日生)は、しばらく泳いでいたが投下された救命浮環などに手が届かず、やがて、海中に没して行方不明となり、同月23日野間岬沖合において航行中の漁船により遺体で収容され、溺死と検案された。


(原因に対する考察)
本件は、長島海峡において、ア号から水先人と水先修業生が全功丸に移乗する際、水先修業生が海中に転落して死亡した事件である。
以下、本件発生の原因について検討する。
1 全功丸側について
(1) 離舷時の安全確認
全功丸は、単独の乗組体制をとり、操舵室でいすに座った姿勢で操船に当たると、同室のほぼ正横より前方の水平方向の見通しはできたものの、同室の天窓が閉鎖されていたことや同室後部に隣接する旅客室により、上方の見通しや斜め後方から船尾方の見通しがいずれも十分にできない状況であった。
このような見通し状況のもとで、A受審人は、ア号からの下船人数を正確に知らされていなかったとはいえ、船首部の甲板に降り立った直後のB受審人が、上方を指差して両腕を交差させ、更に操舵室左舷側入口に近寄って叫び、機関を増速しかけたとき水先人用はしごを掴むなどの通常と異なる動作をとるのを認めており、この一連の動作から、同受審人が緊急に何かを知らせようとしていると判断しなければならなかった。

更に、A受審人は、目前のうねりもそれ以前に通過したものとさして変わりのない波高で、急いで離舷しなければならない差し迫った危険があったものとは認め難く、離舷を中止してB受審人から動作の意味を聞くなどして離舷に支障がないかどうか安全確認をしていれば、下船者がB受審人のほかに1人存在することを知り、その下船者の乗船を待って離舷できたものと認められる。また、A受審人が、離舷に際し、開け放していた左舷側入口から自船及びア号の舷側の状況を確かめるなどしていたならば、うねりのある状況下では、水先人用はしごの揚収索が自船の船尾部左舷側の防舷材に絡まるおそれがあることを察知することができ、それを防止する操船方法を講じることで、防舷材吊り下げロープの切断を回避できたものと認められることから、これらの
安全確認を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
(2) 乗組体制
全功丸は、その船体構造上、操船位置から上方の見通しや後方の一部に死角が存在するので、離接舷時の安全を確保するために補助者を乗り組ませることが望ましいといえる。
しかしながら、単独の乗り組みであっても、A受審人自らが身体を操舵室の入口付近まで移動させて確認したり、もしくは乗船者に死角を補ってもらうなどの連携により、安全を確保することができると認められることから、補助者を乗り組ませなかったことを本件発生の原因とするまでもない。
(3) 防舷材の形式
全功丸は、防舷材として古タイヤを使用していたが、これは、漁船、引船、綱取用の作業船などにおいて一般によく使用されているもので、離接舷等の際、周囲の状況を十分に確認することにより、操船に留意することで索類が古タイヤに絡むのを回避できるのであるから、古タイヤを防舷材として使用したことが本件発生の原因となったものとは認めない。

(4) 下船人数の確認
A受審人が、下船人数について事前に把握しておれば、本件を回避できたといえるが、用船業務の取次店を介して、ア号から下船する水先人を牛深港まで移送することを請け負った際、それまでの実績では、下船者がほとんど1人であったことから、依頼者から特に人数についての通知がなければ、これまでのように下船者は1人と解することは当然であり、下船人数を確認しなかったことをもって本件発生の原因とするまでもない。
2 ア号側について
(1) 水先人用はしごの揚収索
離舷中の全功丸が、波高約1.5メートルのうねりの山に乗った際、水面上約1.1メートルにロープで吊り下げられた全功丸の防舷材に、ア号の、水先人用はしご下端から3段目の水面上約2メートルのステップの船尾側に少し弛ませて結ばれていた水先人用はしごの揚収索が絡まり、A受審人がこれに気付かないまま同船が離舷を続け、水先人用はしごが引っ張られて同ロープの切断が生じたものである。

水先人用はしごの揚収索は、国際パイロット協会から安全上取り付けないよう勧告されてはいるが、法的な強制力はなく、水先人用はしごの収納作業に便利であることから使用されていたものである。
全功丸側において、すでに述べたように、水先人用はしごの揚収索の取り付け状況に注意を払いながら離舷操船をすることにより、防舷材への絡まりを回避することができたのであるから、同索の取り付けが本件発生の原因をなしたものとは認められない。
(2) 下船人数の通知
B受審人が、取次店を介して全功丸を用船するに当たり、下船者が2人であることを通知せず、少しうねりがあってA受審人が操船で緊張している状況下において、同船へ移乗してから人数の通知を試みたことは適切であったとは言えず、あらかじめ下船人数を通知しなかったことは、本件発生の原因となる。

