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1999年(平成11年)

平成11年横審第50号
    件名
プレジャーボート第II美和丸転覆事件

    事件区分
転覆事件
    言渡年月日
平成11年9月8日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、勝又三郎
    理事官
関隆彰

    受審人
A 職名:第II美和丸船長 海技免状:四級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
大破、のち廃船、同乗者1人が死亡

    原因
気象・海象に対する配慮不十分(波浪)

    主文
本件転覆は、波浪に対する配慮が十分でなかったことによって発生したものである。
受審人Aの四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年7月28日08時12分
茨城県日立市会瀬漁港北方
2 船舶の要目
船種船名 プレジャーボート第II美和丸
全長 7.16メートル
登録長 6.88メートル
幅 2.36メートル
深さ 1.22メートル
機関の種類 電気点火機関
出力 102キロワット
3 事実の経過
第II美和丸(以下「美和丸」という。)は、ヤマハ発動機株式会社のFR-24型と称する最大とう載人員10人のFRP製プレジャーボートで、船首部にキャビン、中央部に操舵室及び船尾部に船尾甲板を配し、操舵室右舷側には操縦席が、同左舷側にはキャビンに通じる出入口があり、船尾端に船外機が装備されていた。
A受審人は、美和丸に1人で乗り組み、知人のBを乗せ、かに籠(かご)を投入する目的で、船首0.1メートル船尾0.6メートルの喫水をもって、平成8年7月28日08時05分茨城県会瀬漁港を発し、同漁港北方約1.2海里の鶴首岬沖合のかに籠投入予定地点に向かった。
ところで、会瀬漁港は、北側から南側にかけて防波堤によって囲まれ、南西側の防波堤開口部が港口となっており、同港口から東方約300メートルにかけて七夕磯と称する岩礁が広がっていた。また、同漁港の北側に隣接する初埼海岸は、同漁港北側の防波堤と初埼から東南東方約100メートル沖合に延びる岩礁とによって囲まれた、南北約200メートルの砂浜で海水浴場となっているが、同海水浴場が東方に向いて外海に面しており、進入した波浪が海岸線から約100メートル沖合の水深約3メートルの浅水域(以下「海水浴場付近」という。)に達すると、波高が増大して砕け波が発生しやすい状況となっていた。
A受審人は、夏場になると週に2ないし3回の頻度で、会瀬漁港周辺海域に釣りに出かけており、海水浴場の沖合でもトローリングをしていたので、海水浴場付近で砕け波が発生しやすいことを知っていた。
A受審人は、操縦席で手動操舵にあたり、暑かったこともあって救命胴衣を着用せず、B同乗者に対しても救命胴衣を着用するよう指示せず、船尾甲板でかに籠の準備に当たらせ、漁港内では機関回転数毎分1,500の微速力前進にかけ、適宜の針路で航走し、08時08分同漁港の南口防波堤南端を替わしたところで、機関回転数を徐々に上げて同4,000の23.0ノットの速力とし、同防波堤の東側に広がる七夕磯の南側をこれに沿って東行したところ、南東方向から波高が1メートルを超える波浪が打ち寄せて同磯周辺は一面に白波が立っており、波が船首部を叩く衝撃でキャビン内の便所の開き戸が開閉し、椅子(いす)が倒れたりしたが、これより波が高いときに釣りに出かけたこともあり、鶴首岬沖合は同磯付近ほど波が高くならないので、予定どおり同岬沖合に向かった。
A受審人は、七夕磯を左回りに大きく替わしたのち、08時09分わずか過ぎ、会瀬港防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)から090度(真方位、以下同じ。)450メートルの地点において、一旦針路を鶴首岬沖合に向く013度に定め、波浪を右舷後方から受けながら進行したが、翌日海水浴場沖合のいつもの釣り場でトローリングによるすずき釣りを予定していたことから、同釣り場の波浪の状況や海水の濁り具合などを見ておこうと思い立ち、同釣り場に立ち寄ることにした。
08時09分半A受審人は、防波堤灯台から065度550メートルの地点において、針路を同灯台から007度480メートルの砂浜に設置された海水浴場監視台に向く300度に転じたところ、船首方向の海水浴場付近では、一面に白波が立って砕け波が発生しているのを認めたが、風は大して強くなく、海水浴場沖合では波浪もそれほど大きくなかったことから、同時10分防波堤灯台から040度450メートルにあたる、海水浴場沖合約200メートルの地点において、魚群探知機により水深が4.5メートルのいつもの釣り場であることを確認してクラッチを中立にし、船首を同監視台に向けて停留した。
A受審人は、停留して釣り場の状況を確認している間に、キャビン内の倒れた椅子などを片付けておこうと思い、船尾甲板上でかに籠の準備をしていたB同乗者に依頼したところ、同人からかに籠の準備で手を離すことができない旨の返事があったことから、自らキャビン内に赴いて片付けをすることにし、南東方向からの波浪が打ち寄せ、船首方向約100メートルのところで砕け波が発生している状況のもと、そのまま停留を続けて波浪により海水浴場付近の砕け波が発生しているところに寄せられると、これを受けて転覆するなどのおそれがあったが、砕け波が発生しているところまでは距離があるので、少しの間なら操縦席を離れても大丈夫と思い、一旦沖合の安全なところに移動して停留するなど、波浪に対する配慮を十分に行うことなく、停留後間もなく操縦席を離れ、キャビン内に入って片付けを始めた。
A受審人は、キャビン内の片付けを続け、周囲の状況を十分に確認しなかったので、波浪により徐々に海水浴場付近に寄せられていることに気付かず、一旦船首を波浪に立てて沖合に移動するなどの措置をとれずにいるうち、船体が左舷側に傾斜するようになったことに気付き、08時11分半、キャビンから出ようとして船尾方向を見たところ、船尾が波浪に持ち上げられた状態となっていることに危険を感じ、急いで操縦席に戻ろうとしてキャビン出入口の段差でつまづき、右足を強打して同席に戻るのが遅れ、同時12分少し前、同席に戻ったとき、船体が波浪の前面に乗って船首が波底に対して左斜め下を向いた危険な状態となった。
操縦席に就いたA受審人は、直ちに船体が波浪に対して直角に向くよう、姿勢を立て直そうとして操舵ハンドルを回したものの、中立にしていたクラッチを前進に入れて姿勢を立て直すことができず、船首が波底に対して左斜め下に向いたままの状態のところに、波高が約2メートルにも達する砕け波を受けて船体が更に左舷側に大きく傾斜し、08時12分防波堤灯台から029度455メートルにあたる、海岸線から約100メート沖合の水深約3メートルの地点において、復原力を喪失してそのまま転覆した。
当時、天候は曇で風力1の東南東風が吹き、潮候は低潮時にあたり、本州南岸に接近中の台風の影響により、波高が1メートルを超える南東の波浪が打ち寄せ、転覆地点付近では、波高が約2メートルにも達する砕け波が発生していた。
転覆の結果、美和丸は、海水浴場に打ち上げられて大破し、のち廃船となり、A受審人及びB同乗者(昭和16年6月5日生)は、海中に投げ出され、A受審人は、救助されて救急車で病院に搬送され、意識を回復したものの、B同乗者は、のち遺体で収容された。

