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1999年(平成11年)

平成9年横審第43号
    件名
貨物船第弐拾大豊丸遭難事件

    事件区分
遭難事件
    言渡年月日
平成11年2月19日

    審判庁区分
地方海難審判庁
横浜地方海難審判庁

西村敏和、猪俣貞稔、河本和夫
    理事官
大本直宏

    受審人
    指定海難関係人

    損害
船体沈没、船長死亡、機関長行方不明

    原因
船位不確認

    主文
本件遭難は、船位が確認されなかったことによって発生したものである。
船舶所有者が、適切な航海当直を実施するために必要な員数の乗組員を乗り組ませなかったとは本件発生の原因となる。
    理由
(事実〉
1 事件発生の年月日時刻及び場所
平成8年2月10日05時13分
静岡県御前岩付近
2 船舶の要目
船種船名 貨物船第弐拾大豊丸
総トン数 199.78トン
全長 41.00メートル
登録長 37.25メートル
幅 7.50メート
深さ 3.40メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 441キロワット
3 事実の経過
(1) 第弐拾大豊丸
ア 船体の構造
第弐拾大豊丸(以下「大豊丸」という。)は、昭和45年熊本県天草郡姫戸町の加藤造船所で建造された、二重船殼構造の船尾船橋型液体ばら積貨物運搬船で、貨物倉は、船首水倉の後方にあって、中心線隔壁によって両舷に区画され、右舷側には船首側から1、3及び5番、左舷側には同じく2、4及び6番の各タンクがそれぞれ配置されていた。
イ 船橋及び航海計器の状況
船橋は、3層から成る上部構造物の最上層にあり、長さ3メートル幅3.5メートルの区画で、船橋のほぼ中央部に電動油圧操舵装置が設置され、同装置は、株式会社トキメックが製造したニューレスコパイロットPR2011-TS-020KF型で、磁気コンパスが組み込まれ、手動、自動、レバー及び遠隔操舵か行えるようになっていた。同装置の右舷側には主機遠隔操縦装置、左舷側にはレーダーがそれぞれ設置されており、船橋前面壁上部には、舵角指示器、回転計などの計器類が取り付けられていたが、GPSなどの電波航法機器は設置されていなかった。
ウ 積荷の状況
積荷のリン酸(液体)は、危険物船舶運送及び貯蔵規則(昭和32年運輸省令第30号)に基づく、船舶による危険物の運送基準等を定める告示(昭和54年運輸省告示第549号)により、危険物に指定され、腐しょく性物質に分類されており、大豊丸は、載貨重量トン数480トンのところ、400トンを積載していた。
(2) 指定海難関係人等
ア R株式会社
指定海難関係人R株式会社(以下「R社」という。)は、主として海上運送業を営み、本店を大阪市に置き、総務部、営業企画部及び海工務部の3部があり、大豊丸、敬和丸及び第三大昭丸(以下「大昭丸」という。)ほか10隻を所有し、そのうち1隻を除いていずれも液体のばら積貨物運搬船で、内航船舶貸渡事業者に裸用船に出し、船員の配乗が行われたのち、これを定期用船しており、運航委託船を含めると27隻の船舶を運航管理して、国内各港間における化学製品などの運送事業を行い、大豊丸の運航管理一切を行う実質的な船舶所有者となっていた。
また、本店内に、船舶の安全運航管理などを目的として、A代表者が委員長として主催する、各部門及び客船の責任者から構成されたR社船舶安全対策委員会が設置されていた。
