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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年11月15日14時45分 広島湾西能美島東岸 2 船舶の要目 船種船名
油送船第七芳江丸 作業船いりふねでふね 総トン数 998トン 0.35トン 登録長 75.07メートル 11.30メートル 幅
2.80メートル 深さ 1.10メートル 機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関 出力 1,912キロワット
139キロワット 3 事実の経過 第七芳江丸(以下「芳江丸」という。)は、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型油送船で、平成7年12月広島湾西能美島東岸のR造船株式会社(以下「R造船」という。)において竣工し、就航後の翌8年11月9日中間検査受検、機関整備などの目的で同社浮ドックに入渠したのち、同月15日試運転のため出渠することとなった。 ところで前示浮ドックは、長さ約80メートル幅約23メートルの大きさで、ほぼ南北方向に続く陸岸から、東方に突き出るように配置されている造船所諸施設の南東端に、ゲートが約140度(真方位、以下同じ。)に向いて設置されていて、当時、同ドック沖側には1,000トン級の新造船が係留中で、また、ゲートから南南東110メートルばかりのところに、小型作業船などが利用する浮桟橋があり、入り船の状態で約320度に向首して入渠していた芳江丸が、出渠に際し、そのままの態勢でゲートを替わり後退すると、左舷側約30メートルの間隔で同桟僑を航過する状況であった。 また、R造船は、入出渠船のきょう導は新造時を除き自社で行っておらず、それを担当するドックマスターが在籍せず、該当船船長に、入渠時は浮ドック前面に到着するまでを、出渠時は船体を浮ドックから引き出し最後の係留索を放してから以降のきょう導を、それぞれ委ねるものとしていたが、芳江丸の新造後初めての出渠に際し、C指定海難関係人は、出渠作業責任者また同船担当総責任者として、試運転が完了するまでの芳江丸の運航につきA受審人と密に連絡をとるべき立場にあったのに、同人に対して明確に自社のきょう導制度について連絡せず、そのためA受審人により、いりふねでふね(以下「い号」という。)が芳江丸の浮ドックからの引き出し及びそれに続く操船補助を行う予定であったものの、い号の作業要領、両船間の連絡方法などが十分考慮されず、それらについての打ち合わせも開かれなかった。 こうして芳江丸は、A受審人ほか8人が乗り組み、ドック作業員と関係者が同乗し、きょう導担当者が乗船しないまま、海水バラスト約400トンを張り、船首2.0メートル船尾3.5メートルの喫水をもって、同日14時40分い号により浮ドックから引き出され始めた。 そのころA受審人は、船橋で機関長とともに出渠配置に就き、自船のきょう導について、入渠時はR造船からの連絡を受け、ドックマスターが乗船しないまま自身の操船で浮ドック前面に至ったものの、出渠時は、C指定海難関係人から明確にきょう導について連絡を受けていなかったこと、新造時に船長として乗り組んでいたとき、試運転終了の時点まで造船所により操船がなされたことなどから、造船所により行われるものと思っていたところ、ドックマスターが乗船しないまま引き出しが始まったので、初めて自身で試運転海域まで運航する必要があることを自覚した。 また、い号は、R造船において、主に入出渠船の操船補助作業に従事する平甲板型曳船で、B受審人が1人で乗り組み、船首0.8メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、同日14時ごろ同造船所内の係留地を発進し、芳江丸の船尾に着け、直径38ミリメートル長さ20.5メートルで両端をアイ加工したクレモナ製曳航索を、同船右舷船尾甲板上のビットと自船の船尾端から4.9メートル前方で船体中央部甲板上高さ約1.3メートルに設置された曳航用フック間にとり、同船の引き出し準備を行った。 