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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成8年1月31日09時35分 福井県敦賀港 2 船舶の要目 船種船名
引船関師丸 総トン数 18.69トン 全長 13.45メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 441キロワット 3 事実の経過 関師丸は、昭和52年3月に進水した一層甲板型の鋼製引船兼交通船で、上甲板下が船首から順に空所、倉庫、機関室、燃料油タンク、機関及び甲板両倉庫並びに船尾水倉及び操舵機室となっていた。 また上甲板上には、船首端から約2.60メートル後方に操舵室が、その後部に接して機関室囲壁及び曳航装置がそれぞれ設けられ、上甲板全周が甲板上高さ約50センチメートル(以下「センチ」という。)のブルワークで囲われ、船体中央部から船尾にかけてのブルワーク下部に幅約48センチ高さ約10センチの排水口が片舷につき3個ずつ開けられていた。機関室両舷側囲壁の船尾端からそれぞれ約50センチの位置には、高さ約70センチ幅約60センチの鋼製の機関室出入口扉が、上甲板上から約10センチのところに設置されていた。 ところで、関師丸には、操舵装置として北川工業株式会社製のKEH型と称する電気追従油圧操舵機が装備され、同操舵機は、電動の油圧ポンプによって加圧された作動油が、油圧切換え用電磁弁で切り換えられて舵機シリンダに送られ、油圧ピストンを動かして同ピストンに連結された舵柄を動かすようになっており、操舵室に設けられた操舵スタンドの切換えスイッチで、舵輪操舵、遠隔操舵、自動操舵、押しボタン操舵及び応急操舵の選択ができるようになっていた。 A受審人は、平成6年4月に関師丸に乗り組み、主として敦賀湾内において、港湾工事に使用する工事作業船などの曳航に従事していたもので、平素、出入港時には舵輪操舵、また短時間航海のときは手動による押しボタン操舵、更に5時間以上に及ぶ航海のときには自動操舵による操舵に当たっており、操舵装置に特に異常を感じていなかった。 押しボタン操舵は、操舵スタンドにある切換えスイッチを押しボタン側に切り換えたのち、押しボタンを押すことにより、直接電磁弁を指示方向に作動させて舵柄を動かすもので、同スタンド上部の右舷のボタンを押すと右舵に、また左舷のボタンを押すと左舵にそれぞれ操舵できるようになっており、とられた舵角の状況が舵角指示器で確認できるようになっていた。 関師丸は、A受審人が1人で乗り組み、起重機船を曳航するため、船首1.47メートル船尾2.11メートルの喫水をもって、船体中央部の乾舷約20センチの状態で、平成8年1月31日09時23分福井県敦賀港第3区の、敦賀氏沓(くつ)にある株式会社関組作業所前の係留地を発し、独航で同港第1区桜岸壁に向かった。 当時、本邦付近は、低気圧が北海道東方海上に去ったのち、シベリア大陸から優勢な高気圧が張り出し、冬型の気圧配置となって波浪の高い状態が続いており、A受審人は、前日19時前のテレビ放送による天気予報で、福井県地方に波浪注意報が発表されていることを知っていたが、発航時、北西寄りの風が陸岸で遮蔽されていたこともあって、風浪もそれほど大きいように思われなかったうえ、敦賀港港域内の短時間航海であり、この程度なら大したことがないものと思い、このところ機関が過熱気味で温度が高めであったので、いつものように機関室出入口扉を閉鎖していなかった。 A受審人は、操舵装置に異常がないことを確かめて発航操船に当たり、離岸後、機関の回転数を徐々に上げ、間もなく回転数毎分400の全速力前進とし、09時25分敦賀港防波堤灯台から325度(真方位、以下同じ。)2.1海里の地点で、針路を目的地の方に向ける147度に定め、操舵を舵輪操舵から押しボタン操舵に切り換え、7.0ノットの対地速力で、風浪を右舷船尾方から受けて船体が動揺しながら、時折海水が水面近くとなっていた排水口から甲板上に上がるような状態で進行した。 A受審人は、舵輪後ろのいすに腰を掛け、左右の押しボタンを適宜押して保針に努めていたところ、09時28分船首方約1海里に反航船を認め、これを左舷側に替わすこととし、右手で右舷の押しボタンを押して右舵をとり、5度右転して152度の針路に転じて続航し、同時34分少し過ぎ反航船と左舷を対して約70メートルの距離をもって航過したとき、左手で左舷の押しボタンを押して147度の針路に戻し、次いで右舷の押しボタンを押して舵中央としたのち、押しボタンから手を離した。 ところが、関師丸は、一時的に電磁弁のスプールがごみなどをかみ込んで固着したものか、操舵装置が異常となり、舵角が左舵一杯に向けて徐々に移動を始め、大きく左回頭して船体が右舷則に傾斜し始めた。 A受審人は、異常な左転に気付き、舵角指示器の指針が左舵10度ほどを示しているのを認めて不審に思い、左転を止めようと右舷の押しボタンを押して右舵をとったものの、舵角指示器の指針が戻らなかったので、左右の押しボタンを押してみたけれども、何らの反応も現れなかったばかりか、益々左転が強まったことを知った。 驚いたA受審人は、慌てて舵輪操舵、遠隔操舵及び自動操舵の切換えスイッチを操作しているうち、激左転による外方傾斜と左方からの波浪により右舷傾斜が増し、排水口から甲板上への海水の流入が増えるとともに、滞留して右舷傾斜が更に強まり、やがて傾斜角が14度を超えたとき、扉が解放されたままの機関室出入口から大量の海水が同室に流入して大傾斜し、ついに復原力を失い、関師丸は、09時35分敦賀港防波堤灯台から317度1,730メートルの地点において、船首が317度に向首し右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力6の北西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期にあたり、福井県地方には波浪注意報が発表され、海上には高さ約2メートルの波浪があった。 転覆後、A受審人は、自力で船外に脱出して船底につかまっていたところ、航過したばかりの前示反航船に発見され救助された。 関師丸は、間もなく転覆地点で沈没し、のち引き揚げられたが廃船となった。
(原因) 本件転覆は、敦賀港港域内において、波浪注意報が発表されて荒天航海が予想されるなか、荒天準備が不十分で、機関室囲壁の出入口扉が閉鎖されないまま押しボタンによる手動操舵を使用して航行中、操舵装置がー時的に故障して激回頭したとき、右舷側に傾斜して大量の海水が甲板上に打ち込み、機関室出入口から同室に流入して大傾斜し、復原力を喪失したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、冬型の気圧配置が続き波浪注意報が発表されている敦賀港港域内において、起重機船を曳航する目的で独航で発航する場合、荒天模様が続いていることを知っていたのであるから、船内に海水が流入することのないよう、機関室出入口扉を閉鎖して、荒天準備を十分に行うべき注意義務があった。ところが、同人は、風波もそれほど大きいように思われなかったうえ、敦賀港港域内の短時間航海であり、この程度なら大したことがないものと思い、機関室囲壁の出入口扉を閉鎖せず、荒天準備を十分に行わなかった職務上の過失により、航行中操舵装置が一時的に故障して激左転となったとき、大量の海水が機関室に流入し、関師丸を転覆させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |