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1999年(平成11年)

平成9年第二審第44号
    件名
旅客船コーラルシージュニア転覆事件

    事件区分
転覆事件
    言渡年月日
平成11年7月16日

    審判庁区分
高等海難審判庁
原審横浜

松井武、養田重興、山崎重勝、吉澤和彦、葉山忠雄)
参審員(清水逸郎、中津川昭二
    理事官
森田秀彦

    受審人
A 職名:コーラルシージュニア船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
B 職名:コーラルシー甲板員 海技免状:一級小型船舶操縦士
    指定海難関係人

    損害
本船全損、乗客1人が死亡、同1人が全治約1年5箇月の多発肋骨骨折、肝臓挫傷等、同1人が全治約1箇月の変形性腰椎症等、船長と甲板員を含む乗客5人が全治1、2週間の打撲傷等

    原因
高波の危険性に対する配慮不十分(ブローチング現象)

    二審請求者
理事官山田豊三郎、受審人A、補佐人八木忠則、野本雅志

    主文
本件転覆は、高波の危険性に対する配慮が不十分で、波高の大きい港口への進入を中止しなかったことによって発生したものである。
受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
受審人Bを戒告する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年2月21日09時55分
東京都小笠原村南島沖合
2 船舶の要目
船種船名 旅客船コーラルシージュニア
全長 7.65メートル
機関の種類 電気点火機関
出力 44キロワット
3 事実の経過
(1) コーラルシージュニア及びコーラルシーの来歴
コーラルシージュニア(以下「ジュニア」という。)は、昭和59年11月ヤマハ発動機株式会社が製造した、型式をW-25BF-1と称する、登録長6.71メートル幅2.07メートル深さ0.79メートル最高速力約20ノットの、船外機を装備するFRP製ボートで、航行区域を沿海区域(限定沿海)とし、旅客定員15人の旅客船兼遊漁船として使用されていた。
ジュニアの船体構造は、和船型で上甲板がなく、船底からの高さが約0.4メートルのところに、船首尾部で少し隆起したウエル状の床があり、旅客の座る場所にあてられ、同床上やや船尾寄りに船外機を操作する舵輪などを備えた操縦台が設けられていた。
また、コーラルシーは、昭和59年7月横須賀ボート株式会社が製造した登録長9.54メートル幅4.044メートル深さ1.15メートルのFRP製モーターボートで、航行区域を沿海区域(限定沿海)とし、旅客定員50人の旅客船兼遊漁船として使用されていた。
(2) 受審人及び指定海難関係人
受審人Aは、平成6年6月株式会社R(以下「R社」という。)に採用され、船舶の機関整備などを担当し、専ら陸上で勤務していたところ、同7年6月コーラルシーの船長職にあった社員が2箇月後に退社することとなったので、その後任に予定されている旨告げられた。
受審人Bは、平成元年11月R社に船舶の乗組員として採用され、コーラルシー及びジュニアの船長職などを5年近く執ったのち、同6年6月に退社して建築内装業を営んでいたが、退社後も同社の依頼を受けてしばしば両船に甲板員として乗船していた。
指定海難関係人Cは、昭和63年12月にR社を設立し、既に所有していたコーラルシーとジュニアの2隻をもって、小笠原諸島周辺の遊覧やホエールウオッチング等の観光事業のほか、マリン用品の販売、プレジャーボートの修理なども行っていた。
(3) R社の観光事業内容等
C指定海難関係人は、観光事業では運航期日を定めず、観光客の求めに応じて運航する方式を採っており、年間約10日の稼働日数となるホエールウオッチングにはコーラルシーをあて、短期間旅客不定期航路事業として所轄機関に届け出ていたが、もうひとつの遊覧観光である父島から南島の袋港、兄島の海中公園を巡って起点の父島に戻る航路(以下「南島航路」という。)については、年間稼働日数が50日余りに達していたのに、同機関の許可を得ないまま、コーラルシーとジュニアを運航させていた。
ところで南島航路は、ねむり鱶(ぶか)が生息する南島の袋港の人気が高く、父島の多くの同業者が競って同港への遊覧観光を行っていた。
C指定海難関係人は、袋港の観光にあたっては専ら陸上で運航管理にあたり、コーラルシーの船体規模では袋港への入港が難しいことから、同船でジュニアを曳(えい)航して行き、南島近くの平穏な水域で乗客をジュニアに移乗させて進入させる方式をとらせており、発航地の二見港では袋港口の海象を事前に把握できず、南島に接近して港口の波浪の状況が初めて分かり、入れないことがあることを聞いていたので、進入するかどうかは船長判断に任せ、無理をしないよう指示していた。
(4) 袋港の状況
南島は、父島南西沖合にある南北に細長い無人島で、南部に奥行き約230メートル幅約180メートルの、岸壁等の施設のない袋港があり、その港が南東方に開口していて、両側から張り出した険崖(けんがい)で狭められ、港口の中央付近の巨岩(以下「中央岩」という。)を挟んで東水路、西水路と称する二つの水路があったが、西水路は水深が浅いのでほとんと使用されなかった。
東水路は、くの字状に屈曲しているうえ、中央岩寄りに暗岩等があって可航幅が約7メートルしかなく、港口にうねりが寄せるときは、港口付近で水深が浅くなることや港口西側から南方に突き出た岬による反射波の影響などもあって波高が高まるので、進入にあたっては慎重な操船を必要とするところであった。
(5) A受審人に対する訓練模様
平成7年7月C指定海難関係人は、後任船長に予定したA受審人が一級小型船舶操縦士の免状を受有しているものの乗船経験が無いことから、甲板員としてコーラルシーに配乗し、現任船長らから袋港の出入りなどの操船訓練を受けさせるようにした。
A受審人は、袋港に入港する遊覧船が通常とっている東水路への進入方法として、港口が平穏であれば中央岩の手前約10メートルまで接近していったん停止し、水路の状況を確認後、右方の険崖寄りに付け回して進入すること、港口へ向かううねりがあれば、中央岩から更に離れたところで停止し、機関を適宜使用して船位を保持しながらうねりを観察し、波頂が自船のほぼ正横に並んだとき機関を全速力にかけて発進し、波頂のすぐ後方に位置するようにして進入することなど、延べ20日余りの指導を受けたほか、旅客のいないときでも自発的に南島に出かけ単独で出入港の習練に努めた。
同7年9月、C指定海難関係人は、A受審人を船長とするとともに、経験豊富なB受審人に運航の助言者として甲板員の資格で臨時の乗船を依頼し、その後本件発生まで南島航路の運航に6日ばかり従事させた。
(6) 本件発生に至る経緯
平成8年2月21日A受審人は、南島航路の観光を行うこととなり、二見港付近の天候は穏やかであったが、念のため発航に先立って同港北西の三日月山展望台に赴き、4海里ばかり南方の南島付近の海上を観察したところ、荒れている様子もなかったので、B受審人及び初めて乗船する甲板員の3人でコーラルシーに乗り組み、乗客8人を乗せ、船尾にジュニアを引き、08時47分同港を発し、袋港に向かった。
A受審人は、父島と南島間の南島瀬戸を南下中、09時17分港口まで約0.6海里に接近したとき、2日前の強風による東方からのうねりが残っていて、南島沖合のうねりはさほどではなかったものの、港口付近のうねりが大きく、波高が2メートルを超えているのを認めた。
そのときA受審人は、袋港には先航した他社船2隻が既に入っていることを承知していたが、これらの船はジュニアに比して速力性能が優れ、また、船長らはいずれも入港経験が多いことでもあり、自らは波高約1.5メートルまでのうねり中の入港経験があったものの、2メートルを超える波高での経験がなかったから自分の操船技術では危険と思い、入港を取り止めることを考えている旨B受審人に告げ、とりあえず港口に接近してみることにした。
B受審人は、A受審人が入港を躊躇(ちゅうちょ)していることを知ったが、港口に近付くうち、コーラルシーを追い抜いた遊覧船が入港して行ったのを認めたので、他社船3隻が入港している状況であり、ジュニアが入港しないのはどうかと思い、安全運航に関して助言するよう依頼されている立場にあったのに、他社船とジュニアの性能の違いなどに配慮して進入中止を助言することなく、入港を強く勧めた。
A受審人は、入港の可否についてB受審人と議論しながら港口まで150メートルばかりに接近し、しばらく波高を観察したところ、相変わらず高い波が寄せていたが、時折低い波が出現するのを見て、このような波をとらえれば入港できるのではないかと思い、自らの入港経験を超えた高波の危険性に配慮して進入を中止することなく、入港を決意し、09時32分乗客をジュニアに移乗させるため比較的波の穏やかな父島の金右浜沖合に向かった。
A受審人は、09時40分金右浜西岸の三角点(58メートル)から138度(真方位、以下同じ。)480メートルの地点に至って漂泊し、B受審人をコーラルシーの保安要員として残し、甲板員と2人でジュニアに乗り組み、乗客8人を乗せ、全員に救命胴衣を着用させ、船首0.08メートル船尾0.19メートルの喫水をもって、同時50分同地点を発進し、機関を回転数毎分3,500にかけ、約14ノットの速力として港口に向かった。
09時54分A受審人は、中央岩の手前約50メートルに接近し、南島南端付近の三角点(60メートル)から037度210メートルのところで、船尾方からのうねりに対して機関を適宜後進に操作しながら船位を保ち、船首を東水路入口のほぼ中央に向く324度として進入の機会を待った。
A受審人は、高い波を続けて数波見送った後、09時55分少し前波高約1.5メートルのうねりの波頂がほぼ正横に並んだとき、機関を回転数毎分5000の全速力にかけて発進したところ、船体が十分に加速されないうちに並んだ波頂から引き離され、発進して数秒後、次の波の進行側斜面に追付かれ、増速途中で斜面を滑り降りる状態となって徐々に左回頭を始めた。
A受審人は、保針に努めようとしたが、操舵不能となって船体が左回頭を続けながら中央岩至近まで運ばれ、09時55分南島南端付近の三角点から023度210メートルの地点において、ジュニアの船首がほぼ西方に向いたとき、左舷側から波面にあおられて右方に大傾斜し、そのまま転覆した。
当時、天候は晴で風力3の南東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期であった。
転覆の結果、ジュニアは、岩などに打ち当てられて全損となり、乗組員及び乗客は、全員が海中に投げ出され他社の遊覧船に救助されて病院に運ばれたが、乗客D(昭和16年10月12日生)が死亡し、同Eが全治約1年5箇月の多発肋骨骨折、肝臓挫傷等を、同Fが全治約1箇月の変形腰椎症等を、A受審人と甲板員を含む乗客5人が全治1、2週間の打撲傷等をそれぞれ負った。

