日本財団 図書館




1999年(平成11年)

平成10年門審第66号
    件名
貨物船第六福吉丸沈没事件

    事件区分
沈没事件
    言渡年月日
言渡年月日 平成11年3月30日

    審判庁区分
地方海難審判庁
門司地方海難審判庁

畑中美秀、清水正男、西山烝一
    理事官
平良玄栄

    受審人
A 職名:第六福吉丸船長 海技免状:六級海技士(航海)
    指定海難関係人

    損害
船体は全損、船長が頭部外傷など、運転手が溺水により死亡、機関長及び甲板員1人が行方不明、のち死亡と認定

    原因
車両の固縛及び開口部の閉鎖措置不十分

    主文
本件沈没は、発航にあたり、車両の固縛及び開口部の閉鎖不十分で、トラックの横転により船体が傾斜し、車両甲板に打ち込んだ海水が機関室などに流入し、浮力を喪失したことによって発生したものである。
受審人Aの六級海技士(航海)の業務を1箇月15日停止する。
    理由
(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成10年1月23日07時30分
九州西岸甑海峡
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第六福吉丸
総トン数 99.90トン
登録長 29.91メートル
幅 7.0メートル
深さ 2.7メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 367キロワット
3 事実の経過
(1) 第六福吉丸の船体構造等
第六福吉丸(以下「福吉丸」という。)は、昭和39年7月広島県の造船所建造された自動車渡船で、同54年10月にR株式会社がこれを購入したうえ、同船を運航するS株式会社の代表取締役であるA受審人を船舶所有者として登録し、同55年8月鹿児島県の鉄工所で改造され、総トン数を125.52トンから99.90トンに減トンし、航行区域を限定沿海区域、最大とう載人員を旅客12人船員4人の計16人の認定を受けた。
福吉丸は、全通の車両甲板を有し、同甲板下の船首側から順に船首水槽、第一及び第二空所、機関室、第三空所、船尾水槽及び第四空所となっていて、機関室前部の両舷に燃料油タンクを設け、同甲板上部約2.冊5メートルの高さで船首から綱12メートル後方までが船橋甲板となっており、そのほぼ中央部に操舵室があった。
車両甲板は、長さ約31メートル幅7メートルで、周囲をブルワークなどで囲み、船首から5メートルまで甲板長倉庫が設けられ、その後方約約26メートルの範囲が車両の積載可能なスペースとなっていたが、両舷側に便所、倉庫、階段及び煙突等の構造物があることから、積載可能な最大幅は約5.4メートルで、船尾には長さ約4.9メートル最大幅杓4.3メートルの車両積み卸し用のランプウェイを備えていた。同甲板には中央より約7メートルに各3箇所、後部両舷に各2箇所の放水口が設けられ、また、船体中央より約7メートル船尾寄りの両舷側に高さ約1.7メートル幅約0.7メートルの水密扉を有する機関室出入口が設置されていた。
(2) 車両甲板の積載状況
車両甲板には、前部中央やや左舷よりに貨物重量4.85トンの4トン型トラック1台、右舷中央部に同5.03トンの4トン型トラック1台、左舷中央部に同3.32トンの4トン型タンクローリ1台及び後部船体中心線上に同8.69トンの8トン型トラック(以下「8トントラック」という。)1台の計4台が積み付けられ、各車両にはくさび形のタイヤ止めが付されていたが、ワイヤなどで甲板上との間の固縛がなされず、また、8トントラックの荷台の貨物はカバーを被せたのみで、ロープなどで固縛されていなかった。その他、前部中央付近には建設資材11.5キログラムが積み付けられ、車両及び車両搭載貨物などの総積載重量は約39.7トンであった。
(3) 本件発生に至る経緯
福吉丸は、A受審人ほか2人が乗り組み、トラック運転手1人を乗せ、前示車両等を積載し、船首0.9メートル船尾2.4メートルの喫水をもって、平成10年1月23日06時20分鹿児島県串木野港を発し、同県下甑島手打港に向かった。
A受審人は、昭和34年から同55年末まで機帆船で同県川内港と下甑島間の運航に従事し、同56年1月に福吉丸の甲板員として乗り組み、平成元年から船長職を執って串木野港と手打港間の航海に従事していた。
A受審人は、発航にあたり、風雪、波浪注意報が発表されていたことを知り、荒天となることが予想されたものの、これまで冬季に沖ノ島を替わしたのち、波浪が高くなって引き返したことがあったことから、気象状況が悪くなったら引き返せば大丈夫と思い、積付け時にトラックのタイヤ止めを行っただけで、ワイヤなどにより固縛を十分に行わず、また、ランプウェイ及び車両甲板上にある機関室出入口を十分に閉鎖することもなく、機関を微速力前進にかけて離岸し、06時26分串木野港南防波堤西端を左舷正横60メートルに航過したとき、機関を12.0ノットの全速力前進にかけ、冬季に常用している甑島列島沿いに南下する針路とするため、一旦上甑島の東方沖合約5海里まで直航することとした。
A受審人は、甲板員及び蓮転手と雑談しながら、いすに座って操舵にあたり、沖ノ島までの針路が陸岸に近いことから、風浪の影響をさほど受けずに左右5度の横揺れ状態で航行し、06時46分薩摩沖ノ島灯台(以下「沖ノ島灯台」という。)から181度(真方位、以下同じ。)450メートルの地点に達したとき、針路を上甑島の板倉瀬付近に向く294度に定め、引き続き12.0ノットの対地速力で手動操舵により進行した。
ところで、当時の気象状況は、九州南方海上の低気圧が発達しながら北東進し、鹿児島地方気象台では、同月22日17時50分鹿児島県全域に風雪、波浪注意報を発表し、薩摩地方は北東の風のち北の風ともに強く、海上は波高が2.5メートルのち3メートルとなる予報が出されていた。
A受審人は、沖ノ島を通過したころから北寄りの風により風波が強まり、右舷正横から波浪を受けるようになって船体が10度ないし15度横揺れし、甑海峡に入ってからは更に風浪が高まって波高が2.5メートルとなり、時折20度を超える横揺れの状態で続航した。
07時20分A受審人は、沖ノ島灯台から292度6.7海里の地点に至ったとき、小用のため車両甲板へ降りた甲板員から、最後部に積み付けた8トントラックが横転しているとの報告を受けたので、様子を見るため、機関を半速力前進の7.5ノットに減じて船首を風上に立てたのち、いすを降りて操舵室の出入口から同甲板を見たところ、同トラックが左舷側に横転していて、積まれていた貨物がブルワーク付近に散乱し、その一部が船外に落ちそうになっているのを認め、横揺れを利用してこれを船外に落とそうと思い、同時22分左舵一杯を取って風下側に回頭を始めた。
こうして、A受審人は、回頭するにつれて横揺れが増すとともに追波状態となったことから、次々に到来する波が放水口から車両甲板に浸入し、また、ランプウェイからも波浪が連続して同甲板に打ち込み、トラックの横転と相まって船体が左舷側に25度傾斜したうえ、更にブルワークを越えて大量の海水が同甲板に打ち込み、これらの海水が開口していた機関室出入口から機関室などに流入し、主機関が自停して操船不能に陥った。
その後、A受審人は、船内への浸水が急激に進んで左舷側へ45度傾斜して左舷船尾部が水没し始めたのを認め、沈没の危険を感じ、甲板員に救命筏で脱出の用意をするよう指示し、会社と連絡を取るため操舵室内に戻ったとき、同室内に流入した海水によって海上に押し流され、船首の錨につかまっていたものの、沈没の気配を感じて離れた直後、07時30分薩摩沖ノ島灯台から291度6.7海里の地点において、福吉丸は、浮力を喪失し、船首を173度に向けて船尾から沈没した。
当時、天候は曇で、風力5の北寄りの風が吹き、波高は約2.5メートルであった。
沈没の結果、船体は全損となり、A受審人は流れてきた救命筏に乗って漂流中、巡視艇に救助されが頭部外傷などを負い、運転手B(昭和49年1月27日生)は漂流中に救助されて病院に収容されたが、溺水により死亡し、機関長C(昭和8年2月1日生)及び甲板員D(昭和25年8月31日生)は、海上保安庁の航空機及び巡視船艇により捜索が行われたが、発見されずに行方不明となり、のち死亡と認定された。

