|
(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成9年4月28日09時40分 神戸港 2 船舶の要目 船種船名
ケミカルタンカー昇栄丸 総トン数 198トン 全長 47.40メートル 機関の種類
ディーゼル機関 出力 625キロワット 3 事実の経過 (1) 指定海難関係人 指定海難関係人R株式会社(以下「R社」という。)は、昭和55年に設立された資本金1,000万円の造船業を営む会社で、本店を神戸市に置き、設計部門はなく、社外工を含む従業員20人が所属する工務部が船舶の建造及び修繕を担当し、総トン数199トン以下の起重機船、貨物船及び引船等約100隻に及ぶ建造実績を有していたが、ケミカルタンカーについては、昇栄丸を建造するまではその実績がなかった。 指定海難関係人S有限会社(以下「S社」という。)は、昭和50年に設立された資本金300万円の海上貨物運送業を営む会社で、本店を兵庫県明石市に置き、陸上従業員はB代表者、同人の息子及び非常勤職員の計3人であった。同社は、非自航式の油バージ1隻を売却のうえ、平成8年2月昇栄丸を建造してこれに船員4人を乗り組ませ、定期用船先のU株式会社(以下「U社」という。)に運航させていた。 A指定海難関係人は、昭和48年船舶の設計及び海運仲立業等を営む目的で、本店を広島県因島市に置く株式会社Tを設立してその代表取締役となり、設計担当の従業員10人を指揮して各種船舶の設計に携わり、総トン数199トンから10,000トンまでの貨物船及び油タンカーを含む多くの船舶を設計した実績を有していたが、199トン型のケミカルタンカーについては、昇栄丸を設計するまではその実績がなかった。 (2) 昇栄丸 ア 建造経緯及び主要目 昇栄丸は、R社が平成7年8月S社から載貨容積483立方メートルの条件で受注し、設計をA指定海難関係人が行い、同8年2月に竣工した船尾船橋型の液体化学薬品ばら積み船兼油タンカーで、主要目は前示のほか次のとおりであった。 垂線間長 44.00メートル 幅
8.00メートル 深さ 3.50メートル 満載喫水 3.321メートル 満載時の乾舷
0.197メートル 載貨重量トン数 555.98トン 1番貨物タンク容積 131.567立方メートル(左右合計) 2番貨物タンク容積 171.814立方メートル(同上) 3番貨物タンク容積 179.891立方メートル(同上) 貨物タンク容積合 計483.272立方メートル 航行区域 沿海区域 資格
JG イ 船体構造 昇栄丸は、船首尾楼付平甲板船で、中心隔壁によって左右舷に分かれた貨物タンク計6個を有し、その直下が二重底構造となっていた。 上甲板下には、船首から順に、船首水槽、錨鎖庫、左右舷の深水槽、空所、1番から3番までの貨物タンク、ポンプ室、同室の両側にスロップタンクが設けられ、1番貨物タンクの下にエスケープトランクの一部、1番及び2番バラストタンク、2番貨物タンクの下に3番及び4番バラストタンク、3番貨物タンクの下に左右舷の5番及び6番バラストタンク、左右舷の1番燃料タンク、ポンプの下に左右舷の2番燃料タンクが設けられていた。そして、その後方に機関室及び船尾水槽が配置されていた。 上甲板上には、船首に高さ1.9メートル長さ5.9メートルの船首楼甲板を、船尾に高さ2.1メートル長さ12メートルの船尾楼甲板を有し、船首楼の内部は船首側が甲板長倉庫、船尾側が甲板倉庫となっており、船尾楼甲板の下は左舷側に安金器具庫、右舷側に甲板倉庫、これらの船尾側に機関室上段区画、その後方に炭酸ガスボンベ室及び操舵機室がそれぞれ設けられていた。 また、上甲板上には、船首楼後壁の2.8メートル後方から船尾楼前壁まで長さ24.7メートルにわたり、船体中心線を挟んで幅4.2メートルないし4.9メートル、高さ0.1メートルの膨張トランクがあり、その直上は周囲を高さ0.15メートルの平板を巡らした油流出防止区域となっており、同区域に幅4.8メートル高さ0.5メートルのオンデッキビームが1メートルないし1.5メートルの間隔で設置されていた。 