(主張に対する判断)
本件は、南島袋港口において、港口のうねりが高まっている状況のもとで入港中に発生したものである。
A受審人の補佐人は、「C指定海難関係人が、外洋には不適当な和船型の船舶を使用していたこと、A、B両受審人のいずれが船長なのか指揮命令系統を明確にしないで乗り組ませたこと、A受審人は袋港への入港経験が豊富なB受審人から入港を強要されても拒むことのできない状況にあったこと及び同指定海難関係人が海上運送法に違反して南島航路の観光を無許可のまま行い、同法に基づく運航管理規程を定めていなかったことが本件発生の原因である。」旨主張するので、以下これらの点について検討する。
1 ジュニアの堪航牲について
ジュニアは、ヤマハ発動機株式会社が量産した艇のひとつで、日本小型船検査機構が、船体強度、運動性能及び復原性能に関して検査のうえ、旅客定員15人、父島沖合10海里までの限定沿海の外洋航行を許可したものである。また、ジュニアと同型船の重量重心計算書写は、復原性能の判定資料として同検査機構に提出され合格したものであり、同写によると、大人9人乗船時のメタセンター高さが1.64メートルで、本件時は更に子供1人が加わった状態であるからほほ同値とみてよく、復原性能に問題があったとはいえない。
ジュニアは、小型船舶がうねりの進行側斜面で増速中に操舵不能となって斜面を滑り降り、波の進行方向とほぼ直角になるまで回頭させられて大傾斜を生じる、いわゆるブローチング現象により転覆したもので、この現象による転覆は船底形状が和船型、V型にかかわらずみられるものであって、C指定海難関係人が和船型の船舶を使用したことが本件発生の原因となったものとは認められない。
2 指揮命令系統について
C指定海難関係人は、A受審人に、コーラルシー及びジュニアの船長職を執らせることを予告し、甲板員として乗務させながら袋港の入港操船訓練を受けさせた後、船長に発令し、併せて船長経験の長いB受審人に依頼して安全運航の助言者として運航のつど甲板員の資格で臨時に乗船してもらうようにしたものである。このことから、指揮命令系統が不明確であったとは認められない。
3 A受審人の所為について
A受審人は、港口のうねりがこれまで進入経験のない波高であるのを認め、いったんは自分の操船技術では危険と判断し、進入を取り止める旨乗組員に告げ、慎重な判断を下したのに、操船の指導を受けたひとりであったB受審人の入港の勧めに惑い、低い波が出現するときもあるので、これをとらえれば入港できるのではないかと思い直し、高波の危険性に配慮し進入を中止することにした当初の判断を変更して進入したものであり、このことは本件発生の原因と認められる。
ブローチング現象を防止するには、波の後方斜面に位置するように進行し、進行側斜面に位置したときは思い切った減速をする方法もあるが、本件の原因をこのような操船技術の段階で捕らえるよりも、追波下の航行を避けることが肝要であり、A受審人が、操船技術と自船の速力性能が他社船に比していずれも及ばないことを自覚していながら、進入を中止しなかった点に求めた方がより適当であるといえる。
4 B受審人の所為について
B受審人は、永年の袋港への入港経験をかわれて安全運航の助言者として乗り組んでいた立場にありながら、A受審人がいつもより波が高いのを見て入港を躊躇していることを知った際、他社船が入港している状況でジュニアがこれを取り止めることにこだわり、進入中止を助言することなく入港を強く勧めたものである。このことは本件発生の原因と認められる。
5 C指定海難関係人の運航管理について
南島航路の運航形態は、不定期で年間50日余りの稼働日数であることと、旅客の乗船目的がつり等により魚類その他の水産動植物を採捕することではなく、遊覧観光であって遊漁に該当しないことから、海上運送法及び同法施行規則における旅客不定期航路事業に相当し、所轄機関の許可が必要となり、運航管理規程を定めることなどが求められる。
しかし、袋港口のうねりの中を進入するかどうかの判断については、運航管理規程の中であらかじめ波の高さなどの基準値を定めておくよりも、正確な状況は現場の船長しか把握できないのであるから、船長が自らの経験度や自船の性能を考慮して進入の可否を決断するようにした方がむしろ妥当であるといえる。
C指定海難関係人は、平素、袋港に進入するかどうかを船長判断に任せ、無理をしないよう指示しており、無許可で南島航路の観光事業を行い、運航管理規程を定めていなかったことは法令違反ではあるが、このことを本件発生の原因とするまでもない。

(原因)
本件転覆は、小笠原諸島の遊覧観光において、入港予定の南島袋港口に大きい波高のうねりを認めた際、高波の危険性に対する配慮が不十分で、同港口への進入を中止することなく進行してブローチング現象が生じたことによって発生したものである。
運航が適切でなかったのは、船長が進入中止の措置を採らなかったことと、安全運航の助言者として乗り組んでいた甲板員が進入中止の助言をしなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
A受審人は、小笠原諸島南島の遊覧観光において、入港予定の袋港に接近して港口に大きい波高のうねりを認めた場合、これまでの入航操船で経験したことのない波高であったから、当初の判断どおり進入中止の措置を採るべき注意義務があった。しかるに、同人は、進入を勧める甲板員の進言に惑い、時折低い波が出現するのを見て、このような波をとらえれば入港できるのではないかと思い、進入中止の措置を採らなかった職務上の過失により、進入中にブローチング現象が生じて転覆を招き、ジュニアを大破させるとともに、乗客1人を死亡させ、自らを含む乗組員と残りの乗客7人を負傷させるに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。
B受審人は、小笠原諸島南島の遊覧観光において、袋港への入港経験をかわれて甲板員として乗り組み、A受審人が同港口の高いうねりを見て入港を躊躇した場合、安全運航の助言者の立場にあったのであるから、進入中止を助言すべき注意義務があった。しかるに、同人は、他社船が入港している状況で自船が入港を取り止めることにこだわり、進入中止を助言しなかった職務上の過失により、ジュニアの転覆を招き、前示の損傷及び死傷を生じさせるに至った。
以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
C指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成9年12月10日横審言渡(原文縦書き)
本件転覆は、港口付近に高い磯波が連続して来襲する港へ入航するにあたり、高波が操縦性能に及ぼす影響についての配慮が十分でなかったことに因って発生したものである。
受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。






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