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(事実) 1 事件発生の年月日時刻及び場所 平成10年8月11日03時35分 関門海峡西方海域 2 船舶の要目 船種船名
貨物船永祥丸 総トン数 199トン 登録長 50.71メートル 幅
9.00メートル 深さ 5.30メートル 機関の種類 ディーゼル機関 出力
404キロワット 3 事実の経過 永祥丸は、昭和60年11月に進水した船尾船橋型鋼製貨物船であるが、海外に売船されることとなり、A、B両受審人ほか2人が乗り組み、海外売船の諸手続を行うための回航目的で、船首0.80メートル船尾2.70メートルの喫水をもって、平成10年8月10日16時00分愛媛県菊間港を発し、長崎港に向かった。 ところで、A、B両受審人は、回航などの臨時の運航業務があるときに、連絡をとりあって過去に何度も同業務に就いたことがあり、その都度船長の職務をA受審人が執ったり、B受審人が執ったりしていたが、B受審人の船長経歴は漁船でのものが長く、瀬戸内海などの狭い海域の通航経験が少なかったので、そのような海域においては、A受審人が船橋当直に当たるようにしたり、B受審人とともに在橋したりしていた。 A受審人は、今回の回航にあたっては自らが船長職を執り、売船前の船舶には十分な水路図誌等が備わっていないことが多いため、自ら所有の海図を持参し、予定針路を海図に書き込み、船橋当直を、00時から06時まで及び12時から18時までをB受審人が、06時から12時まで及び18時から24時までを自らがそれぞれ行うことに決めていたが、菊間港の発航操船に引き続いて自らが単独船橋当直に当たることとし、B受審人を休ませて瀬戸内海を西行した。 翌11日00時ごろA受審人は、周防灘の本山灯標東南東方5海里ばかりの地点で、B受審人が船橋当直交替のために昇橋してきたものの、関門海峡を通過するまで自ら船橋指揮を執ることとし、その後同人を見張りの補助や手動操舵などに当たらせて同海峡を通航し、03時20分白州灯台から119度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点に達したとき、関門港の港界を出たのでB受審人に船橋当直を引き継ぎ、同人が予定の針路線に沿って自動操舵のまま響灘に向けたことを見定めてから、発航以来初めて休息をとることとして降橋した。 船橋当直を引き継いだときB受審人は、針路を273度に定め、機関を全速力前進の9.0ノットの対地速力として進行し、03時22分白州灯台から122度23海里の地点に達したとき、予定針路線上を無難に航行している状況であったが左舷側安瀬泊地の陸岸が近く見えたことから、船位が左に偏っているものと錯覚してとりあえず沖出しすれば大丈夫と思い、周囲の航路標識の方位を測定して海図であたるなど、船位の確認を十分に行うことなく、針路を299度に転じ、その後白州南側に拡延する浅所に向首していることに気付かないまま続航した。 03時31分ごろB受審人は、白州南側付近の浅所まで1,100メートルばかりに接近したころ、すでに予定針路線から大きく外れていたことから、筑前丸山出シ灯浮標や横瀬北灯浮標などが前方に見えてこず、不安を感じてようやくレーダーを使用して船位を求めようとしたものの、遠距離レンジのままとしていたので周囲の陸岸や小島などの映像をにわかに判別することができず、かつ、永祥丸のレーダーを使い慣れていなかったので暗がりの中を手探りでその調整をしたり、懐中電灯を探したりして気が急いた状態のまま進行した。 こうして、永祥丸は、同一の針路、速力のまま続航中、03時35分白州灯台から155度470メートルの、白州南側に拡延する岩礁に乗り揚げた。 当時、天候は晴で風力1の南南東風が吹き、潮候は下げ潮の中央期で、視界は良好であった。 A受審人は、船室で就寝中、衝撃で目覚め、急ぎ昇橋して事後措置に当たった。 乗揚の結果、船底外板に凹損を伴う擦過傷を、プロペラに欠損を生じたが、修理されたのち海外売船された
(原因) 本件乗揚は、夜間、関門海峡西方海域を西行中、船位の確認が不十分で、転針して白州南側付近の浅所に向首進行したことによって発生したものである。
(受審人の所為) B受審人は、夜間、関門海峡西方海域において、船橋当直を引き継いで響灘に向けて西行する場合、付近には白州などの険礁が存在するから、険礁に著しく接近することがないよう、周囲の航路標識の方位を測定して海図であたるなどの船位の確認を十分に行うべき注意義務があった。しかし、同人は、左舷側安瀬泊地の陸岸が近く見えたことから、船位が左に偏っているものと錯覚してとりあえず沖出しすれば大丈夫と思い、右転することとして船位の確認を十分に行わなかった職務上の過失により、転針後白州南側付近の浅所に向首進行していることに気付かずに乗揚を招き、船底外板の凹損などを生じさせるに至った。 A受審人の所為は、本件発生の原因とならない。 |