(原因)
本件沈没は、風雪、波浪注意報が発表されていた状況下、鹿児島県串木野港を発航するにあたり、車両の固縛及び開口部の閉鎖措置が不十分で、波浪が高まった甑海峡を西行中、横揺れによりトラックが横転して船体が傾斜し、ランプウェイ及びブルワークから大量の海水が車両甲板に打ち込んで機関室などに流入して、浮力を喪失したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
A受審人は、風雪、波浪注意報が発表されていた状況下、鹿児島県串木野港を発航する場合、安全運航が確保できるよう、車両の固縛を十分に行い、ランプウェイ及び機関室出入口の閉鎖を十分に行うべき注意義務があった。しかるに、同人は、気象状況が悪くなったら引き返せば大丈夫と思い、ランプウェイ及び機関室出入口の閉鎖を十分に行わなかった職務上の過失により、積載していたトラックが横揺れにより横転して船体が左舷側に傾斜し、車両甲板に打ち込んだ大量の海水が機関室などに流入して、浮力を喪失して沈没を招き、福吉丸を全損とさせるとともに、乗組員2人及びトラック運転手1人を死亡させ、自らも頭部外傷などを負うに至った。
以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の6級海技士(航海)の業務を1箇月15日停止する。

よって主文のとおり裁決する。






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION