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私はドキリとしました。私の中にもそういう部分が少なからずあると感じたからです。私はそれをアジアでよりも日本の労働者の町、寿町で感じました。ボランティアである労働者の人と話している時、フッとその人との距離が遠くなったように感じたのです。その時は、あれ?と感じただけでした。しかし、後から考えると、その時その人は私の態度や言葉から私のそういういやらしさを感じたのかもしれない。それでその人の私に対する態度が変わったのかもしれない。自分ではそんなものをもっているとは思っていなかった私は、その事件によって自分の中にそういう部分があることに気付きました。でもいまだにどうしたらそういう見方、感情がなくなって、同じ人間として寄り添って、ともに生きていけるか分かりません。

二番目に心に残ったのは、バブさんに、あなたはまだ、あなた自身のことが分かっていない。自分が一番何をしたいのか分かっていないと指摘されたことです。私はそのことに薄々気付いていたので、スバッと言われたことに余計腹が立ち、またショックを受けました。海外医療協力というのは私の小さい時からの夢でした。しかし、実際アジアで働いている日本人医師を見たり、自分の人間に対する見方の浅さ、自分の人間としての未熟さ、人間の悲しみ、辛さに寄り添う能力のなさに気付くにつれ、本当に私にこの仕事が果たせるのか、この道が私にとって似合っているのかということに疑問をいだくようになりました。『2階建て用の基礎工事しかしていない建物の上に、10階建ての建物を造ることはできない。あなたのしようとしていることは10階建ての建物を作ることでしょ。もっとしっかりとした基礎を作らなくてはいけないよ。自分自身のことをよく知りなさい。』この言葉は私を元気づけ、私のやるべきこと、不足している部分をはっきりと教えてくれました。『あなたの強みは何ですか。あなたの弱点は何ですか。強みをより高めるために何をしたらよいと思いますか。弱点を克服するためにどうしたらよいと思いますか。』この4つの問いを考えて、ノートに記しておくこと。というものです。建設的で今の私にはとても有効だと思いました。

今回一緒に行った仲間や、フィリピンで青年海外協力隊の看護婦、保健婦として働いている同年代の人たちからは得るものがたくさんありました。みんなそれぞれの生き方で生きているけれど、自分の人生をごまかしていないと感じました。海外協力をうさん臭いと言う人は、フィリピンでもずっとそう言い続けてひっかかり続けたし、ゆっくりだけど自分の足でしっかりと歩いてきた人からは控えめな自信を感じました。同い年の協力隊員は「人とは若干違う人生だけど、何か上手く行かないことがあっても人のせいにはしない。そのかわり自分の責任で自分のやりたいことを選択してきた。私の人生は私の物だもの。」と誇らしげに、生々と話してくれました。

そのような人たちの中にいて、私はどうも今まで自分の人生を人任せにして逃げていた部分があるのではないか。自分の価値すら人に決めてもらって、それに甘んじていたのではないか。楽だった分、自分自身で作り上げた人生ではなかったのではないか。と気付き、考え込んでしまいました。

今回のいろいろな体験やきづきを忘れないで、少し新鮮な気持ちで明日からまたBSTに戻ります。貴重なチャンスを与えて下さった、笹川保健協力財団の方に感謝します。

 

 

 

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