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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成11年1月12日23時30分 鳴門海峡 2 船舶の要目 船種船名
貨物船冨士蔵丸 総トン数 499.06トン 全長 69.25メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
956キロワット 3 事実の経過 冨士蔵丸は、可変ピッチプロペラを装備した船尾船橋型の貨物船で、A受審人ほか4人が乗り組み、土砂1,302トンを載せ、船首3.70メートル船尾4.90メートルの喫水をもって、平成11年1月11日10時00分京浜港東京区を発し、広島県広島港に向かった。 A受審人は、発航後、一等航海士と6時間交替で船橋当直に当たり、翌12日18時00分和歌山県市江埼北西方約5海里沖合において、同航海士から引き継いで単独の当直に就き、紀伊半島西岸沿いに北上した。 19時55分A受審人は、紀伊日ノ御崎灯台から227度(真方位、以下同じ。)1.5海里の地点に達したとき、針路を鳴門海峡に向く320度に定め、弱い南流時に同海峡を通航できるよう、機関を全速力前進から少し減じ、8.3ノットの対地速力で自動操舵により進行した。 こうして、A受審人は、23時12分少し過ぎ鳴門海峡南部の鳴門飛島灯台(以下「飛島灯台」という。)から149度2.4海里の地点に差し掛かったとき、手動操舵に切り替え、針路を大鳴門橋下の可航水域の中央を示す大鳴門橋橋梁灯(C2灯)(以下「中央灯」という。)に向く334度に転じるとともに、機関を全速力前進に増速し、折からの南流に抗して9.3ノットの対地速力で同海峡の最狭部に向けて北上を続けた。 ところで、A受審人は、3年前から船長として内航船に乗船し、これまで夜間を含めて年間10回程度鳴門海峡を通航した経験があり、また、備付けの海図第112号により、同海峡最狭部の淡路島寄りには一ツ碆の暗礁が拡延し、その西端が中央灯から180メートル同島側に設けられた大鳴門橋橋梁灯(R2灯)(以下「右側端灯」という。)の南南東方300メートルに達していることを知っていた。 23時25分少し前A受審人は、飛島灯台から132度0.6海里の地点に至ったとき、大鳴門橋の北に認めていた反航船が、それまで左舷灯を見せていたのが右舷灯を見せるようになったので不安を感じ、同船と左舷を対して航過するよう針路を右側端灯に向首する340度に転じたところ、一ツ碆の暗礁に著しく接近する態勢となったので、中央灯寄りに橋軸線とほぼ直角の針路で同橋下を通過することができるよう、これにあまり近づかないうちに針路を左に転じなければならないことを認識していた。 その後、A受審人は、北上にしたがって次第に強まった潮流により8.2ノットの対地速力で進行し、23時28分飛島灯台を270度540メートルに認めるようになったとき、一ツ碆の暗礁まで500メートルに接近したが、反航船の動静に気を奪われ、作動中のレーダーを活用して大鳴門橋との距離を測定するなど船位を確認することなく、同礁に著しく接近していることに気付かず、右側端灯に向首したまま続航中、突然衝撃を受け、23時30分飛島灯台から036度610メートルの一ツ碆の暗礁に、冨士蔵丸は、原針路、原速力のまま乗り揚げた。 当時、天候は晴で風力3の北西風が吹き、潮候は下げ潮の末期に属し、付近には1.8ノットの南流があった。 乗揚の結果、船底外板が全面にわたって凹損を生じたうえ、その一部に破口を生じて二重底に浸水し、来援した引船によって離礁を試みたが成功せず、翌々日高潮時に船体が浮揚し、徳島県徳島小松島港に引き付けられ、のち修理された。
(原因) 本件乗揚は、夜間、鳴門海峡の最狭部に向けて北上中、船位の確認が不十分で、一ツ碆の暗礁に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) A受審人は、夜間、鳴門海峡の最狭部に向けて北上中、大鳴門橋の北に認めた反航船と左舷を対して航過するよう右側端灯に向けて進行する場合、同灯の南側に拡延する一ツ碆の暗礁の存在を知っていたのであるから、同礁に著しく接近することがないよう、作動中のレーダーを活用して大鳴門橋との距離を測定するなど、船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。ところが同人は、反航船の動静に気を奪われ、作動中のレーダーを活用して大鳴門橋との距離を測定するなど、船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、そのまま進行して一ツ碆の暗礁に乗り揚げ、船底外板全面に凹損とその一部に破口を生じさせて二重底に浸水させるに至った。 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
よって主文のとおり裁決する。 |