イ 有限会社S
指定海難関係人有限会社S(以下「S社」という。)は、本件発生後の平成8年9月に、その前身の有限会社会社Tから商号を変更したもので、昭和52年12月に設立され、本店を兵庫県三田市に置き、主として海上運送業を営んでいた。
B代表者は、昭和44年機帆船の機関員として海上勤務に就き、同52年からR社所有船の船長として乗り組み、平成6年9月有限会社Tに入社して取締役に就任し、同年10月営業権の譲渡を受けて代表取締役に就任して、本店を大分市に移転し、内航船舶貸渡業の許可を受けて同事業を営んでいたが、自らもR社から裸用船した大昭丸の船長として乗り組んでいた。
ウ 大豊丸の乗組員
(ア) 船長C
C船長は、昭和47年に四級海技士(航海)の免許を取得し、内航船の船長として長い経験を有し、内航船舶貨渡業の許可を受けていなかったが、同事業を行いたいとの意向を持っていたことから、R社から依頼を受けて、大豊丸及び敬和丸の2隻について船員の配乗を請け負い、自らも2隻の内のいずれかに船長として乗り組み、平成8年1月15日からは大豊丸の船長職を執っていた。
(イ) 機関長D
D機関長は、昭和40年に五級海技士(機関)の免許を取得し、同55年に漁船の機関員から内航船に転じて499トン型の一等機関士となり、同62年には199トン型の機関長となって、平成7年3月3日からC船長の要請により、大豊丸の機関長として乗り組み、機関当直のほか、通航船の少ない広い海域などで、時折単独の船橋当直に就くことがあった。
(3) 用船形態等
ア 用船契約
R社は、自社船員を雇用していなかったことから、大豊丸・敬和丸及び大昭丸をS社へ裸用船に出し、船員が配乗された当該船舶を定期用船して運航管理しており、両者間でこれら3隻に係る内航裸用船契約及び内航定期用船契約を締結していた。
一方、S社は、大昭丸をR社から裸用船し、同船に船員を配乗してR社に定期用船に出していたが内航船舶貸渡事業者は、企業規模の適正化の目的で、総トン数100トン以上の船舶を3隻以上所有することが義務付けられていることから、大昭丸のほかに2隻を用船する必要があったが、2隻分の船員を確保することができなかった。
このような状況のもと、S社は、貸渡事業の名義を他人に内航海運業のため利用(以下「名義貸し」という。)させてはならないことを知っていたのに、R社からの依頼により、同社から紹介のあったC船長に対して名義貸しを行うことにし、同人が船員の配乗を行うことを前提として、大豊丸と敬和丸の用船契約を締結することに同意し、大豊丸については、平成7年2月16日付けで用船期間5年間の内航裸用船契約を締結するとともに、同期間の内航定期用船契約を締結して、R社が同船の運航管理を行っていた。
また、同契約によると、法定検査や修繕等についてもR社が行うことになっており、S社は、形式的に用船契約の当事者となって、名義貸しをしたほかは、大豊丸に関して実質的に関与しておらず、事実上、C船長の手配した船員の配乗を含めて同船の運航管理一切をR社が行っていた。
イ 船員の配乗
C船長は、R社の依頼により船員の配乗を請け負い、船員の配乗に当たって、同社から紹介されたB代表者と連絡をとった際、同代表者からの要請で、平成7年3月1日付けの念書を提出し、同船長が大豊丸乗組員の配乗等に係わる一切の責任を負うことを確約したうえで、自らが雇用した船員を大豊丸に乗り組ませていたが、大豊丸は、船齢が古く設備が老朽化していたため、船員の雇用が難しい状況となっていた。
