昭和六十年、阿蘇国立公園高森峠千本桜に
「下りて来し麓の花はすでに散り」
の句碑が、又室戸岬灯台に
「雨強き室戸の春を惜しみけり」
の句碑が建立された。句碑は俳人冥利に尽きるものである。有名な俳人でも数碑しかないのに橙青は十碑にも及ぶ句碑が建立されている。花鳥諷詠の本道を守り人生の哀歓を泳いだ自然児の風格が橙青の句の平明な表現の中に滲んでいる。ホトトギス十傑の一人としていかに傑出した俳人であったかが窺へられる。
回想録を出版し心の荷が下りた橙青は今後は俳諧を友に心豊かに過したいと語っている。
「俳階に託す餘世や笹鳴けり」
時の流れをしかと見定める洞察力には定評があった。橙青は昭和六十二年四月、日本伝統俳句協会の創立に尽力し副会長に、更らに六月にホトトギス同人会長に就任し俳界の発展に尽している。
難病のパーキンソン病に肺炎を併発させ入院していた橙青は治療の甲斐なく平成八年十月十四日永眠した。享年九十二才。
「橙青逝く西の虚子忌の夜遅く」
白村
何んの因縁だろうか虚子の直弟子の橙青が亡くなった十月十四日は毎年比叡山横川の虚子之塔で虚子の法要が行なわれる「西の虚子忌」と呼ばれる日であった。平成三年に
「後の世も虚子に仕へて時雨る我」
と詠んでいた橙青は本当に虚子の所へ行ったのだろう。
白村とは現在日本伝統俳句協会の理事をされている、ご子息大久保泰治氏のことです。
橙青は生前に自分の戒名を考へている。
「戒名を自ら決めて小豆粥」
戒名は「大海院正誉仁愛橙青居士」である。自分がこよなく愛した海と命をかけた海上保安庁の基本精神にもなっている正義仁愛と俳号が並んでいる。実に平明で実に橙青らしい。
葬儀の遺影の横に
「武さし野の木枯とゞむすべもなし」
の句が飾られた。信念を貫き生を全うした人に相応しい句である。ホトトギス主宰稲畑汀子は弔辞の中で橙青晩年の巻頭句として、
「笈負いて出でしふるさと鳥雲に」
を揚げている。ふるさとの鳥雲に自分の帰る所を思っていたのだろうか、汀子主宰の追悼句は
「ふるさとの阿蘇の小春に杖曳かれ」
であった。自然と郷土を作句の心の糧にしていた橙青への何によりの餞である。
本人の遺言で平成七年十月三日ふるさとの海で自然葬が行なわれた。栄久丸の船上から遺族の手により遺灰が有明海にまかれ花が捧げられた。海の俳人らしい終幕である。白村氏の奥様が追悼する。
「秋潮の藍の深きに散骨す」
幸子
平成十年橙青の一回忌にあたりご子息白村氏の手により遺句集「老の杖」が刊行された。
「錨揚ぐ月の雫をこぼしつつ」
大好きな海の句も載せられている。
「行春の使い馴れたる老の杖」
この句集を読んだ人々からは、老いて増々磨かれゆく心の円鏡は羨しくも美事、又、枯れ切れぬ若さがある骨格正しい静謐な響ある作品等との絶賛が寄せられている。