街に古い建物がなくなり、駐車場が増え、電柱の横にはネコよけのペットボトルが置かれている風景をよくみかける。ネコが街をうろうろしている。小学生のとき、「ラッキー」というネコを飼いジャレあって遊んだ思い出がある。帰省すると「マリコ」というネコが門の前で待っていた。前家のネコだが母もよくかわいがっている。
第二次ペットブームで二兆円産業といわれていて、マンションなどペット可が増えている。ネコは甘えと警戒心が同居している。独立心が強く、自由を愛する。街中でも飼いネコと野良ネコの区別がむつかしい。ネコは軒づたいに逃げ平衡感覚もすばらしい。
家族も子供が成長すると、会話の中心が犬やネコなどペットの話題が中心となる。アニマル・テラピーと大げさに言わなくても、人間を癒してくれている。心のバランスやコミュニケーションをとる役割を果しているのだ。
ペットがいなかったら全く会話のない家も多いようである。一人で老年を過ごす場合はなおさらである。話題がペット相手だと罪がない。
老年になると、犬よりネコの方がよい場合が多い。腰や膝が痛い場合でも、ネコは散歩に連れて行かなくてすむ。世話がかからない。体力のいらないネコか小型犬が人気がある。ネコは自由に動き回り、ごはんの時のみやって来る。クサリにつながれたネコは想像できない。犬に比べ自由なのである。
サザエさんの家では、三毛ネコのタマが愛矯をふりまいていた。古き良き時代にネコがサンマを七輪からくわえて取っていく風景が忘れられない。ネコは犬と共に長い歴史をはぐくんできた興味深い動物である。帰省し、ふるさとの洞海湾を見て風を感じるとなぜか心がふるえる。子供時代の家族で過していた頃を思い出す。
母が守っている父の残した小さな"杤木ビル"の屋上から見える風景は格別である。しかし船の出入港が少なくなり、昔よく歩いた商店街も、テナントと医院の看板が目につき、駐車場とネコばかりが増え、自分らと共に老いていっているようで少しさみしさを憶える。