こうしてB受審人は、芳江丸と作業要領、連絡方法などについての打ち合わせが行われなかったものの、今まで何度も出渠船の引き出し、操船補助を行っていて、通常出渠船が浮ドックを出て、沖に向け進行する態勢になるまで作業を続け、その後出渠船船長の指示により曳航索を放す手順であったことから今回も同様と思い、造船所担当者からの引き出しの合図を待った。 14時40分B受審人は、浮ドック上の担当者からの合図を見て、機関を微速力前進にかけ、140度に向首して芳江丸を引き出し始め、同時43分右舷前方の浮桟橋に並びかけたころ、後方を見て芳江丸の最後の係留索が放たれ同船が浮ドックを出たことを認め、通常行っている手順で、機関を半速力前進に増速し同船を沖側に出すよう徐々に左転し、引き続き同船を引いた。 14時44分B受審人は、芳江丸が船首を右方に振り沖側に向け進行する態勢になったことを認め、作業が終了したものと判断し、同船からの指示はなかったものの、曳航索を弛ませるため機関をいったん後進にかけたのち東方に向いて停止し、芳江丸船尾作業員に手振りで合図し、曳航索が同船船尾のビットから外されるのを待った。 一方、A受審人は、14時43分船首がドックゲートを替わったとき、バウスラスターを使用して船首を沖に向くよう右方に振り始め、次いで船尾が浮桟橋に近づかないよう左舵一杯をとり、機関を2.5ノットの微速力前進にかけ、ほとんど前進行きあしをつけずにい号に引かれて後退し、同時44分大新開1号防波堤(以下「1号防波堤」という。)南東端から046度100メートルの地点でほぼ340度に向首し、浮ドック沖側に係留中の新造船を替わりそのまま進行できる態勢となったとき、い号の作業状況を十分確認して前進行きあしをつけないと同船を横引きするおそれのある状況であったが、後方の浮桟橋に近くなっていて気があせったことに加え、事前に自身で操船することについて明確に連絡を受けておらず、い号について十分考慮できなかったこともあり、同船の作業状況を船尾配置員に報告させるとか自身で視認するなどして確認することなく、直ちに前進しようとバウスラスターを停止し、舵を中央にもどしたところ、徐々に行きあしがつき、弛み始めていたい号の曳航索は緊張して放たれず、まもなくい号の左舷方から同船を横引きする状態となった。 14時45分わずか前A受審人は、船尾作業員からの連絡を受け、初めてい号を横引きしていることに気付き、急ぎ機関を停止したが及ばず、14時45分1号防波堤南東端から035度120メートルの地点において、芳江丸が340度に向首して、い号は左舷正横に向け復原力を越えて横引きされ左舷側に転覆した。 また、B受審人は、曳航索が放たれるよう待機を始めてまもなく、同索が張り詰め、船体が横引きされて急激に左舷側に傾斜しどうすることもできなかった。 当時、天候は晴で風力5の北風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。 転覆の結果、船体は数分のうちに沈没し、主機、電気系統などに濡損を生じたが、のち修理され、B受審人は沈没の直前海中に飛び込み救助されたが、胸腹部、両肩などを負傷した。
(原因) 本件転覆は、出渠操船に際し、芳江丸が、操船補助を行っているい号に対する作業状況の確認が不十分で、前進行きあしをつけて同船を横引きし、復原力を喪失させたことによって発生したものである。 造船所出渠作業責任者が、芳江丸の初めての出渠に際し、芳江丸船長に対してきょう導制度について明確に連絡しなかったことは本件発生の原因となる。
(受審人等の所為) A受審人は、広島湾西能美島束岸のR造船において、出渠操船に従事中、前進行きあしとする場合、操船補助を行っているい号を横引きすることのないよう、同船の作業状況を十分確認すべき注意義務があった。しかるに、同人は、後方の浮桟橋に近づくことで気があせり、い号の作業状況を十分確認けることなく前進行きあしをつけた職務上の過失により、同船を横引き状態として転覆を招き、い号の主機、電気系統などに濡損を生じさせ、B受審人を負傷させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 C指定海難関係人が、芳江丸の初めての出渠に際し、A受審人に対しきょう導制度について明確に連絡しなかったことは、本件発生の原因となる。 C指定海難関係人に対しては、本件発生後、入出渠船と十分に連絡をとることに努めていることに徴し、勧告しない。 B受審人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。 |