一方、上甲板の両舷側には、船首楼後壁から後方に長さ5メートル、船尾楼前壁から前方に長さ4.5メートルにわたり、それぞれ高さ1メートルのブルワークがあり、前者には放水口がなく、後者には同甲板上0.1メートルの高さに横0.9メートル縦0.2メートルの放水ロが各1個設けられていた。 ウ 船体開口部 上甲板上には、膨張トランクの上にコーミングの高さがいずれも0.6メートルの各貨物タンクのハッチ6個及びバラストタンクのハッチ2個、同甲板の最後部両舷にスロップタンクのハッチ各1個が設置されていた。 船首楼甲板上には、甲板長倉庫及び甲板倉庫の出入口として、コーミングの高さが0.6メートルのハッチ各1個があった。そして、竣工前、S社の要求により、甲板倉庫に上甲板から出入りできるよう、船首楼後壁の右舷寄りに上甲板上0.36メートルを下端とする、高さ1.6メートル幅0.6メートルの鋼製扉付き出入口が設けられていた。 船尾楼甲板にある居住区、ポンプ室、操舵機室、安全器具庫等の各出入口は、下端がいずれも同甲板上0.45メートルの高さで、居住区出入口が左舷側に、機関室出入口が居住区内の右舷側に設けられていた。 なお、同機関室出入口が、設計上、浮力を算定する海水流入口とされており、その高さは船尾楼甲板上0.2メートル、船底上5.9メートルで、海水流入角は42度であった。 エ 舵の形式及び操縦性能 舵は、主舵板の後部にヒンジ付きの副舵板を有するいわゆるフラップラダー方式で、主舵板の舵角に比例して副舵板がその2倍の角度だけ転舵するようになっていた。 建造時の海上公試運転は満載状態で実施され、その結果、左旋回時の縦距120メートル横距110メートル定常旋回直径70メートル、右旋回時の縦距110メートル横距110メートル定常旋回直径70メートルであったが、旋回中に生じた最大傾斜角度は海上公試運転成積書に記載されていなかった。 また、本件後、広島県の株式会社V(以下「V社」という。)によって満載状態で行われた旋回試験において、外方傾斜角度及び転舵開始から船首が60度回頭するまでの所要時間は、左旋回時が4.2度及び12.8秒、右旋回時が2.6度及び23.7秒とそれぞれ測淀された。 (3) 船長のための復原性資料 ア 内容 昇栄丸がR社から受け取ったA指定海難関係人作成の船長のための復原性資料は、傾斜試験成績書、ボンジャン表、船体線図、復原性図表、重最重心トリム計算総括表、重心トリム計算・復原力曲線、定量物件表、各タンクの自由水影響を求めるための図表、風圧面積表、環動半径書式、横揺周期曲線、重量重心トリム計算書式、排水量表、復原てこ表及び復原性資料説明書等を含み144ページからなっていた。 イ 復原性図表 同図表は、左下を基点として縦軸に喫水を、横軸に自由水影響を修正した横メタセンタ高さ(以下「GoM」という。)値をそれぞれとり、船舶復原性規則第11条第2項第2号の最小復原てこの基準を準用して、船幅8メートルに0.0215を乗じた値の0.172メートルを最大復原てことする曲線が記載されているもので、同曲線の形状は喫水2メートルGoM0.3メートル付近が最も左に突き出ている横向きの、先端が丸みを帯びたV字状をなし、GoMと喫水との交点が同曲線の右方にあり、これから離れるほど復原性は安全側であり、左方であれば危険側であると判定できるとするものであった。 また、同図表には、横揺周期曲線も併記されていて、喫水及び測定した船体の横揺周期によりGoM値を知ることができるようになっていた。 ウ 重量重心トリム計算総括表 同表は、軽荷状態及び空倉状態表のほか、載貨時における標準積付状態として24例の表(以下「標準積付状態表」という。)からなり、それぞれ各貨物タンクの液体貨物重量、容積率、GoM、復原てこ、各バラストタンクのバラスト重量及び喫水等が記載され、各項目名は英文で表示されていた。 標準積付状態表には、貨物重量として、比重0.89の油の場合412トン、比重1.30の硫酸アルミニウムの場合387トンのものが各2例あるほか、ほとんどが351トンであり、また、左右舷の5番及び6番バラストタンクには、常時バラストを一杯に張水するよう記載されていた。 エ 各タンクの自由水影響を求めるための図表 同図表により、貨物タンクについては、船体の横傾斜角が45度のときの左舷タンク内液体と右舷タンク内液体の容積モーメントの差を求め、一方、貨物タンク以外のタンクについては、船体の直立状態における液面の2次モーメントを求めるようになっていた。 