中国における日本語教育(概要)
1. 日本語教育の歴史
(1) 中華人民共和国(成立1949年)は、成立後国家建設に資する人材養成手段として重視しています。
成立直後、教育部は「外国語教育7ヵ年計画」を策定し新たに数校の外国語専門校を設立し、総合大学外国語学部に「日本語学科」または日本語専攻を開設しました。
(2) 1966年に発動された「文化大革命」は、外国語を学び、教えることはブルジョア的であると批判・排除され、外国語教育と研究活動は頓挫しました。
(3) 「文化大革命」の終焉後の1978年12月の「十一期三中全会」で、「改革と開放」政策が策定され、中国が「四つの現代化」(工業、農業、科学技術、軍事)の新時代へ転換しはじめたこと。1972年の日中国交回復、78年の日中平和友好条約締結等によって、日本語教育は再び大きく取り上げられることとなりました。
★ 1978年3月18日の全国科学会議、4月22日の全国教育工作会議等で科学技術の発展には教育の果たす役割の重要性を確認しました。
★ 1978年8月28日〜9月10日「全国外国語教育座談会」(於北京)で、新中国建設以来の外国語教育の経験と教訓を総括。今後の外国語教育の充実につき論議。
★ 「十一期三中全会」後、教育部(国家教育委員会)は、「外国語教育の強化に関する意見」を公布しました。(1979年3月29日)
(4) 1980年に日本の国際交流基金による在中国日本語研修センター設立されました(いわゆる「大平学校」)。
さらに1985年には在中国日本語研修センターの継承・発展した形で、日本の国際交流基金と中国・国家教育委員会の共同出資による「北京日本学研究センター」が北京外国語学院のなかに設置されました。
(5) 人的交流面でも、在中国日本語研修センターの日本人研究者のほか、多数の日本人研究者、教師が各地の大学・学院で長期・短期の講義を担当。また日中共同シンポジュウムなどの研究集会に参加。これらの活動に国際交流基金が大きな役割を果たしました。