「苦しみを通して神と人が出会い、結びつけられる」という意味では、旧約聖書の中心をなす物語、映画『十戒』で有名な「出エジプト」の物語があります。いまから3200年以上前の出来事ですが、世界中のユダヤ人は今日でもこの出来事を想起するカレンダーに従って、毎年、生活しているのです。
この壮大なドラマの発端は神様がモーセを呼び出して伝えた次の言葉です。
「私はエジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、その痛みを知った。今、行きなさい。人々をエジプトから連れ出すのだ」(出エジプト記3章7〜10節)
人々の苦しみ、痛みに共苦し共感して「どうにかしてあげたい」と思い、積極的にかかわりを求める神の姿がそこにあります。
新約聖書の“共苦する神”
新約聖書のギリシア語に「スプランクニゾマイ」という舌を噛みそうな言葉があります。スプランクとは、腸とか腹のことで「はらわたがよじれる、はらわたがちぎれそうだ」という意味です。文字どおり「断腸の思い」ということです。沖縄では「チムグルシ」、つまり肝が苦しいというそうですが、それにもつながるイメージの言葉だ思います。
実はこの「断腸の思い」は、新約聖書の大事なキーワードのひとつなのです。この言葉が使われている場面を2カ所だけ紹介しておきましょう。