そして、自由水影響による重心の上昇量(以下「GGo」という。)は、各タンクのモーメントに液体の比重を乗じた値の総和を排水量(トン)で除して算出するよう説明が付されていた。 オ 復原性資料説明書 同説明書には概略次のように記載されていた。 (1) 出入港状態及び就航状態における復原性の確認に当たっては、復原性図表又は標準積付状態表によって行うこと 復原性図表の使用方法は付属書を参照し、また、計画運航状態が標準積付状態表に近い場合は、復原性図表に代えて、出港時の喫水及び載貨状態等が標準積付状態表に示すものと同等であることを再確認すること (2) 船長のための復原性資料は、新造時の傾斜試験の資料を基に作成されたものであり、改造などにより本資料と異なった状況となった場合は、これを使用しないこと (3) 運航上の注意事項 ・過大なトリムを避けること ・エスケープハッチ及びバルブ類の閉鎖を出港前に確認すること ・復原性計算書中で閉鎖することになっている扉は、航海中に閉鎖されていることを確認すること ・強潮流域に進入せざるを得ない場合、進入方向、速力、舵効などを十分予測して慎重に行動すること ・バラストが必要な場合は、その時期、量を事前に十分石確認すること ・バラスト注入途中の状態は自由水影響で一時復原力が減少するので注意すること (4) 貨物の積載重量及び精製グリセリンの積載状況 定期用船契約書には、積高483キロリットル、積載総重量トン数495トンと明記されているが、U社は、燃料、清水及びバラストの各保有量を勘案し、積載可能な貨物の重量を450トンが限度であると見込み、昇栄丸に同重量以下の液体貨物を積載させるようにしていた。 また、同社は、平成2年以降昇栄丸とほぼ同型のケミカルタンカー広隆丸を用船のうえ運航しており、精製グリセリンについては、同船に最高435トンまで積載させた実績はあったが、積高417トン以下の場合が多かったことから、417トンまでなら何ら問題はないと判断し、昇栄丸には、竣工後、同9年1月23日までの間に、7回にわたり379トンないし417トンを積載させ、神戸港から大阪港又は岡山県水島港への輸送に当たらせていた。 (5) 本件発生に至る経緯 昇栄丸は、平成8年2月竣工後、船長Cほか3人が乗り組み、神戸港を基地として九州から東京湾にかけての諸港間において、牛脂及びやし油等の液体貨物の輸送に従事していた。 ところで、同船の設計を行ったA指定海難関係人は、前示のとおり、載貨状態において、5番及び6番バラストタンクにバラスト計35トンを張水することとしている標準積付状態表を含む船長のための復原性資料をR社を通してS社に提出していたが、同資料中、復原性確保のための厳守事項を必ずしも明確に記載していなかった。 C船長は、竣工時から乗り組んでいたものであるが、船長のための復原性資料の内容が自身にとって難しいことから、これを読んだことがなく、載貨時にほとんどバラストタンクを空の状態として運航に当たっていたところ、同8年4月比重1.4の糖蜜を各貨物タンクに半載状態で積み付け、船尾トリムの少ない状態で鹿児島県米ノ津港から関東方面に向けて航行中、荒天模様となったとき、打ち上がった海水が上甲板に滞留し、船体に約25度の横傾斜が生じ、しばらく安全な状態に戻らなかった。 そこでC船長は、船体傾斜の模様をB代表者に報告するとともに、船尾トリムをつけて上甲板の水はけを良くするため、同代表者の同意を得て深水槽から貨物タンク洗浄用の清水約30トンを船外に排出し、減速しながら続航した。 S社は、B代表者がC船長から船体が傾斜した旨の報告を受け、昇栄丸の復原性についてR社に問い合わせたが、明確な回答が得られず、船尾トリムをつけるため深水槽から清水を排出したいとする同船長の申し出を容認しただけで、R社に対して船体が大傾斜した原因の調査を強く申し入れず、乗組員に対してバラストタンクにバラストを張水するよう指導するなど、復原性確保についての対策を講じなかった。 