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今回参加するにあたり、私は事前に2つのことを心に決めていた。一つ目は、出来うる限り学生たちの自主性を尊重すること。たとえ間違っていたとしても、学生たちが決めたことは決めたこと。極端に言えば命に別状が無い限り、みんなの意見を大切にしよう、と決めた。二つ目は、4年前と今回の内容を比較しないこと。心の中でも絶対に優劣をつけないようにと、事前にきめた。

では、実際にはどうであったか。まずはもどかしさを思い知ることになった。到着地はすぐそばにあるのに素直にそこにたどりつけず遠回りを繰返すのを黙認する、という感じ。学生の自主性を尊重するというのは私にとってはなかなか「言うが易し、行うは難し」であった。老婆心とでもいおうか、つい、コメントをさしはさみたくなってしまうのである。「指導」「教育」という面での自分の至らなさを自覚することの繰り返しであった。また、学生の自主性というものの不確かさを認識したのも発見であった。自分たちで考えて決めるとしておきながら、情報が与えられるのを待つ姿勢の人が多く、たまに私が何かコメントをはさむと、たちまちにそちらに意見が流されてしまうことがあった。中には意見を述べる際に、チームである仲間ではなく私の顔色を窺がうようなしぐさをする人も何人かいた。わずか数年の経験の差は、学生にとってそんなにも「脅威」なのであろうか。それとも、これが学生(特に医学生)の特徴なのだろうか。そしてまた、私自身も自分の数歩先を歩んでいる人生の先輩の意見に対しては、同様の反応を示しているのだろうか??。今回のこの経験は私にとって「指導」することや「教育」とは何かを考える上で、大変勉強になった。

二つ目の4年前と比較しないということは、思ったよりも案外簡単であった。4年前は学生としてはじめての立場で、一方、今回は社会人の立場で、それぞれ興味関心の焦点が異なっていたからかもしれない。そういうわけで、帰国後、両者を比較し優劣を問うような質問を思いのほか多くの人から投げかけられたのであるが、私個人的には全く意味をなさない問題であった。

14人の個性豊かな学生たちが次から次へと押し寄せる新鮮な体験を共有する中で、(与えられた役割を超えて)それぞれが自然に役割分担をつくりだしチームとしてまとまっていく姿は、すぐそばで観察するものにとって大変興味深いものであった。日にちが経つにつれ、お互いの緊張感がとれ、相手を知るようになり、自分とは異質なものを受け入れていく。当事者としてではなく、観察者として、コミュニケーションやチームワークというものを眺めると、今まで考えもしなかった現象を知ることが出来るのだとわかった。

長いようで短かく、短いようで長かった10日間。「指導専門家」という立場を私自身がどこまでうまく生かせたかはわからない。はっきりとしているのは、大変多くのことを今回のプログラムを通して経験し、学ぶことができた、ということである。本当に、新しいことの発見の連続であった。それをどう生かすかはこれからの私にかかっている。

このような機会を与えてくださった笹川記念保健協力財団のみなさまにこの場をかりて、深くお礼申し上げます。また、偉そうで頼りない「指導専門家」を暖かく見つめてくださったスタッフのみなさん、ありがとうございました。それから、研修医という立場であるにもかかわらず、10日間の出張を快く許可してくださった国立国際医療センター小児科のみなさんにも感謝いたします。

最後に、14人の学生のみなさん、どうもありがとう。これからもお互い良い刺激を与え合ってがんばりましょう。

 

 

 

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