(原因)
本件転覆は、茨城県会瀬漁港北側の海水浴場付近において、沖合から打ち寄せる波浪により砕け波が発生している状況下、釣り場の状況を確認するため同海水浴場沖合で停留する際、波浪に対する配慮が不十分で、操縦席を離れてキャビン内の片付けをするうち、波浪により徐々に海水浴場付近の砕け波が発生しているところに寄せられ、やがて波浪の前面に乗って船体が傾斜したところに、砕け波を受けて更に大きく傾斜し、復原力を喪失したことによって発生したものである。
なお、同乗者が死亡したのは、救命胴衣を着用していなかったことによるものである。

(受審人の所為)
A受審人は、茨城県会瀬漁港北側の海水浴場付近において、沖合から打ち寄せる波浪により砕け波が発生している状況下、釣り場の状況を確認するため同海水浴場沖合で停留する場合、そのまま停留を続けて波浪により海水浴場付近に寄せられると、砕け波を受けて転覆するなどのおそれがあったから、砕け波の発生しているところに寄せられないよう、波浪に対する配慮を十分に行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、砕け波が発生しているところまでは距離があるので、少しの間なら操縦席を離れても大丈夫と思い、一旦沖合の安全なところに移動して停留するなど、波浪に対する配慮を十分に行わなかった職務上の過失により、操縦席を離れてキャビン内の片付けをして停留を続けるうち、波浪により徐々に砕け波が発生しているところに寄せられ、やがて波浪の前面に乗って船体が傾斜したところに、砕け波を受けて更に大きく傾斜し、復原力を喪失して転覆を招き、船体は大破し、同乗者を溺死させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の四級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

よって主文のとおり裁決する。






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