3) 岡喜三郎家(図5-4)
当家は清水町の南側に位置し、本研究の調査対象地区内の民家ではないが、日野の民家の1例としてここでは取り上げる。
敷地の南端は日野川の旧水路の河岸であり、岡伊右衛門家の西隣に370坪の敷地を占めている。岡治兵衛家とともに岡伊右衛門家の分家である。この三家は長野方面に酒や醤油、味噌の醸造販売の店を持っていたが伊右衛門氏は転業し、東京に在住という。当家の店は15代伊右衛門が長女に婿を迎えて、万延元年(1860)長野県吉田の醤油醸造店を譲ったことに始まる。従業員は日野出身者がわずか一人であった。喜三郎氏は24〜5才から店に出たが年に一ヶ月程しか日野に戻ってこられなかったという。戦後には店は弟に任せ日野に住むようになった。西田家と同じ頃の明治35年に新築され、伊右衛門、治兵衛家とともに典型的な邸宅風家屋である。道に面して石造の水路が設けられ、それに接して壁付き塀、門、白壁の土蔵が並び、重厚な外観である。
主屋は土間に接し、整形四間取であり、ここまでは日野に見られる一般的な構成であるが当家はオクノマ、ヘヤに廊下を隔てて「チョウバ」と呼ばれる小室があり、通りからは見えないように2室の2階座敷も設けられている。土間のはしには3畳の女中部屋もあり、オクノマの前からチョウバまで前栽がまわる。主屋の奥には大小二つの離れ座敷と二つの土蔵があり、これらの間には立派な庭となっている。敷地の西端は物置等である。