なお、C船長とB代表者とは、船員の配乗についての念書の作成並びに船員保険への加入及び同保険料の支払いなどについて、電話で数回話した程度であり、面識はなかった。
ウ 経費の流れ
両者間で用船契約した3隻のうち、S社が船員の配乗を行った大昭丸については、R社からS社に対し、配乗経費として、定期用船料から裸用船料を差し引いた相殺額月額250万円が支払われていた。また、大豊丸及び敬和丸の2隻分については、S社に配乗経費は支払われておらず、名義貸しなどの手数料の名目で、1隻につき3万円が支払われていたほかは、C船長の船員保険料の実費として月額12万円が支払われていただけで、この2隻分の配乗経費は、R社から直接C船長に支払われており、大豊丸分として船員4人相当分の月額250万円が支払われ、同船長は、この中から雇用した船員に給与を支給し、各船員を被保険者とした傷害保険に加入していたが、船員保険に加入していたのはC船長だけであった。
(4) 本件発生の経過
大豊丸は、専ら東京湾、伊勢湾及び瀬戸内海の各港間における液体ばら積貨物の運搬に従事し、C船長及びD機関長が乗り組み、平成8年2月8日19時20分千葉港千葉第4区日本燐酸株式会社専用桟橋に着桟し、翌9日07時20分から10時50分の間、同桟橋においてリン酸の積荷役を行い、400トンを積載して、平均喫水3.0メートルをもって、11時00分同港を発し、兵庫県東播磨
港に向かった。
C船長は、当該航海時間が40数時間に及び、その大部分を自らが船橋当直に就かなければならず、十分な休息がとれない状況のもと、船橋当直を単独2直制とし、自らが出港操船に続いて船橋当直に就き、機関を全速力前進にかけ、8.0ノットの対地速力で進行し、15時30分ごろ相模灘に出たところでD機関長に船橋当直を委ねて降橋し、20時00分ごろ伊豆半島東岸で再び昇橋して船橋当直に就いた。
翌10日00時00分ごろ石廊埼南方0.5海里の地点を航過したころから、船首方向から西寄りの強い風浪を受けるようになり、風浪の影響を少なくするため、ないしは東航船と左舷を対して通過するために、いつもより北に寄った針路を採り、御前埼灯台に向くほぼ270度(真方位、以下同じ。)の針路とし、船首方向からの風浪に抗して、6.0ノットの対地速力で、自動操舵によって続航した。
ところで、御前埼は、駿河湾口の西側にあって遠州灘に面し、その南端には、灯質が、単閃白光、毎10秒に1閃光で、灯高54メートル、光達距離19海里の御前埼灯台があり、レーマークビーコン局が併設されて、レーダー映像上でも同灯台の方位を確認できるようになっていた。また、同灯台の東方1.8海里付近には、大根バエと称する礁脈が南北に1,000メートル以上にわたって存在し、その北部には御前岩があって、南北300メートルにわたって干出岩などが連なる危険な暗礁が広がっており、それらの存在を示すため、灯質が、群閃白光、毎8秒に2閃光で、灯高18メートル、光達距離13海里の御前岩灯標が設置されていた。
船橋当直者は、御前岩の手前で御前埼の沖合に向かう針路に転じるつもりで進行していたところ、04時38分ごろ御前岩灯標の東方3.0海里のところに接近し、同灯光を船首方向に視認し得る状況であり、レーダーでも御前崎を探知できる状況であったが、2直体制を余儀なくされて適切な船橋当直が行われず、疲労から居眠りに陥ったものか、船位が確認されず、御前岩の暗礁に向首進行していることに気付かずに続航し、04時58分ごろ御前岩灯標の東方1.0海里の、針路を御前埼沖合に転じる地点に達したが、依然としてこのことに気付かず、御前岩の暗礁に向首したまま進行した。
こうして、船橋当直者は、御前岩の暗礁を避けることなく続航中、05時08分ごろ同暗礁に乗り揚げ、間もなく機関を使用して自力離礁したものの、船首船底部に生じた破口から激しく浸水し、沈没するおそれが生じたため、同時10分C船長は、第三管区海上保安本部に船舶電話で、「御前岩に接触し、浸水して沈没しそうだ。」と通報して救助を要請したが、直後に「機関長、機関長」と連呼する声を最後に通話が途絶え、同船長は船橋内から脱出する暇もなく、大豊丸は、05時13分御前岩灯標から115.5度650メートルの地点において、浸水により浮力を喪失して沈没した。
当時、天候は晴で風力5ないし6の西北西風が吹き、視界は良好で、御前岩付近では波高3メートルの西寄りの波浪があり、潮候は上げ潮の中央期であった。
この結果、C船長(昭和18年3月22日生)は、船橋内から遺体で発見されたが、D機関長(昭和6年3月21日生)は、発見に至らず、のち死亡と認定された。また、大豊丸は、サルベージ船により引き揚げられたが、球状船首前端から後方5メートルにかけての船首船底部を大破し、積荷は流失しており、のち廃船となった。
(5) 捜索活動等
ア 捜索活動
第三管区海上保安本部では、巡視船艇7隻、航空機4機及び特殊救難隊等を出動させ、御前岩周辺を重点的に捜索するとともに、航空機等により広範囲な捜索を行った。
その結果、10日06時20分御前岩灯標の南東方1,200メートルの地点において、無人で漂流中の大豊丸の膨張式救命いかだを揚収し、翌11日には、水深約20メートルの海底に、船首を南南東に向け、右舷側を下にして横倒し状態で沈没している大豊丸を確認し、船橋内でC船長の遺体を発見したが、D機関長の発見には至らなかった。
イ 船体引揚作業
U株式会社は、2月15日から大豊丸の船体撤去準備作業に取り掛かり、3月6日700トン吊り起重機船による船体の引揚げに成功し、御前崎港まで吊り運搬して同港西ふ頭に陸揚げしたが、D機関長は、船内からは発見されなかった。
(6) 本件後の対応
ア 関係官庁
運輸省では、従前からの指導に加え、大豊丸が船長及び機関長の2人で運航されていたことを重視し、当面の指導基準として、総トン数200トン未満の船舶における甲板部の乗組定数を定め、雇入契約の公認等の諸手続きの際に、同定数が確保されているか否かを確認するとともに、船員労務官による訪船監査等を通じて指導徹底を図ることとした。
また、R社及びS社に対する検査等の実施結果をもとに、両者に対し、事故の再発防止のため、内航海運業法及び船員職業安定法など関係法令等の遵守について指導を行うとともに、日本内航海運組合組合総連合会等の各関係団体に対し、傘下の関係者に対する周知を依頼した。
イ 関係団体
日本内航海運組合総連合会は、運輸省からの依頼を受けて、傘下の全国内航タンカー海運組合等の各団体に対し、所属会員等に同趣旨の周知徹底を図るよう指示した。
ウ 指定海難関係人
(ア) R社
関係官庁の指導に従い、船員を確実に配乗することのできる内航船舶貸渡事業者へ裸用船に出すことにし、船舶安全対策委員会を機能させ、各船への訪船指導等の機会を活用して、関係法令等の遵守を徹底し、事故の再発防止に努めることとした。
(イ) S社
大豊丸及び敬和丸の2隻については、本件後直ちに用船契約を解除して返船し、関係官庁の指導に従い、関係法令等を遵守し、名義貸しを行わないこととした。

