第2に、NASPOの資料によると、国産品優遇を行っているとされる、カリフォルニア州(乗用車)、コネティカット州(繊維)、ハワイ州(適用するには曖昧な規定)、イリノイ州(公共事業用の鉄)、アイオワ州(自動車)、カンザス州(使われたことはない)、ルイジアナ州(自動車)、メリーランド州(公共事業用の鉄)、ミネソタ州、ミシシッピ州、ミズーリ州、ニュージャージー州(公共事業用物資)、ニューメキシコ州、ニューヨーク州(公共事業用の鉄)、オハイオ州、オクラホマ州、ペンシルベニア州、ロードアイランド州(鉄)、サウスカロライナ州、ウェストバージニア州、ウィスコンシン州、ワイオミング州(牛肉)のうち、ニュージャージー州、ニューメキシコ州、オハイオ州、サウスカロライナ州、ウェストバージニア州については政府調達協定に参加していないので問題はない。また、アイオワ州、メリーランド州、ニューヨーク州、オクラホマ州の鉄、石炭、自動車等については適用除外になっているのでおそらく問題はない。また、カリフォルニア州においては国産品優遇法は実施されていないようである(不確定な部分もあるが)。しかし、その他のコネティカット州、ハワイ州、イリノイ州、カンザス州、ルイジアナ州(特に自動車)、ミネソタ州、ミシシッピ州、ミズーリ州、ペンシルベニア州、ロードアイランド州、ウィスコンシン州、ワイオミングについては、政府調達協定締約国に対する運用をチェックする必要がある。
第3に、一般的な点であるが、事前審査における高潔(integrity)あるいは倫理(ethics)の認定を介して入札企業の海外等での人権・環境関連活動が入る可能性がある。これがどの程度起こっているのか、また、これがWTO協定上どこまで許されるのかも検討する必要がある。
第4に、政府調達協定上、米国に関しては小企業優遇、少数民族・女性企業優遇が明示的に例外として認められている。また、環境上の措置も認められると明示されている。しかし、これらの定義はどこにもない。従って、どこまでが小企業、少数民族企業、女性企業あるは環境上の措置(例えばリサイクル品優遇)として認められるのかについても検討する余地がある。
4 おわりに
最後に、米国のWTO政府調達協定への対応の特色を、一部は繰り返しになるが、日本との比較も踏まえて述べておきたい。第1に、米国においては、WTO政府調達協定交渉の早い時点から連邦政府と州政府の調整が行われ、それが州政府側の不満を抑える上で役立った。そして、そのような調整が実効的に行われた要因の1つとして、州政府の側に十分な政策知識を持ったキーパーソンがいたことがあげられる。
第2に、例外規定の設定の在り方について、大きな差異が見られる。日本の場合は、交渉に際して、地方の建設サービスの適用除外の下限をあげることに集中していたようである。日本の地方政府の建設サービスの適用除外の下限は1500万SDRであり、米国の地方政府の建設サービスの適用除外の下限500万ドルの3倍である。他方、米国においては、政治的な個別品目の除外(石炭、自動車、鉄)を一定の州について埋め込み、交通道路連邦補助金を例外化し、小企業・少数民族企業等に関する優遇措置を例外化した。また、例えば小企業、少数民族企業等の定義がなされていないので、米国側はこれらの定義を柔軟に利用することができた。
第3に、米国においては、協定実施のために、包括的なウルグアイラウンド協定実施法が制定された。それには連邦政府が、WTO協定に反する州の措置を無効とすることを求める争訟手続きが整備された。ただ、実際にはそれを実際に用いるのは極めて難しい状況になっており、これまで用いられた事例はない。その背景には、そもそも州政府の管轄事項である調達制度に連邦政府がどこまで関与できるのかに関して基本的疑義があり、その基本的な点について曖昧なままに連邦政府と州政府の合意が行われたという事情がある(33)。
第4に、米国の調達制度は連邦と各州、また、各州間でバラバラである。そのため、調達制度間の比較可能性が低い。そのため、比較的共通のシステム(例えば建設入札の際の点数制による事前審査)を採用している日本と異なり、中央政府と地方政府、地方政府の間の運用の差異を理由として不合理な差異であると訴えられる可能性は小さい。
第5に、米国においてWTO政府調達協定締結を促した圧力として、内在的調達改革圧力があった(34)。1990年代には地方政府レベルにおいてもニューパブリックマネジメントや電子政府化の動きが進み、それが調達改革の基礎となった。そのため調達関係部局は調達コスト引き下げの観点から基本的には政府調達協定への参加を含む競争促進に賛成した。実際に、州の調達機関の団体であるNASPOは公に政府調達協定支持を表明していた。他方、貿易商業部局は輸出の強い州においては政府調達協定を支持したが、そうでない場合には保護主義的行動をとることも多かった。