天候が急変したのは夕方だった。
風は西からの強風で、船は港の奥へ吹き流されそうだ。正直に言うと俺は油断していた。
これまで地獄のようなホーン岬の強風はじめ、世界中の海で気まぐれな気象を乗り越えてきた俺は、自分の腕と勘を過信していた。いまから船尾の錨を打つ手もあるが、翌朝早々出帆を急ぎたい身になると、天候回復後、錨を巻き上げる手間が惜しかった。なあに、岩場とか深海に乗り出したんじゃあるまい。一マイル先に砂浜だってある。いざとなれば乗り上げりゃいいんだ。
しかし風は深夜から一段と強まり、船は錨を引きずったまま闇の海上を流された。こうなっては錨を追加しても間に合わない。俺は全員非常呼集して支檣索を切断し三本のマストを倒した。風の抵抗が減り、流される速度が弱まったが、高鉾島から西へ半マイルほど流されたところで岩礁に船底を擦りつけた。
たちまち船倉に浸水が始まる。船はそのまま流されたあげくに、小さな入り江を目前にして着底した。
翌朝、嘘のように晴れ渡った青空の下に、イライザ号の惨めな姿があった。船は甲板から上部を残して海中に没していた。海面に突き出た三本の切り株のようなマストが哀れだった。この辺りの水深は測ってみると約四十フィートあった。しかも海底はヘドロが堆積しているようだった。昨夜海へ投棄した帆柱は港内で見つかった。