(主張に対する判断)
R社は、用船形態、経費の流れ等の、事実関係を認めたうえで、大豊丸の船員の配乗については、同社から直接C船長に依頼したが、同船長に対し、船員の配乗経費として4人相当分の月額250万円を支払って、船員の配乗を請け負わせていたので、同社と大豊丸乗組員との間に雇用関係はなく、大豊丸に適正な員数の船員を乗り組ませていなかったことについては、船員の配乗を請け負った者がその責任において行うべきことであり、同社が責任を負うところではないと主張するので、この点について検討する。
本件については、適正な員数の船員の配乗、内航船舶貸渡事業者の名義貸し、船員労務供給事業、更に船員保険への加入などの問題が内在し、それらは、船員法、内航海運業法、船員職業安定法及び船員保険法の各法令と関係しており、運送コストの軽減に伴う配乗経費の削減船員不足及び高齢化など内航海運が抱える様々な課題を投げかけていると言える。
そもそも大豊丸の船舶所有者たるR社は、自社の雇用する船員を乗り組ませていたところ、運送コストの軽減などの目的で、自社船員を雇用しない方針を採ったことから、内航船舶貸渡事業者に裸用船に出す必要があった。そのため、S社との間で大豊丸に係る用船契約を締結したものであるが、船員の配乗は、本来裸用船者であるS社において行うべきところ、R社は、S社において船員を確保することができないことを承知していたので、当初からC船長が名義貸しを受けることを前提として、形式的な用船契約を締結し、同社と雇用関係がなかった同船長に船員の配乗を請け負わせ、同船長から船員職業安定法で禁止されている船員労務供給事業の形態で手配した船員の供給を受けて、大豊丸に乗り組ませていたものであり、たとえ同船長に配乗経費を支払っていたとはいえ、大豊丸の乗組員に対して、同船長を介した雇用関係にあったと認めることができる。
このように、R社は、裸用船契約は締結していたものの、大豊丸に係る船員の配乗を含めた一切の運航管理を行っていたことから、同社が、実質的にも船舶所有者であって、船員法上の義務を履行すべき立場にあったことは明らかである。もっとも、R社は、長年海運業を営む中で、自己所有船舶に自社船員を配乗していた経験があり、多数の船舶を運航管理してきたのであるから、関係法令、船員の配乗業務及び運航実態についてはよく知っていたところであり、C船長が船員の配乗を請け負ったとはいえ、船員の配乗経験が少なく、しかも自ら船長として乗船するなど、十分な予備船員を確保することができない状況のもと、乗組員の休暇・転船などによる下船に際して、船員の補充ができなくなることが予想でき、船員の補充ができないまま少人数で運航すれば、大豊丸の就航航路、航海時間、荷役作業時間などの運航実態からして、航海の安全に支障を生じるおそれがあることが予見できるところであった。
したがって、R社は、C船長と緊密に連絡を取り合って、乗組員等の実態を的確に把握し、航海の安全が確保されるよう、同船長に対して十分な指導監督を行う必要があった。
一方、船舶の乗組員数については、船舶職員法はもとより、船員法第69条で、労働時間を遵守するために、さらに、同法第70条で、航海当直その他の船舶の航海の安全を確保するために、それぞれ船舶所有者に対して必要な員数の海員を乗り組ませなければならないことを義務付けている。また、告示によって航海当直基準を定め、船長は航海当直中の海員の能力が疲労により損なわれることがないよう配慮することなどが求められており、さらに、定員基準については、通達によって、総トン数700トン未満の自動操舵装置を装備する船舶であって、当該航海時間が16時間を超える場合は、甲板部の乗組定員を3人とし、同装置を作動している間においては、船橋当直者は1人でよいとする行政指導が行われてきた。
そこで、大豊丸についてみると、たしかに船舶職員法上の船舶職員の乗組みに関する基準は満たしているが、他方、船員法上の乗組定員については、同船総トン数199トンの自動操舵装置装備船で、予定航海時間だけでも40数時間に及び、航行海域が船舶交通のふくそうする海域であることなどを勘案すれば、適切な船橋当直を実施するためには、少なくとも3直体制の船橋当直を編成する必要があり、船員法第70条においては、船舶所有者に定員を定めるところまでは義務付けていないものの、R社としては、船員法の趣旨を踏まえ、大豊丸の運航実態に応じて、少なくとも3直体制の船橋当直が編成できる員数の乗組員を乗り組ませるべきであったと考える。
しかしながら、R社は、毎日の定時連絡などを通じて、乗組員等の実態を的確に把握し、かつ、C船長に対する十分な指導監督を行うことが可能であったにもかかわらず、同船長に船員の配乗を請け負わせたまま、実態把握も十分な指導監督も行っておらず、当初は、船長、機関長及び甲板長の3人で運航していたものの、平成7年11月末からは船長及び機関長の2人で運航していた可能性があり、少なくとも平成8年1月15日から本件発生の2月10日までの期間は、C船長とD機関長の2人で運航していたものであり、長期間にわたって2人で運航していた実態を把握しておらず、同船長に対して十分な指導監督を行っていなかったことは、船舶所有者としての義務を履行していなかったと言わざるを得ない。
このように、本件発生の直接的な原因は、船位の確認が行われなかったこと、即ち適切な船橋当直が実施されなかったことによるものであるが、それが、単独2直体制の船橋当直を編成せざるを得なかったため、疲労から居眠りに陥ったことによるものと推認される以上、R社は、船舶所有者として、適切な船橋当直を実施するために必要な員数の乗組員を乗り組ませていなかったことについて、その責任を免れるものではない。
以上のことを総合すると、R社としては、実質的な船舶所有者として、船員法の趣旨を踏まえ、乗組員等の実態を的確に把握し、かつ、C船長に対して十分な指導監督を行い、適切な船橋当直を実施するために必要な員数の乗組員を乗り組ませなければならず、大豊丸に適正な員数の船員を乗り組ませていなかったことについては、船員の配乗を請け負った者が、その責任において行うべきことであり、同社が責任を負うところではないとする主張は相当でない。

