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犯罪被害者今昔

三輪佳久

 

「死んだ○○のために、残された私に父親としてできるのは、××が○○にしたように、この私の手で××を死に至らしめることです。…でも、それは許されないのです…。」最愛の息子を殺された父親の心の底からしぼり出すような鳴咽が、静かな広い法廷に響いた。

今から二十年程前の私が裁判官をしていた頃のある法廷の光景である。

二十年も前の話をここに書くのは、当時の犯罪被害者の悲痛な心情を紹介するためではない。当時も今も、犯罪被害者の背負う傷の重さは何も変わっていないのである。

しかし、当時はこのような犯罪被害者の加害者に対する心情を公の場で率直に表明することは「野蛮」なことであり、さらにはそのような心情を持つこと自体が人間として「未成熟」だといわれんばかりの考えが通用していたのである。そのため、このような率直な心情の開示はほとんどみられなかったのである。

ある日突然一方的に理不尽な犯罪の被害者となり、心に深い傷を負いながら加害者を絶対に許せないものと考える自分自身を、何と未成熟で野蛮な人間だと貶めざる得ない立場に追いつめられ、しかもそのような悲痛な状況を打ち明ける場もなかったのである。

今から顧みれば、犯罪被害者を取り巻く環境は想像を絶するものであった。そして、犯罪を扱う関係者にも、犯罪被害者に対する配慮は今と比較してほとんど絶無に近い状態だったのである。女性犯罪の被害者は、犯罪の被害を被るだけでなく、告訴手続きをとれば、捜査機関の事情聴取、そして裁判になると法廷で加害者と対峙しての証言と、犯罪被害者であるゆえにさらに二度の過酷な試練を経なければならなかった。実際、同じ日の法廷で同じ女性が二つの女性犯罪の被害者として二度証人となったことすらある。

このように今から振り返ってみれば、当時の状況は、犯罪被害者の存在意義は刑事手続上犯罪成立の要件の一つであるということだけで、喜怒哀楽の感情を持った生身の人間である犯罪被害者という人間像ではなく、人間として忘れ去られていたのであった。そして刑事手続きに携わっていた関係者も、それが当り前であり特に疑問を持つようなこともなかったのである。

このような経緯から今日の状況をみると、法律の規定の改正、被害者救済制度の整備等により犯罪被害者の地位がようやく見直されてきたと思われる。

けれども、将来、現在の状態を振り返ってみれば、「犯罪被害者救済制度があんな貧弱な状態だったのか」と評価される可能性も大いにあり得ることである。

犯罪被害者救済に携わる方々も、現在の状況に満足することなく将来を見据え、さらに犯罪被害者救済制度を充実させていかれるよう心から願っている。 (弁護士)

 

 

 

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