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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年7月23日06時30分 和歌山県田倉埼 2 船舶の要目 船種船名
油送船眞和丸 総トン数 237トン 全長 49.97メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
735キロワット 3 事実の経過 眞和丸は、船尾船橋型の鋼製油送船で、主に京浜、阪神間の諸港において食用油などの輸送に従事していたところ、A受審人及びB受審人ほか1人が乗り組み、空倉のまま、海水バラスト約100トンを張り、船首1.20メートル船尾2.60メートルの喫水をもって、平成10年7月23日04時00分神戸港第2区兵庫第1突堤を発し、友ケ島水道の加太瀬戸経由で京浜港横浜区に向かった。 A受審人は、航海中の船橋当直をB受審人と2人による単独6時間交替の2直制とし、原則として自らが06時から12時までと18時から24時までの、またB受審人が00時から06時までと12時から18時までの時間帯に当直に当たることにしていた。 04時20分A受審人は、和田岬南方1.5海里付近で、出港配置を終えて昇橋したB受審人に当直を引き継ぐにあたり、06時過ぎに狭水道である加太瀬戸を通峡することになることを知っていたが、B受審人が以前船長職を執った経験を有し、この航路の航行に慣れて航路事情もよく分かっていたことから、操船を任せても大丈夫と思い、同瀬戸通航時に自ら昇橋して操船の指揮を執るようにすることなく、少し疲れ気味であったので、06時の交替時刻後も1時間ほど当直を続けてくれるよう頼み、自室に退いて休息した。 ところで、B受審人は、前々日21日14時名古屋港を出港したのち、A受審人と6時間交替で船橋当直に当たって神戸港に向かい、翌22日13時20分同港に入港し、揚荷役に立ち会って17時45分荷役を終えた。その後、岸壁のシフト作業に従事して兵庫第1突堤に着岸を終え、船内でテレビを見たりして過ごしてから21時過ぎに就寝し、当日23日03時45分の出港準備に合わせて起床し、出港作業に続いて当直に就いたもので、当直に就いたとき特に体調は悪くなかった。 こうしてB受審人は、船橋当直を引き継いだのち、窓と扉を閉め冷房を少し効かせた操舵室内で、舵輪の後方に置いた背もたれ付きのいすに腰を掛けて見張りに当たって大阪湾を加太瀬戸に向け南下した。 B受審人は、06時00分加太瀬戸に3.5海里ほどに近づいた、地ノ島灯台から022度(真方位、以下同じ。)3.5海里の地点に達したとき、同灯台付近及びその南側に多数の漁船らしき船を認め、針路を加太瀬戸中央の左に向く196度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.5ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 06時11分半B受審人は、すでに交替時刻を過ぎ、加太瀬戸の約1.5海里手前に差し掛かったが、A受審人からいつもより1時間ほど長く当直に当たるよう頼まれていたことから、そのまま当直を続け、やがて漁船群に接近するにつれてこれらが一本釣りを行っていることを知り、漁船群に注意を払いながら同一針路、速力で続航した。 B受審人は、06時20分加太瀬戸の最狭部を通過し、同時22分地ノ島灯台から150度900メートルの地点に達したとき、右舷船首方に近づいた漁船群を右舷側にかわすため、自動操舵のつまみを回して田倉埼に接航する187度の針路に転じた。 その後、B受審人は、これら漁船が替わったとき元の針路に戻すつもりで、引き続きいすに腰を掛けて見張りに当たっているうち、漁船群が右舷側に無難に替わる状況となって安堵したうえ、航海の都合で連日の運航が続き少し疲れ気味であったこともあって眠気を催すようになったが、周囲も明るくまさか居眠りすることはないと思い、休息中のA受審人に報告して操船の指揮に当たってもらうなど、居眠り運航の防止措置をとることなく、いすに腰を掛けたまま進行するうち、いつしか居眠りに陥った。 こうしてB受審人は、居眠りを続け、針路が転じられずに田倉埼近くの浅礁域に向首したまま進行中、眞和丸は、06時30分田倉埼灯台から334度300メートルの浅礁に、原針路、原速力のまま乗り揚げた。 その後、眞和丸は、船首が左方に振られて近くに設置されていた標柱に右舷船尾部が接触した。 当時、天候は晴で風力2の東北東風が吹き、潮候は下げ潮の初期であった。 A受審人は、自室で休息中、衝撃を感じて急ぎ昇橋し、乗揚を知り事後の措置に当たった。 乗揚の結果、船底全般及び右舷船尾部外板に凹損などを生じ、また標柱を損傷したが、自力で離礁し、のち船体、標柱とも修理された。
(原因) 本件乗揚は、友ケ島水道の加太瀬戸南方海域において、前路に認めた漁船群を避けて南下中、居眠り運航の防止措置不十分で、転針が行われないまま田倉埼近くの浅礁に向首進行したことによって発生したものである。 運航が適切でなかったのは、船長が狭水道において自ら操船の指揮を執らなかったことと、船橋当直者が眠気を催したとき船長に報告しなかったこととによるものである。
(受審人の所為) A受審人は、出航操船に当たったのち、部下の航海士に単独の船橋当直を行わせて大阪湾を南下し、加太瀬戸を通航する場合、同瀬戸通航時に自ら昇橋して操船の指揮を執るようにすべき注意義務があった。ところが、同人は、航海士が以前船長職を執った経験を有し、この航路航行に慣れて航路事情もよく分かっていたことから、当直を任せても大丈夫と思い、自ら昇橋して操船の指揮を執るようにしなかった職務上の過失により、当直中の航海士が居眠りに陥って居眠り運航となり、田倉埼近くの浅礁に乗り揚げ、船底全般及び右舷船尾部外板に凹損などを生じさせ、また標柱に損傷を与えるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。 B受審人は、単独で船橋当直に当たって加太瀬戸を南下中、前路に認めた漁船群を避けて田倉埼に接航する針路に転じて間もなく眠気を催すようになった場合、居眠り運航とならないよう、休息中の船長に知らせて操船の指揮に当たってもらうなど、居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、周囲も明るくまさか居眠りすることはないと思い、休息中の船長に知らせて操船の指揮に当たってもらうなど、居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、漁船群が無難に右舷側に替わるような状況となったことから気が緩み、居眠り運航となり、転針が行われず、田倉埼近くの浅礁に向首したまま進行して乗揚を招き、前示のとおりの損傷を生じさせるに至った。 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |