漕ぎ手のほかにアカ(舟に入った水)汲み手まで居り、20余人乗ったというが、琉球のハーリーはその絵によれば37人乗っているからもっと規模が大きかったことを知ります。
名瀬におけるフナショブは現在の測候所下の浜を出発点にし、立神を廻って帰る競漕であったというから、それは大変なエネルギーの消耗で、単に舟漕ぎが巧みというだけではなくそれに堪える体力が必要であったようです。立神までは一里といわれたが、現在は昔海であった所まで埋立てで陸になっているから4キロはない。村村においては小型イタツケで競漕します。4月のンマーネや5月5日には青年達が5、6隻の舟を浮かべて競漕し、村人達は浜で声援しながら酒を酌み交わしたものです。子供達は平日にでも、舟が浜近くに浮かべられていると、縛いである綱を解いて乗り廻して遊ぶのであるが、それが2、3隻揃うと自然に競漕することになるのでした。それは主に夏の風景です。」