また、R社は、S社から昇栄丸が航行中に約25度の横傾斜を生じた旨連絡があり、復原性についての問い合わせを受けたが、そのような大傾斜が生じるとは考えられないと返答したのみで、同船の建造者として、事態を重大に受けとめず、船体が大傾斜した原因の調査を行わなかった。 その後、C船長は、載貨状態で航行中、船尾トリムが0,2メートル以下では、上甲板に打ち上がった海水が船首方に流れて同甲板前部に滞留しやすくなるので、少なくとも0.5メートルの船尾トリムをつけるようにしていたが、バラストタンクにバラストを張水すれば乾舷が減少するうえ、貨物重量が350トンを超えると、海水が上甲板に上がりやすくなることから、バラストを搭載せずに運航していた。 さらに、C船長は、糖蜜のように比重の大きい液体貨物を積載した場合には、全速方で航行中、急に大きな舵角で転舵すると船体が傾き、海上が平穏であっても、上甲板に海水が打ち上がり、更に傾斜を増大させるおそれがあったため、時には減速しながら海水の打ち込みの減少を図る必要があることを体験的に会得し、実行していたが、同9年1月下旬後任船長の乗船が遅れたことから、B代表者了解のもと十分な引継ぎを行わずに下船した。 D(四級海技士(航海)免状受有)は、同9年1月下旬昇栄丸に一等航海士として雇い入れられた後、陸上で5日間の危険物取扱者の講習を受け復船し、翌2月23日在任期間の短かった前任船長から、載貨状態で全速航行中、いずれかの舷に傾いて上甲板に海水が滞留しやすく、また、強朝流の海域では減速しなければ、船体に大傾斜を生じることがある旨の引継ぎを受けて船長として執職し、積付け計画を自身と同時期に乗船した甲板長E(二級海技士(航海)免状受有)に任せていた。 同9年4月27日D船長は、神戸港において、自身としては初めて精製グリセリンを積載することになったが、標準積付状態表中の記載に従って、5番及び6番バラストタンクにバラストを一杯に張水したうえ、上甲板に打ち込んだ海水の水はけを良くするため、最小でも0.5メートルの船尾トリムをつけて積み付けるよう、E甲板長に指示することなく、六甲アイランド沖合の錨地で、外国籍船から同貨417トンを積み取った後、通関手続きを待つ目的で、同日午後同港第1区(当時)の三井桟橋東側に着桟した。 着桟後、油量検査員立会いで測定の結果、各貨物タンクのトン数及び容積率は、1番が122トンで74パーセント、2番が153トンで71パーセント、3番が142トンで63パーセントであり、貨物の比重は1.248、液温は摂氏37度であった。 また、同時点における貨物タンク以外の各タンクのトン数及び容積率は、深水槽及び船尾水槽が清水計47トンでいずれも100パーセント、1番燃料タンクが6トンで32パーセント及び2番燃料タンクが5トンで89パーセントであり、各バラストタンクはいずれも空の状態であった。 各タンクがこのような状態で、船長のための復原性資料によって計算すれば、排水量774トン、平均喫水3.10メートル、GGo0.32メートル、GoM0.75メートルであり、これらの数値を同資料中の復原性図表にプロットしてみれば、わずかに復原性が危険側に位置していると判定することができたが、D船長は、復原性確保にっいての検討を行わなかった。 こうして昇栄丸は、D船長及びE甲板長ほか2人が乗り組み、翌28日09時30分ごろ精製グリセリンを前示のとおり積載し、船首3.00メートル船尾3.20メートルの喫水もって、乾舷0.4メートル、舷端没水角7度、右舷に1度傾斜した状態で神戸港を発し、大阪港堺泉北区に向かった。 発航時、D船長は、船首楼後壁の甲板倉庫出入口扉が開放されていたが、同扉の閉鎖を部下に指示しないで自ら操舵操船に当たり、E甲板長を船橋で見張りに就かせ、ポートアイランド北側のライナー岸壁沿いに東進し、09時37分少し過ぎ神戸港第3防波堤東灯台から336度(真方位、以下同じ。)380メートルの地点で新港航路に入航したとき、針路を123度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で、左舷船首から風波を受けながら同航路に沿って手動操舵により進行した。 