よほどの干ばつか洪水にでも襲われない限り飢えに苦しむ事はないようです。地方ごとに多少の差異はありますが、人々の表情は明るく、また家族の絆が強く私たちが忘れかけたもの、失いかけたものが大切に残されているようにも思われます。村を訪ねると幼い子供たちが「シカモー」と言って大人の頭に手のひらを乗せ年長者への敬意を表します。大人たちは「マルハーバ」と言ってこれに応えます。出張の折り、木の枝を組み土壁を塗った家に招かれて入ると、少し大きめの石を三つ並べ囲炉裏に組んであります。鍋を乗せて温めた山羊の乳を供してくれました。おばあちゃんから孫まで、何故か家の中には女性しか居ませんでしたが、三世代からの歓迎を受け心を温められた経験があります。こうした光景は地方では珍しくないのだと聞かされました。
こうお話ししてきますと、何か地方の生活がシャングリラのようで貧困問題など存在するのかという疑問を抱かれると思いますが、そこには厳しい現実があります。高圧線が直ぐ近くまで延びているのですが、家々までは電気が届きません。電話線も国じゅうにかなり広く張り巡らされていますが、個々人の手には届かないのです。水道給水は極めて稀で、時には女性たちが長い距離を歩いて10キロも20キロもある重い水バケツを頭に載せて運んできます。温水シャワーでシャンプーなどというのは夢のまた夢。最も大きな問題の一つが医療です。病気に罹ったときに医者に払う金がない、薬を買う金がない。人間生活の最も基本的なニーズ(basic human needs)が満たされていない。世銀その他の機関が示す貧困の定義はさておき、絶対的な貧困がここには深く根を下ろしているのです。
独立後、初代大統領が極めて優しい思いで導入したアフリカ型社会主義は経済の興隆をもたらしませんでした。1998年の国民一人当たりGDPは260米ドル、いまも世界最貧国の一つに数えられています。この現状から脱却するためにタンザニアはいま積極的に経済政策の転換を図っています。1993年に395もあった国営企業など準政府機関は現在100程度にまで減っています。投資環境の整備、制度を運用する人材の育成など課題は山積していますが、ビールの醸造や煙草の生産・販売などは既に大きな成功を収め、市場経済化、民営化は急ピッチで進んでいます。
もっと知って欲しいアフリカの国―タンザニア
タンザニアの経済を支える三本の柱は農業、観光、鉱業です。金やダイヤモンドを始め鉱物資源の埋蔵量が相当あり、近い将来その順位は鉱業、観光、農業に入れ替わるだろうと予測されています。現政権は、その中で、比較的小さな投資で短期に大きな外貨収入を上げられる観光産業に注目しています。
タンザニアはアフリカ大陸の東海岸、赤道の直ぐ南、南緯1〜11度の所にあります。国土の広さは日本の約2.5倍、東端はインド洋に面して全長800キロの美しい海岸線をマングローブの森が縁取り、断続的に姿を見せる白砂の浜は30年以上も前のワイキキ・ビーチを思い起こさせます。大航海時代の1502年、バスコ・ダ・ガマは南東部にあるキルワの港に碇を降ろし、その明美な風光と世界一美味しい言われるオレンジに感嘆し、航海日誌にその驚きを書き残しています。明峰キリマンジャロやセレンゲティ国立公園、ンゴロンゴロ野生生物保護区などユネスコが指定する実に五つもの世界遺産を有し、観光資源の豊かさではアフリカ随一とも言われています。未だ地図には載っていない南西部のキトゥロ高原台地など新たな観光資源の発掘・整備が進めば、この国は将来世界的な観光デスティネーションに発展すると確信しています。1999年、欧・米などからの訪問客は50万人にものぼっています。同じ年、1,600万人を超える旅行者を世界各地に送り出した日本からの訪問者は僅かに約12,500人。