(3) 下船時の安全措置
(イ) 下船時の安全指導
B受審人は、少しうねりのある状況下において、戸島乗下船地での下船が初めてのC水先修業生とともに全功丸に移乗する際、同水先修業生に対し、同受審人が全功丸に移乗を終えて安全を確かめ、合図をするまで舷側はしごの踊り場で待機し、その合図を待って水先人用はしごに移ることなどの、安全指導を徹底していなかったものと認められる。
(ロ) 救命胴衣の着用
水先業務においては、水先人が水先人用はしごを使用して嚮導船に乗下船する際は海中に転落するおそれがあることから、日本パイロット協会では、救命胴衣を用意するよう推奨していたが、B受審人、C水先修業生の両人ともア号の嚮導に際してこれを用意していなかった。
B受審人に対する質問調書中の「C水先修業生は、海中転落後、しばらく泳いでいた。」旨の供述記載から、同水先修業生は、救命胴衣を着用していたならば、その死因が溺水であることから、死亡に至ることはなかったものと認められる。

以上の(イ)及び(ロ)から、B受審人がC水先修業生に対する安全指導を十分行わなかったことと、同水先修業生が救命胴衣を着用していなかったことは、ア号の下船者の下船時における安全措置が十分でなかったものと認められ、本件発生の原因となる。
なお、B受審人が、全功丸に移乗直後、A受審人に対し、ほかの下船者の存在を知らせることや、離舷を待つことを伝えるため手による合図を行ったが、その意図が同受審人に伝わらず、意思の疎通に齟齬があったことに鑑み、今後は水先人会と送迎に携わる業者との間で合図やその意味等についての取決めをしておくことが望ましい。


(原因)
本件水先修業生死亡は、少しうねりのある長島海峡において、全功丸が、ア号から離舷する際の安全確認が十分でなかったことと、ア号の下船者が、下船人数を事前に通知しなかったこと及び下船時の安全措置が十分でなかったこととにより、水先修業生が水先人用はしごを降下中、全功丸が防舷材にア号の水先人用はしごの揚収索を絡ませたまま離舷して防舷材の吊り下げロープを切断させ、同はしごがア号の舷側に強く打ち付けられた衝撃で、水先修業生が海中に転落したことによって発生したものである。
下船時の安全措置が適切でなかったのは、水先人が、水先修業生に対する下船時の安全指導を十分に行わなかったことと、水先修業生が救命胴衣を着用していなかったこととによるものである。


(受審人の所為)
A受審人は、少しうねりのある長島海峡の戸島乗下船地において、水先人等の送迎に従事し、ア号からの下船者を全功丸に移乗させて離舷しようとする場合、水先人が、移乗直後、上方を指差して両腕を交差させ、更に操舵室左舷側入口に近寄って叫び、機関を増速しかけたとき水先人用はしごを掴むなど、通常と異なる一連の動作をとるのを認め、かつ、目前のうねりもそれまでとさして変わりのない波高で、急いで離舷しなければならない差し迫った危険はなかったから、離舷を中止して動作の意味を聞くなど、離舷に支障がないかどうか安全確認を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同受審人は、水先人が忘れ物をしたのであれば再度接舷すればよいものと思い、離舷に支障がないかどうか安全確認を十分に行わなかった職務上の過失により、下船者がもう1人いることも、水先人用はしごの揚収索が全功丸の防舷材に絡まっていることにも気付かないまま離舷し、同はしごが引っ張られて防舷材を吊り下げていたロープを切断させ、その反動でア号の舷側に打ち付けられた同はしごを降下中の水先修業生を海中に転落させ、死亡させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
B受審人は、少しうねりのある長島海峡の戸島乗下船地において、同地における下船が初めての水先修業生とともにア号から全功丸に移乗する場合、水先修業生に対し、同受審人が全功丸に移乗して安全を確かめるまで舷側はしごの踊り場で待機し、合図を待って水先人用はしごに移ることなどの安全指導を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同受審人は、単に先に降りただけで、安全指導を十分に行わなかった職務上の過失により、全功丸が離舷したとき水先修業生を前示のように死亡させるに至った。

以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成10年11月13日長審言渡
本件水先修業生死亡は、第八全功丸とアナンゲル・エキスプレス間の相互連絡が十分でなかったばかりか、第八全功丸が、アナンゲル・エキスプレスから離舷する際の安全確認が不十分であったことによって発生したが、アナンゲル・エキスプレスが、水先人用はしご揚収索の取付方法が不適切であったことも一因をなすものである。
水先人の水先修業生に対する安全指導が不十分であったことと水先修業生が救命胴衣を着用していなかったこととは、いずれも本件発生の原因となる。
受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
受審人Bを戒告する。


参考図(1)


参考図(2)






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