D船長は、先航する引船第六静丸(総トン数9.7トン)に左舷後方から徐々に接近する態勢で、同じ針路及び速力で続航中、09時39分少し過ぎ同船が右舷船首近距離のところで針路を左に転じ、自船の前路に寄ってくるようになったとき、全速力のまま右舵一杯にとり、同時39分半ほぼ60度回頭して同船を避け、原針路に戻すため左舵一杯とした。 やがて、船首がほぼ30度回頭したころから急速に角速度が大きくなり、それに伴って船体は遠心力によって右舷傾斜が増大して舷端が没水するようになった。 09時40分少し前、D船長が右舷傾斜を直そうとして、舵を徐々に戻すことなく、急速に中央付近まで戻し舵をしたところ、これまで外方傾斜を抑制する作用をなしていた舵板に当たる水流の圧力が一気に減少したため、右舷傾斜が一層増大して上甲板に海水が打ち上がるとともに、これが船首方に流れて船首楼後壁に設けた出入口から甲板倉庫に流入し、急激に復原力が減少する状態となった。 昇栄丸は、09時40分わずか前機関を後進にかけ、09時40分神戸港第3防波堤東灯台から102度620メートルの地点において、わずかに前進行き脚のある状態で船首がほぼ090度を向いたとき、貨物の右舷側への流動と相まって復原力を喪失し、右舷側に転覆した。 当時、天候は曇で風力3の東北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期で、有義波高0.4メートルの波浪があった。 転覆の結果、船体は起重機船によって引き起こされ、のちV社において濡れ損を生じた機関及び機器類を修理のうえ、船名を錦世丸と改めた。また、機関長は機関室天窓から自力で脱出し、機関員は機関室に閉じ込められていたところを潜水夫によって救出されたが、D船長(昭和11年11月29日生)及びE甲板長(昭和9年1月22日生)は、それぞれ溺水により死亡した。 (6) 事後の措置 R社は、社内にF代表者を委員長とする事故対策委員会を設置し、事故原因の調査に当たるとともに、復原性について十分認識し、設計体制の見直し及び品質管理体制の強化などの措置をとった。 S社は、V社において、船首楼後壁に設けた甲板倉庫の出入口扉を撤去し、船体動揺の軽減を図る目的で、ビルジキールを拡幅した。そして、乗組員にV社側から復原性についての説明を受けさせたほか、船長のための復原性資料を船橋に常備して、これを活用するよう指導し、さらに、5番及び6番バラストタンクは常時満水状態とするようにとの注意書きを船橋内に掲示するなどの措置をとった。 A指定海難関係人は、船長のための復原性資料を乗組員にとって分かりやすいように作成することとした。
(復原性及び原因に対する考察) 本件は、比動大きく粘性のある精製グリセリン417トンを貨物タンク6個にいずれも半載し、港内を全速力で航行中に大角度の右舵をとり、接近する他船を避航した直後、原針路に戻すため左転しているとき、右舷側に転覆したもので、復原性及び原因について考察する。 1 復原性について 次のことを総合すれば本件時、復原性が十分であったとは認め難い。 (1) 船舶復原性規則の旅客船の復原性基準との比較 昇栄丸は、旅客船ではないので、船舶復原性規則の基準の適用は受けない。しかしながら、同規則第11条第2項第2号の最小復原てこの基準は、海水の打込み、船内重量物の移動、操舵等の影響を考慮した基準であるので、旅客船以外の船舶についても、同基準との比較は復原性を判断するのに目安となり、A指定海難関係人が作成した復原性図表も、同基準を準用している。 本件時のGGoを各タンクの自由水影響を求めるための図表による方法、つまり貨物タンクについては、船体傾斜角が45度のときの液体が占める左舷タンクと右舷タンクの容積モーメントの差を、その他のタンクについては、直立状態における液面の2次モメントをそれぞれ求める方法(以下「A方式」という。)で算出すれば0.31メートルで、GoMは0.75メートルとなる。 一方、各タンクとも直立状態における液面の2次モーメントを求める方法(以下「液面2次モーメント方式」という。)によれば、GGoは0.43メートルで、GoMは0.63メートルとなる。この方式によるものは、船体が傾斜して液面がタンクの上部に接する状態では、精度が低下すると考えられるが、算出が簡便なことから、実務上、多く採用されているところである。 これらの数値で復原性図表に当たってみれば、A方式によるものでは安全側と不安全側のほぼ境界線上に、液面2次モーメント方式によるものでは明らかに不安全側になる。 (2) IMO(国際海事機関)勧告の基準との比較 IMOは決議A.167の付属書「長さ100メートル未満の旅客船及び貨物船の非損傷時復原性に関する勧告」において基準を定めている。 復原てこ曲線をA方式及び液面2次モーメント方式によって自由水影響を修正して作成すると、次図のとおりとなる。 以下余白