(原因に対する考察)
1 運航状況
(1) 採用航路
大豊丸は、東京湾から遠州灘にかけて、C船長が常用していた航路を航行したものと考えられ、それは、千葉港を出航後、浦賀水道航路を南下して東京湾を出たのち、三浦半島剱埼沖1.0海里の地点で伊豆半島門脇崎に向け、同埼の北東方3.0海里の地点から同半島東岸沿いに、稲取崎及び爪木埼をそれぞれ1.0海里離して南下し、石廊崎沖0.5海里の地点を航過したところで、御前埼沖2.0ないし4.0海里に向けるものであった。
しかしながら、乗揚地点は、C船長の電話通報により御前岩の暗礁であったことが判明しておりこのことから、石廊埼沖を航過して西寄りの強い風浪を受けるようになり、風浪の影響を少なくするため、ないしは東航船と左舷を対して通過するために、石廊埼南方0.5海里の地点から、針路を御前埼に向くほぼ270度に定め、同崎及び御前岩を確認したうえで、御前岩の手前で御前埼沖合に向かう針路に転じる予定であったものと推認できる。
(2) 船橋当直
大豊丸が航行を予定していた千葉港から東播磨港までの航海時間は、同船の貨物積載時の速力からして40数時間となることから、C船長は、船橋当直を単独2直制とし、同人が発航時から船橋当直に就き、東京湾を出たのち、相模灘から伊豆半島東岸までの比較的広い海域で、D機関長を船橋当直に就け、同半島東岸付近からは、陸岸に接航することとなり、東京湾方面に向かう船舶がふくそうする時間帯であったことから、C船長が再び単独船橋当直に就き、乗揚後の電話通報の内容から、同通報時には機関長は在橋していなかったことが裏付けられることから、その後も同船長が船橋当直を続け、そのまま乗揚地点に至った可能性が高いが、同人とも死亡したため、特定できない。
2 気象・海象
2月9日から10日深夜にかけて、前線を伴った発達中の低気圧が伊豆半島及び房総半島沖合を東北東に進み、静岡県伊豆地方には、9日早朝から10日夜半にかけて、強風・波浪注意報が発表され、また、関東各海域及び東海海域東部には、海上強風警報が発表されて、関東・東海地方近海は時化模様となっていたが、10日深夜には、低気圧の中心が房総半島沖合に達したことから、東海海域東部では、風浪も幾分治まったものの、石廊埼から御前埼にかけては、風力5ないし6の西北西風が吹き、御前岩付近では波高3メートルの西寄りの波浪があって、海上は依然として時化模様が続いていたと推認できる。
3 乗揚に至る経緯
本件は、夜間、荒天下の石廊埼から御前埼沖合にかけて西航中、御前岩の暗礁に乗り揚げ浸水して沈没に至ったものである。
大豊丸の船橋当直は、前示のとおり、C船長とD機関長の2人がそれぞれ単独で行い、C船長が東京湾を出て剱埼沖合まで当直に就き、相模灘に出たところでD機関長と交替し、伊豆半島東岸付近からは、前示のとおり、同船長が再度当直に就いたものと推認でき、乗揚当時も同船長が船橋当直に就いていた可能性は高いものの、両人が死亡したため、特定できなかった。
こうして、伊豆半島東岸に達して2回目の船橋当直に就いたC船長は、石廊崎を航過したころから、西寄りの強い風浪を船首方向から受けるようになり、風浪の影響を少なくするため、ないしは東航船と左舷を対して通過するために、いつもより北に寄った針路をとり、御前岩の手前で転針して御前埼沖合に向けるつもりで、針路を御前埼灯台に向くほぼ270度に定め、自動操舵によって進行した。
ところで、乗揚地点である御前岩一帯には、干出岩などの存在する危険な暗礁が広がっているため御前岩灯標が設置され、その西方には更に光力の大きい御前埼灯台があって、光達距離がそれぞれ13海里と19海里で、大豊丸の対地速力6.0ノットからすれば、光達距離が短い御前岩灯標でも、乗り揚げる2時間前からその灯光を視認することができる。
しかし、これらの灯光をほほ船首方向に長時間視認し得る状況であったにもかかわらず、御前岩灯標付近の暗礁に乗り揚げたこと、及び、石廊崎沖合を航過した時点で発航から既に13時間が経過し、ここから更に乗揚地点まで一定の針路で5時間航行したことなどを考慮すると、乗揚当時、どちらが船橋当直に就いていたかは特定できないにしても、C船長が船橋当直に就いていた可能性が高く、深夜から早朝にかけての時間帯で、2直体制による疲労から眠気を催し、自動操舵によって長時間一定の針路で進行したこともあって、いつしか居眠りに陥ったものと推認することができ、いずれにしても船位の確認が行われず、御前岩の暗礁に向首していることに気付かないまま続航し、乗り揚げるに至ったとするのが妥当である。

