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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年5月30日07時45分 静岡県浜松市馬込川河口 2 船舶の要目 船種船名
プレジャーボート米津丸 登録長 6.64メートル 幅 1.75メートル 深さ
0.49メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力 73キロワット 3 事実の経過 (1) 船体の構造等 米津丸は、昭和51年にFRP製漁船として建造され、昭和58年にA受審人が、趣味の釣りに使用するため購入したもので、船体中央部に操舵室があり、その下方に機関室があって、三菱重工業株式会社が製造したS4F-MTK型ディーゼル機関が据え付けられていた。 船首甲板の外周には、船首端から操舵室前端付近まで、甲板上の高さ30センチメートル(以下「センチ」という。)のブルワークが、操舵室側方及び船尾甲板の外周には、甲板上の高さ45センチのブルワークが設置されていて、船首部、操舵室側方及び船尾部の両舷外板にそれぞれ排水口を設けており、船首部のものは、口径10センチの円形で、操舵室側方及び船尾部のものは、縦4センチ横12センチの長方形をしていた。 船首及び船尾各甲板上には、レジャー用のクーラーボックス3個が積載されていただけで、他には重量物などば積載されておらず、両甲板下には、物入れが2箇所ずつあり、船首甲板下の物入れには、重さ6キログラムの錨や索具類などが格納され、船尾甲板下には、操舵室側に倉口の広さが縦60センチ横80センチと、船尾側に縦30センチ横40センチの物入れがあって、予備の燃料油を入れた20リットル携帯容器3缶や救命胴衣などが格納されており、各物入れの口縁には、高さ10センチのコーミングがあって、これにFRP製の上蓋(ぶた)が被(かぶ)せられていたが、索具などで固縛されておらず、船首甲板下の物入れは、以前は魚倉として使用されていたことから、それぞれの区画が水密となっていたが、船尾甲板下の物入れは、船底部に機関室からプロペラシャフトが通っているため、同貫通部に空所があり、船尾甲板下の物入れに海水が流入すると、同空所を伝って、機関室に浸水するおそれがあった。 また、船尾甲板上には、船尾端から前方1.30メートルで、両物入れの間の船体中心線上に、甲板上の高さ20センチ鳥居型をしたスパンカ用の木製支柱立てがあり、これに金具を取り付けて釣り竿立てとして使用していた。 (2) 受審人 受審人Aは、鉄工業を営み、馬込川河口の海岸付近に居住していた関係で、昭和27年ごろからろかい船で釣りに出るようになり、同50年に一級小型船舶操縦士の免許を取得し、同58年に中古の米津丸を購入して自ら船長として乗り組み、春秋の釣りシーズンには1箇月に5ないし6回の頻度で釣りに出かけていたので、馬込川河口水域の地形や波浪の発生状況についてよく知っていた。 (3) 馬込川河口水域の状況 馬込川は、静岡県浜松市の中央部をほぼ南北に流れ、下流域で芳川と合流して遠州灘に注ぎ、河口の両岸には204度(真方位、以下同じ)方向に延びた、コンクリート製の導流堤がそれぞれ築造され、両導流堤間の水路幅は50メートルで、五島灯台から287度2,890メートルの地点にあたる左岸導流堤南端は、右岸導流堤南端よりも更に60メートル沖合に延びており、両導流堤の東西にはそれぞれ砂丘が広がり、左岸導流堤東方の砂丘の沖合には、消波ブロックを据え付けた離岸堤が天竜川右岸河口付近まで築造されていた。 また、馬込川河口水域の水深は、右岸導流堤から西側沖合が浅くなって、3メートル等深線が左岸導流堤南端の沖合80メートルから右岸導流堤南端の沖合250メートルにかけて沖合に向けて張り出しており、左岸導流堤南端の沖合350メートルのところには5メートル等深線が、同560メートルのところには10メートル等深線がそれぞれ東西方向に延びて、緩やかな海底勾配(こうばい)を形成していた。 このため、馬込川河口水域に南寄りの強風が吹いて波浪が打ち寄せると、波高が急速に高くなり、砕波が発生しやすい状況となっていた。 (4) 気象・海象 本件発生前日の5月29日には、関東沖から九州南部にかけて、梅雨前線が停滞し、全国的に雲が多くかかり、四国から関東の所々で雨が降っており、翌30日03時には、紀伊半島沖の前線上で低気圧が発生して北東に進み、低気圧の移動に伴って前線が北上したため、紀伊半島南部で大雨が降り、雨域が徐々に東日本に移動し、また、同低気圧に伴う前線の南側海域では、同前線に吹き込む南西風による波浪が高くなっていた。 このため、東海地方では、30日早朝にかけて、この低気圧の接近に伴って南西風が強まり、南西方向から周期8ないし9秒の波浪により、馬込川河口水域では、波が急速に高まって波高が3メートルに達した。 (5) 本件発生に至る経緯 米津丸は、最大とう載人員4人のFRP製プレジャーボートで、A受審人が1人で乗り組み、15年来の釣り仲間であるBを乗せ、釣りの目的で、船首0.15メートル船尾1.30メートルの喫水をもって、平成10年5月30日06時00分馬込川河口から500メートル上流の定係地を発し、両導流堤間の水路を経て、天竜川河口沖合3海里付近の釣り場に向かった。 これより先、A受審人は、前夜のテレビ放送で、風や波浪に関する警報・注意報が発表されていないことや、波高は1.5メートル程度であることなどの気象情報を入手していたが、発航前に念のため自ら馬込川河口付近の海岸に赴き、天候は小雨模様であったものの、海上は比較的平穏であることを確認し、発航に際しては、雨カッパとゴム長靴を着用していたB同乗者に、米津丸に備付けの小型船舶用の救命胴衣を着用するよう指示し、B同乗者が雨カッパの上から着用した救命胴衣の胸紐(ひも)3本がしっかりと結び付けられていることを確認した。 06時40分A受審人は、釣り場に到着して、船尾両舷側から曳き縄を4本出し、自らは操舵装置の後方に立って操船に当たり、機関を毎分900回転の微速力前進にかけ、4.0ノットの対地速力で縄を曳き、魚がかかるとB同乗者が蝿を手繰って取り込む要領でトローリングによるさば釣りを行っていたところ、07時00分ごろから急に南西風が強く吹き始めて大雨となり、間もなく南西方向からの波浪も次第に高くなって海上は時化模様となったが、このような気象・海象状況のときには、馬込川河口水域では、高波が発生しやすいことを知っていたので、急ぎ釣りを止めて定係地に向け帰途に就くことにした。 07時10分A受審人は、五島灯台から172度2.6海里の地点を発進し、針路を馬込川河口に向く328度に定め、機関を毎分2,200回転の全速力前進にかけ、10.0ノットの対地速力で、手動操舵により左舷後方から風浪を受けながら進行した。 やがてA受審人は、馬込川河口沖合に達して、河口水域には一面に白波が立っているのを認めたので、07時33分左岸導流堤南端から227度60メートルの水深約3メートルの地点に達したとき、クラッチを中立にして一旦漂泊し、河口水域の波浪の状況を観察したところ、右岸導流堤南西方の水深の浅い水域では、一面に白波が立って、高波が頻繁に打ち寄せ、左岸導流堤南端付近の比較的水深の深い水域では、自船の船幅を越える砕波となった高波が5ないし6波ごとに打ち寄せていたものの、その合間の波浪はそれほど高くないことを確かめたが、当時の波浪の周期が8ないし9秒で、その進行速度は、毎秒5.4メートル(10.5ノット)であり、船速より速い状況であったことに気付かず、高波の合間を左岸導流堤寄りに進行すれば大丈夫と思い、高波が治まるまで、同水域への進入を中止するなり、最寄りの漁港に一時避難するなど、高波に対する十分な配慮をすることなく、B同乗者に対し、船尾甲板上に座って釣り竿立てにしっかりと掴(つか)まっておくようにと指示しただけで、高波が通過した直後にこれを追いかける態勢で河口水域に進入することにした。 こうして、07時35分少し前A受審人は、高波が通過した直後に機関を毎分1,800回転の半速力前進にかけ、針路を左岸導流堤南端の少し内側に向く024度に定め、7.0ノットの対地速力で進行したところ、船速が波速よりも遅かったために後方から高波に追いつかれ、07時35分左岸導流堤南端に15メートル隔てて並航したとき、突然左舷後方からの高波によって船尾が持ち上げられて右舷側に大きく傾斜し、釣り竿立てに掴まっていたB同乗者の手が放れて右舷側から海中に転落した。 A受審人は、直ちにB同乗者を救助するため、機関を毎分650回転に下げ、3.0ノットの対地速力に減じて左回頭中、左岸導流堤南端の西方5メートルのところの波間に、救命胴衣を着用したままのB同乗者が浮き沈みしているのを発見し、船首を同人の少し風上側に向けて接近するつもりで操船中、船体が波頂に対して横向きとなり、右舷正横付近から高波を受けて大量の海水が甲板上に打ち込み、船尾甲板下の2箇所の物入れの上蓋が外れて流失し、その後も次々と波浪が打ち込んで、同人への接近操船が困難な状態となった。 間もなくA受審人は、左舷船首に視認していたB同乗者が海中に没して見えなくなり、甲板上に滞留していた海水が船尾甲板下の2箇所の物入れに流入し、更にそこから船底部の空所を伝って機関室などに浸水し始めたので、このままでは自船に危険が及ぶと判断して、07時40分機関を毎分2,200回転の全速力前進にかけ、船首を波浪に立てて進行したが、既に大量の海水が船内に浸水していたので、速力が十分に上がらず、辛うじて2.0ノットの対地速力で、沖合に向かった。 07時44分A受審人は、左岸導流堤南端から204度250メートルのところに達したとき、ついに機関が停止し、07時45分五島灯台から282度2,970メートルの地点において、海水が甲板上を洗うようになって完全な水船状態となったところへ、波浪を受けて船体が大きく傾斜し、そのまま復原力を喪失して転覆した。 当時、天候は曇で風力3の南西風が吹き、潮候は小潮の高潮時にあたり、左岸導流堤南端付近の水深3メートルのところでは、南西方向から波浪の周期8ないし9秒、波速が毎秒5.4メートルで船速より速く、波高が3メートルに達して砕波となった不規則な高波が打ち寄せていた。 (6) 救助等の状況 A受審人は、転覆した米津丸の船底に這い(はい)上がり、漂流していたところ救助艇に救助され、海中に転落した同乗者B(昭和5年2月5日生)の捜索は、船艇、航空機及び陸上関係者により大がかりに行われたが、同日、同人が着用していた救命胴衣が、胸紐がいずれも切れた状態で右導流堤西方の海岸付近で発見されただけで、同人の発見には至らず、6月13日になって遺体で収容され、米津丸は、そのまま漂流して消波ブロックに打ち寄せられて大破し、のち廃船となった。
(原因) 本件転覆は、静岡県浜松市馬込川河口水域において、天候の悪化により釣りを中止して同川上流の定係地に向け帰航中、高波に対する配慮が不十分で、高波が発生している河口水域に進入してこれを受け、船体が大傾斜して同乗者が海中に転落し、これを救助するにあたり、同人への接近操船を行っているうち、次々と波浪が打ち込んで大量の海水が船内に流入し、水船状態となって復原力を喪失したことによって発生したものである。 海中に転落した同乗者を救助できなかったのは、波浪により同人への接近操船が困難であったことと、同人が海中に転落した際、着用していた救命胴衣が脱げたこととによるものである。
(受審人の所為) A受審人は、静岡県浜松市馬込川河口水域において、天候の悪化により釣りを中止して同川上流の定係地に向け帰航中、河口水域に高波が発生しているのを認めた場合、河口水域に進入するとこれを受けて自船に危険を及ぼすおそれがあったから、高波が治まるまで、河口水域への進入を中止するなり、最寄りの漁港に一時避難するなど、高波に対して十分に配慮すべき注意義務があった、しかしながら、同人は、高波の合間を進行すれば大丈夫と思い、高波に対して十分に配慮しなかった職務上の過失により、河口水域へ進入して高波を受け、船体が大傾斜して同乗者が海中に転落し、これを救助するに当たり、同人への接近操船を行っているうち、次々と波浪が打ち込んで大量の海水が船内に流入し、水船状態となって復原力を喪失して転覆を招き、そのまま漂流して消波ブロックに打ち寄せられて大破させ、同乗者を溺死させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して、同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
よって主文のとおり裁決する。 |