本件時、船体傾斜角が0度から30度及び30度から40度の各範囲における復原てこ曲線下の面積をメートル・ラジアンで示せば、A方式によるものは0.055及び0.029、液面2次モーメント方式によるものは0.045及び0.021である。 同基準は、船体傾斜角が30度までは0.055メートル・ラジアン以上、30度から40度までは0.03メートル・ラジアン以上となっている。 したがって、A方式によるものは辛うじて同基準に適合しているが、液面2次モーメント方式によるものは適合しないことになる。 (3) 竣工後の運航状態との比較 竣工後、本件が発生するまでの1年余の間、比重の大きい液体貨物を積載して航行中、海水が上甲板に打ち込むと、船尾トリムが少なくほぼ等喫水の場合は海水が船首方へ流れ、上甲板前部に滞留しがちになるうえ、打込み側に船体が20度ないし30度傾斜することがあるので、海水の打込みが減少するよう適宜機関を停止するとともに、甲板の水はけを良くするため、0.5メートル以上の船尾トリムをつけて対処してきた旨のC、G両証人の当廷における各供述がある。 したがって、比重の大きい液体貨物を積載したときには、復原性が十分ではなく、本件時も積載していた貨物の種類及び重量からみて、ほぼ同じような状態であったと考えられる。 2 船首楼後壁に設けた甲板倉庫出入口扉について 本件当時、同出入口扉が閉鎖されていなかったことは、事実において認定したとおりである。 このような状態では、船体が26度右舷に傾斜すれば、甲板倉庫に海水が流入することは作図によって明らかである。同倉庫の容積は一般配置図写により概算すると15立方メートルで、船体が右舷に同角度傾斜した際、直ちにこれが満水状態となるとは考え難いが、当時、乾舷が少なく、7度の船体横傾斜で舷端が没水し、また、船尾トリムが0.2メートルの状態であったので、上甲板に打ち上がった海水は船首方へ流れ、船体傾斜が26度以下であったとしても甲板倉庫に海水が流入することになる。 当時、復原性が十分でなかったうえ、右舷側に1度の船体傾斜が生じていたところ、船体が右舷に傾斜して上甲板に海水が打ち上がっているとき、更に甲板倉庫に海水が流入すれば、復原性を低下させ、船体傾斜を一層増大させることになるので、船首楼後壁に設けたその出入口扉を閉鎖していなかったことは原因となる。 3 船長のための復原性資料について 同資料は、主として次のような点に問題があり、実務者である船長が使用しやすいように作成されているか疑問なしとしない。 (1) 標準積付状態表には、5番及び6番バラストタンクにバラストを張水した状態で、貨物重量は351トンの例が多く記載されており、貨物の比重が1.2及び1.3の場合でも同数値が上限となっている。しかし、貨物をこれ以上積載することはできないとするのか、また、どのような積付けをすれば何トンまで復原性に問題なく積載可能であるか必ずしも明確でなく、各項目名が英文で表示されている。 (2) 使用方法についての説明が何ら記載されていない、貨物タンクの液面2次モーメント表、ボンジャン表及び環動半径書式等が含まれているうえ、ページ順につづられていない資料がある。 (3) 復原性資料説明書中、過大なトリムを避けることと記載されているが、過大なトリムとは数値的にどれくらいなのか明確でない。 しかしながら、昇栄丸に乗り組む船長が、標準積付状態表を精読すれば、載貨状態において、トリムは0.7メートル以下であり、5番及び6番バラストタンクにはバラストを一杯に張水のうえ、貨物重量が351トンとなっていることが分かり、また、復原性資料説明書を読めば、標準積付状態表によって復原性の良否を判断する場合、同表に示すものと同じであることを確認する必要があることも理解できたはずである。 