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昭和四十九年、海洋新時代に備へ海洋議員連盟を創立しワシントンで開かれた第一回日米海洋会議に出席している。

「冬濤の立ち上りては壱岐隠す」

折からのオイルショックに低迷する日本のため苦難に挑戦することを誓う。

昭和五十年、国際海洋法の成立・海洋の安全と防衛等の民問組織を作るため日本海洋協会を発足させた。

「長き藻をなびかせてゐて水澄めり」

昭和五十一年親友の鈴木善幸に頼まれ日米漁業交渉打開のため急拠渡米

「アラスカの白夜の氷河茜さし」

この頃の橙青は大物政治家としての手腕を随所にみせて活躍していた。

「政治家に余生とてなし露の秋」

 

昭和五十二年四月後進に道を譲り衆議員議員を引退した橙青は同年九月に(財)海上保安協会会長に就任した。古巣に帰ったような気持だったろう。

「かかる間も飛梅こぼれやまざりし」

百花に魅けて花開き芳香を放つ梅を海上保安庁のシンボルときめ正幅のコンパスマークの回りに梅をあしらった彼が人の気付かぬ海上で尊い人命と国土を守る海上保安官の苦労を思って昭和五十七年二月に太宰府で詠んだ句である。

 

昭和五十二年政界引退後の余生を海洋の安全と子弟教育に捧げたいと決意した橙青に熊本の人々は彼の銅像を熊本第一工業の小高い緑地に建立してくれた。世に銅像が数多くあるが生前に像を立てられた人は数少ない。

いかに橙青が郷土に尽し郷土の人々愛されていたかがよくわかる。

「後の月仰ぎ生涯一学徒」

と所懐を句に託している。

橙青はその後、熊本工業専門学校の初代学長又、開新学園理事長に就任し教育界にも尽力している。

 

昭和五十三年、橙青は勲一等瑞宝章を授与された。この栄光は私一人のものではないと朝鮮戦争に参加した機雷掃海隊のことを思い、

「春惜しむ慶びごとに召されても」

の句を詠む、更らに触雷し犠牲となって亡くなった若き掃海隊員のことを思い、歴史に事実を残さなければと、戦後の秘央『海鳴りの日々』を執筆し出版した。

「春愁の花に背きてゐることも」

『海鳴りの日々』は国内外に大反響を起した。中でもNHKテレビは『日本特別掃海隊朝鮮戦争秘央』として特集を組み数回放映した。

「書き遺す戦後の秘央や盆の月」

 

昭和五十八年十一月、橙青は八十才を迎えた。

「風花の舞添へくれし傘寿の賀」

この句は別府大野茶園の庭に句碑となっている。

「原爆に果つ身なりしを吊葱」

強運の長寿を素直に喜ぶと共に回想録の執筆に余念がなかった。

「稿つぎてはや十年や天の川」

昭和五十九年九月、回想録『霧笛鳴り止まず』が出版された。

出版会は今迄にない豪華な顔ぶれが揃い世間を驚かせた。鈴木善幸・中曽根康弘・田中角栄・宮沢喜一・池田勇人夫人・大平正芳夫人・鈴木俊一東京都知事・その他の高官・俳人稲畑汀子・地唄舞の武原はん・歌手の若山彰、それに海上保安庁元掃海隊有志の面々が参加し徳光和夫の名司会で会は進み最後に全員による“喜びも悲しみも幾歳月”の大合唱で終っている。

 

 

 

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