はじめに
本稿で扱うのは、中国湖北省の秘境地帯、神農架林区の観光地化の過程と、当地に出没するという噂のある、伝説の怪獣“野人”を使ったユークなプロモーション展開についてである。ヒマラヤの“雪男”同様、一説に古代人類の生き残りとも、新種の類人猿ともいわれている謎の存在である“野人”が、中国大陸の奥地、原生林が広がる神農架地区で目撃されるようになったのは、当地の開発が始まった1970年代後半のことである。以後、国家レベルの考察隊が送られるなどして、一時ブームを巻き起こした“野人”は、発見されぬまま、80年代半ばにいったん終息する。しかし世紀末間近の90年代後半、意外な形で復活を遂げる。三峡ダム建設にともない、開発の要請を受けた神農架観光産業の広告塔としてである。“野人”を使ったプロモーションは、各メディアを駆使して行われ、その名を内外に広めることに成功した。神農架“野人”については、これまで生物学・人類学などの見地から語られることはあっても、土地の産業振興の面から言及されたことはない。本稿で私は、現地取材などを通し、「観光」と言う切り口で“野人”を分析し、「観光における未確認生物伝説の利用」という問題について、考察していきたい。
1. 神農架という土地
1] 概況
中国滞北省神農架林区は、1970年国務院の批准を経て成立する。湖北省の西部に位置し、東は嚢焚市、西は直轄地である重慶市と接し、南は三峡に通じ、北は武当山を望む。3つの鎮(松柏鎮・木魚鎮・陽日鎮)と12の郷からなっている。行政の中心は松柏鎮で、ここに人民政府がある。3,000メートル級の山々がそびえる南側帯は、国家級の自然保護区である。総面積3,250キロ平方メートル。人口は、7万9,000人(1997年現在)である。
神農架という地名は、神話上の皇帝、神農氏(炎帝)がこの土地で百薬の味見を行った際、あまりに高く険しい地形なのではしごを掛けたという伝説に由来しているという。
開発される以前の神農架は、人跡稀な原生林であった。1959年、神農架開発指揮部が組織され、それからおよそ8年の歳月をかけて道を切り開いた。車道が通じたのは1966年のことである。