したがって、バラストタンクにバラストを張水しないまま、液体貨物を351トン以上積載しても復原性に問題はないのかについて、疑問を抱くことができたと考えられる。 ところが、昇栄丸において、同資料が活用されていなかったことは、C、H両証人の当廷における各供述により明らかであり、船長のための復原性資料に以上のような問題点があったとしても、これを原因とするまでもないと認めるのが相当である。 4 船尾トリム及びバラストについて (1) 上甲板に打ち込んだ海水の水はけを良くするため、満載状態では0.5メートル以上の船尾トリムをつける必要があることを、D船長より前の船長は体験的に知っていて、これを実行していた。そして、本件が発生するまで、7回にわたり精製グリセリンを積載したが、船尾トリムを初回は0.6メートル、その後は約1メートルとして航行していた。 しかし、初代のC船長交代時における後任船長への引継ぎが十分に行われなかったこともあってか、本件時、船尾トリムが0.2メートルであり、上甲板に打ち上がった海水は船首方へ流れ、同甲板前部に滞留する状態であったと考えられる。 復原性が十分でない状態において、上甲板に海水が滞留すると、復原性の低下に作用することは明らかであり、適切な船尾トリムをつけなかったことは原因となる。 (2) 本件時、もし5番及び6番バラストタンクにバラストを一杯に計35トン張水していたとすれば、排水量809トン、平均喫水3.22メートルとなり、復原性を復原性図表及び復原てこ曲線の点から検討する。 まず、GGo及びGoMは、A方式により求めれば0.31及び0.85メートル、液面2次モーメント方式によれば0.44及び0.63メートルとなる。これらの数値で復原性図表に当たってみれば、A方式によるものでは安全側、液面2次モーメント方式によるものでは不安全側と判定される。 次に、IMO決議A.167の付属書の基準からみると、船体傾斜角が0度から30度及び30度から40度の名範囲における復原てこ曲線下の面積は、A方式によるものでは0.056及び0.032メートル・ラジアン、液面2次モーメント方式によるものでは0.046及び0.025メートル・ラジアンとなる。 前示のとおり、同付属書の基準が船体傾斜角が0度から30度までは0.055メートル・ラジアン以上、30度から40度までは0.03メートル・ラジアン以上となっていることから、A方式によるのものでは同基準に適合しているが、液面2次モーメント方式によるものでは適合しないことになる。 しかしながら、両バラストタンクにバラストを張水したとすれば、本件時の復原性と比較して、その改善が認められ、バラストを張水していなかったことは原因となる。 5 操船について 昇栄丸としては、B代表者及びG証人の当廷における各供述により、当日、目的地に一刻も早く到着しなけばならない事情はなかったことが明らかである。 第六静丸が右舷前方から自船の前路に寄ってきたとき、全速力前進のまま大角度の右転舵によって避航することなく、減速又は機関停止の措置をとることができる状況であったと認められる。また、大角度の右転舵をしなければ、左舵をとって原針路に戻すために旋回中、急速に戻し舵をする必要もなく、戻し舵によって大傾斜を生じる事態には至らなかったと考えられる。 旋回中は外方傾斜を抑制する水流モーメントが舵板に作用しているが、舵を急に中央に戻すと、同モーメントがなくなり、特に復原性の十分でない状態では外方傾斜が増大し、転覆に至る危険性があることは、一般に知られているところである。 昇栄丸は過去7回精製グリセリンを積載し、最高積高417トンの実績を有し、船尾トリムを約1メートルつけて航行していた。その間、全速力航行中は大角度の転舵を行っていないことを考えれば、接近する第六静丸を避航する際、全速力のまま左に旋回中、船体が右舷側に傾斜している状態で急に戻し舵をしたことは、更に傾斜を増大させたことになり、操船が不適切であったというべきで、これは原因となる。 6 R社の所為について R社は、S社から昇栄丸が航行中に約25度の横傾斜を生じた旨連絡があり、復原性について問い合わせを受けた際、そのようなことは考えられないと回答したのみであった。 R社が、同船の建造者として、S社からの船体の大傾斜発生の報告を重大に受け止め、バラスト及び貨物の搭載状況を含め、船体傾斜の原因について調査を行っていれば、5番及び6番バラストタンクが空の状態であり、同タンクが船長のための復原性資料に記載のとおり使用されていないことが分かり、S社に対してバラストを適正に搭載するよう回答することができたと考えられる。 したがって、R社が船体の大傾斜した原因について調査しなかったことは原因となる。 7 S社の所為について S社としては、船長から航行中船体に約25度の横傾斜が生じた旨の報告を受けた際、事態の重大性を認識せず、R社に船体傾斜の原因調査を強く申し入れ、乗組員に対してバラストタンクにバラストを張水するよう指導するなど、復原性確保についての対策をとらなかったことは原因となる。 もし、S社が、R社に対して船体傾斜の原因について調査を行わせていれば、標準積付状態表では5番及び6番バラストタンクにバラスト計35トンを張水することになっているのに、実行されていないことが分かったはずである。また、同表は貨物重量が351トンとなっており、同値を大幅に超えて貨物を積載する場合、R社に対して、復原性に問題はないのかの検討、あるいは、自由水影響を最小にする積付けの検討を依頼することができ、その結果、船舶所有者として、乗組員に対しとるべき復原性確保の措置について指導し得たと考えられる。 8 A指定海難関係人の所為について 船長のための復原性資料は、復原性確保のための厳守事項を分かりやすく記載していない面はあるがD船長が同資料を活用していなかった点に徴し、これが原因をなしたとは認めない。 しかし、載貨重量トン数559.83トンのところ、標準積付状態表において、貨物重量351トン及びバラスト35トンとなっていることから、同表は、載貨時に貨物重量を制限してバラストを張水しなければ適当な復原性を確保することが困難であることを示している。一方、昇栄丸は、載貨状態で航行中、船体に大傾斜が生じて不安定な状態となることを何回か経験している。 このような復原性に問題があると思われる船舶の船長に対しては、厳守事項を明確に記載した復原性資料を提供することが必要である。
(原因) 本件転覆は、神戸港において、比重の大きい精製グリセリンの積載にあたり、復原性確保についての検討が不十分で、二重底バラストタンクにバラストを張水せず、適切な船尾トリムをつけなかったうえ、船首楼後壁に設けた甲板倉庫出入口扉を閉鎖しないで発航したばかりか、他船を避航する際の操船が不適切で、全速力のまま外方傾斜が生じた状態で旋回中、急速な戻し舵をしたとき、更に傾斜が増大して上甲板に海水が打ち上がるとともに貨物が流動し、復原力を喪失したことによって発生したものである。 造船所が、船舶所有者から船体が大傾斜した旨の連絡を受けた際、その原因についての調査を行わなかったことは、本件発生の原因となる。 船舶所有者が、船長から船体が大傾斜した旨の報告を受けた際、造船所にその原因の調査を強く申し入れず、乗組員に対してバラストタンクにバラストを張水するよう指導するなど、復原性の確保について対策をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
(指定海難関係人の所為) R社が、船舶所有者から航行中に船体が大傾斜した旨を告げられた際、昇栄丸の建造者として、その原因について調査を行わなかったことは、本件発生の原因となる。 R社に対しては、本件後、復原性について十分認識し、社内で事故対策委員会を設置するなどして、事故の再発防止に努めている点に徴し、勧告しない。 S社が、船長から船体が大傾斜した旨の報告を受けた際、造船所に原因の調査を強く申し入れず、乗組員に対してバラストタンクにバラストを張水するよう指導するなど、復原性確保について対策をとらなかったことは、本件発生の原因となる。 S社に対しては、本件後、船長に5番及び6番バラストタンクは常時満水状態とするよう指導した点に徴し、勧告しない。 A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。
よって主文のとおり裁決する。
参考図(1)
参考図(2)
|