『船競漕』の全国分布調査にあたって
石原義剛
平成10年、日本財団の主催になるシンポジュウム「海は人類を救えるか」において、わたしは伊勢湾を例として、海の祭りの数々を紹介する機会があった。その際、全国の海の祭りについては別に神野善治(武蔵野美術大学)さんが紹介された。このシンポジュウムで期せずして神野さんとわたしは、近年、祭りをはじめとして海の文化に衰退の兆しが強いことを述べ、とりわけ木造の和船とそれを造る船大工がすでに消えようとしており、これをなんとか保存できぬものかと提案した。伊勢湾については、過去の調査でほぼ全体の姿を掴んでいたが、列島全域での状況はこれまで全くといっていいほど知らなかったので、何かいい方法はないかと考えていたところ、たまたま鳥羽市の若者たちが瀬戸内海は因島の櫂伝馬競漕に参加しており、そこへ櫂伝馬の技術を教えたのが、東野町(大崎上島)の住吉祭:櫂伝馬であることを聞き、見学する機会があって、海の祭りと船:船大工をともに調査する素材として『船競漕』が面白いと気づいた。これまで長年、調査を続けてこられた安冨俊雄(梅光女学院大学)さんに相談したところ、調査に加わってもいいとの返事をもらった。そこで平成12年度の日本財団の研究助成に応募し、助成を受けることができて調査をスタートさせた。
この調査では、調査期間が実質的には9ケ月程度しかないので、「浅く広く」しかし基本的な存在分布を出来る限り丹念に把握することを目標とした。幸いなことに安冨さんがすでに、対馬、壱岐、長崎周辺などの調査をされており、追跡確認ですませられるので、今回はこれまで未調査であった沖縄、奄美、北陸、東北、北海道などを重点的に調査することとした。
調査に先立って、過去の調査報告書を探して見たが、安冨さんの報告を除くと、海野清の「船競漕の民俗」(民俗学評論:1980)などわずかな研究があるばかりで、この種の基礎調査が行われていないことが分かった。これは「海の文化」という研究視点の薄さを反映しているのかもしれない。港湾や漁港の開発は進んだが、一方で、大きなものが失われつつあることを感じる。