(原因)
本件遭難は、夜間、荒天下の静岡県石廊崎から御前埼にかけて西航中、船位の確認が行われず、御前岩の暗礁に向首進行して同暗礁に乗り揚げ、自力離礁したものの、船首船底部に破口を生じて浸水、沈没したことによって発生したものである。
船舶所有者が、乗組員等の実態を的確に把握していなかったばかりか、適切な船橋当直を実施するために必要な員数の乗組員を乗り組ませなかったことは、本件発生の原因となる。

(指定海難関係人の所為)
R社が、大豊丸の用船契約を締結するに当たり、内航船舶賃渡事業者が船員を確保することができないことを知り、当初から名義貸しを受けて船員の配乗を行うつもりで形式的に同契約を締結し、自社で雇用していない者に船員の配乗を請け負わせ、実質的な船舶所有者として、乗組員等の実態を的確に把握していなかったばかりか、同人に対して十分な指導監督を行わず、適切な船橋当直を実施するために必要な員数の乗組員を乗り組ませなかったことは、本件発生の原因となる。
R社に対しては、本件後、用船契約を解除し、関係官庁の指導に従って関係法令等を遵守しており、また、同社の船舶安全対策委員会を活用するなどして、事故の再発防止に努めていることに徴し、勧告しない。
S社が、大豊丸の用船契約を締結するに当たり、内航船舶貸渡業の許可基準を充足するために必要な所有船舶の配乗要員を確保できず、内航海運業法で禁止されている名義貸しを行ったことは遺憾であるが、同社は、形式的に用船契約の当事者となって名義貸しを行ったほかは、大豊丸の船員の配乗等について実質的に関与しておらず、船員の配乗を含めて同船の運航管理一切をR社が行っていたことに徴し、本件発生の原因とするまでもない。

よって主文のとおり裁決する。






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