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(2) 桟敷窓のメインルート中部の町並み

 

1) まち歩きに出発

会議のはじまる前からグループに分かれて座っていたので、地図を広げて雑談がはじまっている。日野祭には曳山が16基出揃う。町中には曳山蔵が点在するがその場所をマーキングしてみた。メンバーたちは16の町を数えていくが、比較的小さな範囲でひとつの曳山をもっていることに驚いた。

2班の探訪エリアは、会所を中心として大聖寺近くから綿向神社までである。他の班と重ならないようにある程度ルートを決めてあり、メンバーはさっそく頭にルートをいれて出発した。

 

2) 本通りを歩く

会所を出て本通りを西に歩く。日野は城下町として町がつくられ、みちに対してのこぎり型に家が並ぶ「あてまげ」が残る。歩く方向の後ろに城址があるので前から敵が来るという想定である。中山道などでもこのような道の形態はあるが、ここ日野は蒲生氏郷のおじいさんがつくったもの、つまり戦国時代の遺産であり、今も受け継がれていることに大きな意味がある。

日野の町並みの特徴としてはもう一つ、塀が高いということ。これは近江商人が行商にでている間の防犯を意識したものとか。また近江商人の質素倹約を信条とした生き様の表われが今も残る。屋根の軒、垂木隠しは桟が並んでいるのは一枚板を使ってはもったいないというので桟で工夫したもの。また町には多くの蔵が残っている。ここには宝ではなく道具を入れて、たとえ家を火事で失っても道具があればまた始められるという意識である。

町を見ながら歩くと、空家、空地が多いことに気がつく。立派な町家が空家になっていて、「もったいないぁ」と声があがる。地域の歴史資源としての活用をあれもこれもと考えられる。そして「やっぱりこの町は大きいなあ」というのが実感として感じられる。まちに広がりがあるのである。近江商人の家からのれんわけで、番頭さんたちがどんどんと家を起こし、町が大きくなったのである。日野の経済の豊かさを思う。そして歴史資源の豊かさもあらためて確認された。信楽院の山門のすばらしい彫り物、氏郷が茶の湯につかった湧き水。暮らしのなかには辻に地蔵堂がたち、滝ノ宮神社の滝で子どものころ水浴びをしたとか。馬見岡綿向神社へ参道を通って行く。日野祭のにぎわいがきこえてきそうであった。

 

3) まちづくりからはじめよう

まち歩きの感想などを、それぞれの視点から討論した。歴史資源の豊かさ、歴史の深さはすばらしいものであると確認されたが、一方で町家の調査を早くすべき、他の町にはない日野らしさを大切にした取り組みをすべき、歴史の重層性をどうまとめるのかといった意見があった。そして空家・空地が多く残念、地域のまちづくりの施設に使えないだろうか、町での対策が必要だといった意見が続く。

暮らしからみると、歴史のあるまちを誇りに思うことができる、庭木の手入れがされて町がきれい、日野川近くの静かなところに住みたいといった意見と、子どもはどこで遊んでいるのだろう、古いたたずまいの板塀に張り紙がめだったなどの意見もあった。また、歩いてみると意外と車が多く歩きづらかったという声もあった。

来訪者からみると、散策するにはあまりにも案内板が少ない、広い町なのに休憩するところがない、みやげ物などの店がないという意見から、ウォッチングコースをつくる、駐車場の整備など観光整備の必要性があげられた。

 

 

 

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