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麻川さん、麻川さんは私どもの会員でございます。はい、どうぞ。

麻川黙雷 海洋国家日本のシンボルは正倉院だと、私は思っております。その繁栄の極致・正倉院にしがみ付いていたら日本の将来の発展はないだろうと思うのです。

昨今、北東アジアに新たな地政学的状況が形成されるなか、近隣七民族興亡の原因究明が焦眉の急です。古代地中海世界の興亡を鏤々解説なさる森本さんにその点、特に言及してご教導頂きたいのです。

数年前11月、ロンドン大学メイオール教授が来日し「民族主義と国際問題」を論じた時、「世界は8000言語、国連加入189カ国、紛争102ヶ所、願いは仲良く国に納まって共存すること、ルアンダのツチ族のようにはみ出ては困る。」と述べました。この時、質問ありて「単一民族・単一言語日本をどう思うか?」これに応えて「私は七民族と見ている。」と。七民族についてメイオール教授の具体的説明はありませんでした。然し、日本が統一国家となった時代、それは東大寺建立・大仏開眼法会の時、七カ国(高句麗・百済・新羅・唐・渤海・度羅(又は、耽羅・済州島)・林邑(南ベトナム))から舞楽が奉納され雑然と行われておりました。仁明天皇承和年間(833〜50在位)、嵯峨上皇中心に今日の雅楽に統一されました。一方、政治は「承和の変」藤原良房が統一し藤原時代の到来です。つまり、君国日本は、国際的な多民族国家であり、正倉院の収集品や雅楽にその証しがあるというわけです。

渤海はロシアの南下で、唐は毛沢東の八路軍で、高句麗・百済・新羅は朝鮮戦争の近親憎悪で、林邑(南ベトナム)はHoaky(星条旗・アメリカを指す、ベトナム語)の撤収で、度羅(済州島)は日本敗戦後4・3事件でそれぞれ砕けました。

北東アジアの統一は、清朝の乾隆帝(1711〜99)の時、ピークに達し、亡きあと、分解を辿り、日本を構成する七民族の故郷が相次ぎ新時代の波に埋もれていくのは何故なのか?その辺りを踏まえて日本の意識改革はどうあるべきなのか?身近なお話としてお聞かせ願いたいのです。BC年代の地中海世界のお話ですと、私には、冥王星・天王星の様に遠く響きますので、是非、近隣世界の現代に戻して頂きたい。

最後に、ひな壇に並んでおられる諸先生のお顔を、久しぶりに拝見して、今までと違う、唐末期の貴族の様で、元気ないなあと感じますので、ここは一つ、午後の部もまだありますのでせいぜい頑張って下さい、お願いします。

伊藤憲一(議長) 大変辛辣なコメントをいただきましたので、パネリストの皆さんには、この後で頑張ってもらいたいと思います。

 

 

 

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